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10 香りが繋いだ、香りが広げた二つの世界

 やがて、バニラの精霊は無事に見つかり、封印香精の処方箋が完成した。


 新しい香精瓶が用意され、香精師が次代のナーグとスラープを調香した。そのメンバーにはヴァシル様と香精神官たち、そしてなんと私も参加した。

 バニラの香りを、日本で使い慣れていたからだ。

 調香の呪文の、バニラを呼び出す部分の構築から詠唱まで、私が担当。短い言葉ではあったけれど、いい香りを引き出すことができたように思う。


 神獣は再び、深い眠りについた。


 処方箋には、今回調香した担当者として、私の名前も小さく記された。神殿に名前が残るのはとても名誉なことだと、お屋敷の使用人たちみんなが喜んでくれた。


 キリルは結局、神殿預かりになり、神殿で修業を続けることになった。

「香精師の修行もですが、キリルを丸ごと、受け入れてみたいと思ったんですよ」

 というのが、カルダム神官長の弁だ。


 焦っていい加減な封印香精を作り、世界を危険にさらしたキリルは、さすがに大反省したようだ。

「……【スパイス】の香りのことを……教えてほしい。私は、自分と違うものを、受け入れないといけない。お願い、します」

 もごもご言いながら、私に頭を下げてきた時には、さすがにびっくりした。けれどもちろん、彼女の質問には心ゆくまで答えた。

 なぜなら、私も少し、反省していたから。

 帰ることだけを考えるあまり、この世界と一線を引いていた。自分の未熟さを棚に上げ、ヴァシル様とキリルに大事なところは任せようと考えてもいた。

 キリルと同様、自分の世界と違うものを、ちゃんと受け入れることができていなかったのだ。


 以前のような日々が、戻ってくる。

 午前中は厨房で働き、そして午後はヴァシル様のところで修行。でも、気持ちを決めかねている私にとって、それはすっかり気まずい時間になってしまっていた。

 修行に集中しようと思うのに、ヴァシル様の視線や、ちょっとした仕草が気になって集中できない。そんな私の様子を見ても、ヴァシル様はあの件に関しては触れなかった。

「大きな仕事をこなしたご褒美をあげましょう。何がいいか、考えておきなさい」

 そう言ってくださった以外は、以前と変わらずビシバシと私に知識を叩き込んでいく。


 そして、私はひとつの決断をした。


「あの、ヴァシル様。くださると言っていたご褒美、考えました」

 申し出ると、ヴァシル様は椅子に座ったまま私を見上げる。

「決めましたか。何がいいのですか?」

「氷を」

 私は言った。

「氷をたくさん、取り寄せていただけませんか?」


 北方から取り寄せてもらった氷、動物の乳、そして卵に砂糖にバニラビーンズで、私はアイスクリームを作った。

 金属のボウルにアイスクリームの材料を入れ、ボウルを氷で冷やしながら混ぜる。ポイントは、氷にたくさん塩を混ぜ込むこと。塩は氷を解かすんだけど、その時にまわりの熱を奪うので、普通の氷よりもめちゃくちゃ冷たくなる。それを利用すれば、アイスクリームが作れるのだ。

