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6 香精師弟子入り試験の課題

「注文、ですか」

 ヴァシルさんは視線を外へ流す。

「仕事として依頼したいと? 無一文でここに来たあなたが?」

「あっ」

 目の前の人が高名な香精師であることを思い出し、私はあわてて付け加える。

「ど、どのくらい費用がかかるのか知らないんですが……働いてどうにかなるなら……」


「まあ、とんでもない費用がかかるわけではありません。引き受けないこともない」

 ヴァシルさんは気怠げに視線を巡らせ、私を見た。ランプの灯りに、瞳の琥珀色が澄んだ光を湛えている。

「君が欲しいのは、どんな香りですか?」

「えっ、ええと、あの」

 私は、あの時に感じた香りを言葉にしようと試みた。

「お茶みたいな香りと……土臭いような香りも……でも甘くて。くらくらするくらい」

「ずいぶん具体的なようでいて、でも花や葉の名前が出てくるわけではないんですね」

 さらり、と白い髪を揺らし、ヴァシルさんは軽く首を傾げる。

 私は落ち込んだ。

「すみません、これじゃわからないですよね……」


 香りを言葉で説明するって、難しい。さっきヴァシルさんが二つの香りを合わせる時、呪文のように言葉を唱えていたけど、あれももしかして香りによって違うことを言うのかな。

 ヴァシルさんがやったように、私もそれらしい材料をここの植物園から探してみようか。でも、香りは混じり合うことで変化する。色々と試してみないとわからない。

 私も自分で、香精を作ることができればいいのに。


「……香精を作るのって、香精師しかできないんですよね……?」

「そうですね、大精霊の力を借りますから。訓練が必要です」

「えっ!? 訓練!?」

 私はまたもや身を乗り出した。

「訓練すれば私にもできますか!?」

 ヴァシルさんはまた、ちらりと私を見た。

「やりたいのですか?」

「はいっ! ぜひ、教えて下さい! それに、厨房のお仕事も続けさせて下さい!」

 急いで申し出る。しばらくお世話になるんだから、働かないと。

「香精師の訓練をして頂けるなら、教えて頂くばかりってわけには行きません。働いて、お月謝っていうか、ちゃんとお金も」


「ちょっと待って」

 ヴァシルさんは、すらりとした右手の人差し指をこめかみに当てると、口の端を片方上げるようにして微笑んだ。

「私は、素質のある者にしか教えません。素質のない者に教えても無駄ですから」


「うっ」

 一瞬ひるんだけれど、私は食い下がった。

「じゃあ、素質があるかどうか見て下さい!」


 ヴァシルさんは黙って目を細める。

「……それでは、試験をしましょうか」

「試験」

「そう。君が異世界の人間だということも、ついでに証明してもらいます」

 すらりと立ち上がり、ヴァシルさんは私を見下ろす。

「『今の君を表す香り』の材料を集めて、三日後までに私の部屋に持ってきなさい」

「は……はいっ」


 ……今の私を表す香り、ってなんぞ?

 いや、とにかく試験を受けさせてもらえるんだ。私は頭を下げた。

「やります! ありがとうございます!」


 ヴァシルさんに教えてもらえれば、帰れる希望が見えてくる! がんばるぞ!

 お母さん、これ以上おかしなことに巻き込まれないように気をつけながら待ってて!