 ボウルの中で、アイスクリームが固まっていく。

「す、すごいわ」

「王宮で出る氷菓子って、こんなのかしら」

「ルイ、どうして作れるの!?」

 厨房の人たちからはものすごく注目されて、ちょっと得意になってしまった私である。


 バニラビーンズを使ったお菓子は、カフェでもよく作った。

 お菓子のもたらす幸せが、バニラの香りが加わると、外へと大きく広がる。幸せが、皆のものになる。


 アイスクリームを丸くなるようにすくい、器に盛る。仕上げに、粗く挽いたブラックペッパーをパラリ。実はブラックペッパーは、バニラアイスにも合うのだ。

「バニラアイスのブラックペッパー風味です、どうぞ」

 ミントの葉を飾った器を、私はヴァシル様の前に置いた。

「これは……冷たい甘さが口の中で溶ける……! ぴりっとしたブラックペッパーがいいアクセントですね。珍しいし、とても美味しい」

「よかった。ヴァシル様に、喜んでいただきたかったんです」


「……」

 ヴァシル様は、黙ってアイスクリームを平らげると、器を置いた。

「あなたのご褒美で氷を取り寄せたのに、これではまるで私のためのようです。これを作ってくれたのは、理由があるのですか?」

「はい」

 私はうなずいた。

「今までの、お礼をしたかったので。……ヴァシル様、お世話になりました」

 深く頭を下げ、そして、言った。

「私、ここを、出なくてはいけないと思います」


 ふっ、と、いつもヴァシル様がまとっている神々しいオーラが、弱くなったような感じがした。

「……私は、振られてしまったのかな」

「あ……ええと……」

 自分で自分の視線が泳ぐのを感じる。ヴァシル様が首を傾げた。

「ん? 違うのかな? 迷っているようですね」

「も、申し訳ありませんっ」

 私は思い切って、続けた。

「実は私、ナーグの世界の中で、元の世界に帰るために必要な──重要な香りのヒントを、見つけたんです」

「やはり、帰ることしか考えられない……?」

「ええと……少し、違います。まずはちゃんと、帰る手段を確立したいんです。そうできたときに初めて、自分の心が見えてくると、そう思ったんです」


 今のまま何もしないでいたら、「帰れない」一択だ。帰れないから仕方なく残る、という道しか選べない。それは嫌だった。

 自分でどうするのか、選び取りたい。帰る方法を手中にしたそのときに、元の世界に帰るのか、この世界で生きるのかを。

 でもその時、自分のことだけでなく他の人のことも考えて決めたいと、私は思っていた。ヴァシル様のそばにいるのか、カフェ・グルマンに帰りたいと思うのか、それとも……

 もしかしたら、全然別のことを望んでいる可能性もある。それは、その時になってみないとわからないけれど。

 この世界を一度、ちゃんと受け入れよう。この世界の一員になりたい。

 そして、香りが繋いだ、香りが広げた二つの世界を見渡して、決めるのだ。


 ヴァシル様は、私のわがままを黙って聞いていた。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、机を回り込んで私の前にやってくる。

「わかりました。……香精の勉強は、続けたいのでしょう?」

「そうさせていただけるなら」

「では、師を紹介しましょう。女性のね。ルイを取られるわけにはいかないので」

「あ」

 なんと答えていいかわからず、ただ顔が熱くなるのを感じていると──


 ──ヴァシル様の両腕が、そっと、私の身体に回った。

 力を込めず、ただ優しく、私を包む。

 バニラの甘い香りと、ヴァシル様自身の香り。ドキドキしながらおとなしくしていると、つぶやきが聞こえた。

「ルイの香りがします」

 ヴァシル様も同じように、私を感じていたみたい。

「あなたの香りは、異世界からやってきた個性的な香りなのに、この世界の香りと馴染む。香辛料の香りのようだ」

 ああ、いつか、イリアンにも言われたっけ。私の作る香りは変わっているけど尖ってはいない、食べ物の香りのように安心感があるって。


 すぐに身体が離れ、ヴァシル様は微笑む。

「ルイと毎日過ごしていたので、寂しくなります」

「でも、ヴァシル様もお忙しくなるんでしょう……?」

「そうですね。仕方ありません」

『精霊王』発見の噂は、どこからか漏れて急速に広まりつつあった。近いうちに、大公が会いに来るのだとか。国の行事にも、あれこれ参加することになるらしい。

「疲れたときは、ルイのお菓子が食べたいですね」

「はい、作ります。時々、お届けに参ります」

「嬉しいことだ」

 ヴァシル様は本当に嬉しそうに微笑み、そして私の胸元を指さした。

「そのペンダントは、持って行ってください。ルイが、未来をつかむ手助けとなるように」

「はい。ありがとうございます」

 私は、蝋石の入った銀色のペンダントを握りしめた。


 たくさん作ったバニラアイスは、使用人たちが開いてくれたお別れ会で、みんなで美味しく、いただきました。


†   †   †


 あれから、一年が経った。


 海鳥が、空を飛んでいる。羽を広げ、グライダーのように空を滑っている。

 扉を開けた私は、家の中を振り返った。

「雨、やみましたよ」

「あら本当、よかったわ! それじゃあルイ、香精、頼みますわね」

 黒髪の、ふくよかなご婦人のお客が帰っていく。

 彼女は、服のデザイナーだ。香精と、香精瓶、そして服を総合的にデザインしようという試みのために、私のいる工房に通っている。

 