 その時、ヴァシルさんがつぶやいた。

「これでよし……」

「え?」

 顔を上げると、ヴァシルさんはさらりと、

「厨房の仕事は続けるように」

とだけ言ってガウンをひるがえした。そして、ガゼボを降り、お屋敷の中に戻っていった。



「すごいじゃない! ヴァシル様の弟子になる試験!?」

 アネリアさんが驚きの声を上げた。


 昨夜はあの後、ここに住み込みで働くメイドのための部屋――二人部屋に私一人だった――に泊まらせてもらった。今は朝食の仕込みの真っ最中だ。

 アネリアさんは私をまじまじと見つめる。

「どうやって説得したの? ヴァシル様、一度も弟子をお取りになったことがないのよ?」 

「そうなんですか!?」

 私は野菜の皮を剥く手を止めてしまった。

「あ、いやでも、私もまだ決まった訳じゃないですけど」

「まあ、そうよね。でも受かったらすごいわ。だって今までは弟子志望の人が来ても……」

 アネリアさんはフッと目を細め、気怠げで偉そうなヴァシルさんの口調を真似する。

「『君と過ごす時間は、私にはありません』……って、こうよ。門前払いだったんだもの」

 うまい。似てる。


「弟子一号になれるように頑張って、ルイ」

 アネリアさんは笑顔になり、厨房の作業台の脇で何か手紙類をチェックしながらも、色々なことを教えてくれた。

「ヴァシル様は香精師だから、このお屋敷の使用人たちにとって植物園にまつわる仕事はとても大事なの。ハーブや果物や、色々な植物をお使いになるからね。庭師たちが何人も住み込みや通いで働いているから、私たちは彼らが働きやすいようにしなくては」

「なるほど」

「ヴァシル様の食事は、基本的には料理長が用意するから、庭師たちを含めた使用人たちの食事を作るのがルイたちの仕事」

 ん? 何だか、使用人さんたち以外にはヴァシルさんしかいないような言い回しだよね。

「ヴァシルさん……様、ご家族は?」

「独身だし、ご家族もいらっしゃらない。お一人よ」

 そうなんだ? こんなに大きな屋敷で、家族がいないって……何だか、ちょっと寂しそう。余計なお世話かな。


 にしても、それってつまりヴァシル様一人の収入から、ここの使用人さんたち全員にお給料を払ってるってこと!?

 元々財産があったのかもしれないけど、きっと香精師って儲かるんだ。ヴァシル様の実力あってのことだろうけど。


「ヴァシル様って、本当にすごい人なんですね。昨日も、町長さんをここまで呼んでたし……」

 そう言うと、アネリアさんは笑う。

「そうね、アモラ侯爵の位をお持ちだし」

「貴族ってことですよね!?」

「そうそう。ルイの国ではどうなのか知らないけど、このエミュレフ公国では元首の大公様の次に偉いお方なのよ。それと、昨日の町長さんが来た件はねー。あれは特殊かな」

 アネリアさんは私に顔を近づけて、声を潜めた。

「町長さんが奥さんとうまくいってない時に、何か特別な香精を作ってあげたらしいわ」

「夫婦円満まで、香精で何とかなるもんなんですか? そういう、二人の気持ちみたいなものが?」

「いやほら、こう、夜に夫婦の間で使うような……やだ、言わせないでよー!」

 お、おう。突然の生々しい話題。そりゃ、ヴァシル様が町長さんと奥方とのアレコレを見るわけにいかないって言ってたのも当たり前だ、香精は直感で作るしかないわ。


 アネリアさんは身体を起こして笑う。

「あはは、話を戻すわね。通いの庭師たちは、朝食を食べてから来て夕方で帰るから、一番人手がほしいのは昼食の仕込みだったの。ルイが入ってくれて助かったわ。夕食の仕込みはいいから、午後は勉強なさい」

「ありがとうございます!」

 うわー、本当にありがたい。短い時間の分、厨房の仕事もちゃんとこなそう!


 私はお昼過ぎまで、夢中で働いた。

 このお屋敷では、朝食・昼食・夕食にだいたいどんなものを食べるか決まっているらしい。朝食は、前日に焼いておいた果物のタルト、それにゆで卵とハムとチーズ。庭師さんたちが食べやすいものをさっと食べて、仕事に出ていけるように。人によっては持って行って、自分の都合のいい時間に食べてるみたい。

 昼食もやはり持ち運びを考えているみたいで、具入りのパンやサンドイッチを作るのを手伝った。こういう軽食みたいなものは、店でもよく作っていたから得意なんだよね。

 ちなみに、夕食はゆっくり、使用人用の食堂で食べる。肉もしくは魚と野菜をオーブン焼きにして、いい場所はヴァシルさんにお出しして、残りをスープやシチューにしていただく感じ。昨日は鳥と野菜のクリームスープで、ハーブと塩の味付けだった。あとは、色々な野菜が入っているサラダに、「バタつきパン」と呼びたくなるようなトースト。素朴で美味しかったなぁ。


「料理に使っている野菜やハーブも、みんな植物園で採れたものですか?」

 料理人さんたちに聞いてみると、料理長がうなずく。

「そうだよ。果物もな」

「勉強がてら、見てくるといいわ」

 アネリアさんに言われ、私は仕事を終えて昼食を食べた後で植物園に出た。

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