 今、私はエミュレフ公国の南、海辺の町ストラージェで暮らしている。

 ヴァシル様が紹介してくださった香精師は、高齢のおばあさんで、まるで魔女みたいな人。私に色々と教えてはくれるものの、すっかり隠居を決め込み、工房は私に任せきりだ。

 でも、せっかく任せてくれているので、私は積極的にお客を取り、香精を作っていた。

 この世界の一員になるために。


 香精瓶は、というと……

「おーい、ルイ。前に言ってた瓶、できたぞ」

「イリアン」

 工房に戻ろうとしていた私は、振り返った。

 イリアンが、デザイナーさんとすれ違って挨拶してから、工房への道を上ってくる。手に持っていた籠を私に差し出した。

「ほらよ」

「ありがとう! 入って、今、お茶でも淹れるから」

「忙しいからすぐ帰る」

「そう? 仕事、順調そうだね」

「まあな」

 ちょっと得意げに、イリアンは笑った。


 彼は、香芸師ギルドの親方の元から独立したのだ。そして、このストラージェの町とアモラの町の中間あたりにある別の町に、工房を構えた。

「たまには相棒と仕事がしたいし、でもヴァシル師が怖いからな。このあたりに住むのが妥当だろ。リラーナの通える学校もあるし」

 ……だそうだ。


「ヴァシル師も……違った、ヴァシル王も、忙しそうだぞ」

「そうだろうね。政治には関わらないとおっしゃってはいたけど」

「縁談も山ほど持ち込まれているらしい。ザクザク断ってるって」

「それを私に教えてどーすんの。あ、待って、今朝焼いたバジルペッパーのスコーンがあるから、持って行って」

 厨房に行って急いで包み、表に出て渡す。

 イリアンは「おう、ありがとう」と受け取り、一瞬黙った後、唐突に言った。

「なぁルイ、いつか俺と一緒に店やってもいいんだぞ」

「ええ?」

「ヴァシル王とどうこうっていうのも大変そうだし、国に帰れるかもわからないんだろ? 俺との未来を、逃げ道に用意しといたらどうかって話。じゃあな」

 イリアンはぶっきらぼうに言うと、スコーンの包みを軽く持ち上げて、立ち去っていった。


 私は口を開けたまま、呆然と彼を見送る。

「……全く。考え事を増やさないでほしいわ」

 軽く頭を振って気持ちを切り替えると、私は自分の分のスコーンを包んだ。


 工房の扉に鍵をかけ、出発する。

 今日は外で、お昼を食べよう。


 こちらのサンゴ礁の影響なのか、ほんのりオレンジがかった白い砂浜を、歩く。

 日本では、私は太平洋側に住んでいたので、海辺の砂は黒っぽいのが普通だった。故郷を遠く離れた場所にいるのだと、砂の色が教えてくれている。

「いつ、見つかるかな。あの香り」

 立ち止まって、海を眺めながら、私はつぶやいた。


 海辺の町を選んで住んでいるのには、理由がある。 

『アンバーグリス』を探すためだ。

 龍涎香(りゅうぜんこう)、とも言われるそれは、クジラの分泌物で、ものすごく貴重なものだ。黒っぽい固まりで、ごくまれに浜辺で発見されることがあるという。

 足立さんの作った「世界を渡る香り」を再現するのに、クジラから生まれるアンバーグリスの香りが必要なのだ。そのことを、私はナーグの世界で知った。

 クジラも、あちらの世界からこちらの世界に生まれ変わる。この世界の海のどこかにも、クジラがいる。

 もしも、私が日本に帰る運命なら、アンバーグリスと出会う奇跡もあるだろう。足立さんが母に恋をして、私にたどり着いたように。

 だから、私は毎日、砂浜を歩くのだ。


「まさかアンバーグリスとはね。気づいたのは、ナーグのおかげだなぁ」

 つぶやいたとたん、びゅっ、とピンク色の小さなものが視界に入ってきた。

『呼んだか?』

「わあっ、ナーグ姫!?」

 驚いてそちらを見ると、クリーム色の肌にピンクの髪のナーグ姫が、気取った表情とポーズで宙に浮いていた。手のひらくらいの大きさの、封印精霊。半透明の羽が美しい。

『ルイ、会いに来たぞ』

『ルイ、会いにきたぞ』

 全く同じ口調で言ったのは、隣にひっついているもうひとり、スラープ姫だ。ナーグ姫とそっくりの姿で、髪は水色をしている。

 ここにいるナーグとスラープは、先代の二人だ。引退して暇でしょうがないらしく、まだ残っている余生をヴァシル様のそばでうろちょろして過ごしている。


 その二人が、ここにいる、と言うことは……


「やれやれ、日差しが強いですね、ここは」

 繊細なレースの日傘が、砂浜に影を作る。

 白いウェーブした髪、琥珀の瞳。クジャク色のローブが、海風に翻った。

「ヴァ、ヴァシル様!? 精霊王のあなたがなぜこんなところまで!?」

「ルイがなかなか私に会いに来ないからです」

 不機嫌そうなヴァシル様が、私の真後ろに立っていた。彼はクールな視線で私を貫く。

「お菓子を作って持ってくると言ったのに。仕方ないので、休暇がてら私の方から来ました。歓待しなさい」

「は、はいーっ」

「それに」

 ヴァシル様は、まるで傘の中に私をするりと入れてしまうようにかぶせ、耳元でささやく。

「そもそも、私が来ないと思う方がおかしい。あなたは口説かれている最中だということを、忘れないように」

 ひえええ。


 そこへさらに、騒がしいのが飛び込んできた。

『あれっ、ヴァシル王じゃーん!? ナーグ姫とスラープ姫も!』

 黒と白の小さなスカンク、【スパイス】の大精霊ポップだ。

『うっひょーう、ルイも入れて綺麗どころがよりどりみどり!』

 ……彼は性的魅力を意図してはいないらしいんだけど、この言い方は誤解しか招かない。まあ、私たちはわかってるからいいけどさ。


「おや、ポップ。あなたはバナクにスパイス探しの旅に行っていたのでは? 私は呼んでいませんよ」

 邪険にするヴァシル様。

『そりゃ、香精師に呼ばれればどこにでも飛んでいくけど、たまには自分の意志でここに来るさっ。美しきルイ、会いたかったぜー!』

 ひし、と私の頭にしがみつくポップ。

『なあなあ、バナクで新しいスパイスの精霊を見つけたんだ。聞いてくれよ、オレの冒険を!』

「はいはい、とにかく工房に戻ろう。そこで聞くから。ヴァシル様、お昼は召し上がりましたか?」

「当然、まだです。ルイのところで食べるつもりでしたからね」

「了解でっす」

 

 ああ、しばらくは、このにぎやかな日々が続きそうだ。

 青い海の上、青い空には、クジラのような大きな雲がゆったりと泳いでいた。



【レモンペッパー・ガーデン ~香りの精霊の母になりました~ 完】

お読み頂きありがとうございました!

最近、昔のコバルト文庫が話題になりました。この物語も、「少女小説って、いいよね」と思いながら書いた作品です。

みなさんにどんな風に届いたか知りたいです。評価でもなんでもいいので、反応頂けると嬉しいです(^^)

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