3 まずは厨房メイド試験
「……つまり、厨房メイドの面接に来たってこと?」
黒のワンピースに赤い刺繍エプロンの、三十代後半くらいの女性が、私をジロジロと見た。
煉瓦の壁に鉄の扉のついたオーブンがついているような、ちょっと古い感じの厨房だ。そこのテーブルを挟んで、私はこの栗色の髪の女性と向き合って座っている。
女性はテーブルの上で両手を重ね、綺麗な青い瞳で私を見ながらいぶかしげに続けた。
「さっきそこの窓から、あなたがヴァシル様と話してるのを見てたわ。すぐに働ける格好で来るなんて、面接に受かる気満々で堂々としたものね。まあ、そういうの嫌いじゃないけど」
「へっ!?」
ハッとして、私は自分の格好を見下ろした。
ぎゃあ! メイド服のままだったー!
「違うんですっ、これは私の家がお店をやっていて、そこの制服みたいなもので!」
ここの制服とたまたま似てたってことなんだろうけど、いわば私のメイド服はコスプレ衣装。こんな大きなお屋敷で、本職のメイドさん並みに働けるってことでは全然ないので、ほんと、色々と先に謝っときたい。
「ええと、ヴァシル、様? に失礼なことをしてしまったので、お詫びに働かせていただきたいんです。厨房ならお役に立てると思います、店でも厨房と接客の両方をやっていたので」
一応面接らしく、自己アピールしてみた。女性は少し興味を持ってくれたようだ。
「そう……。何のお店?」
「カフェです。スコーンとかキッシュとか作ってました」
「すこーん?」
何やら軽く首を傾げた彼女だったけれど、ひとつうなずいて声の調子を変える。
「まあいいわ、わかりました。とにかく働いてみてもらいましょう。私は家政婦長アネリアです」
「泪です、よろしくお願いします! なんでもやります!」
私は頭を下げる。
「その前に、それ」
アネリアさんは、軽く目をすがめて私の前を指さした。
テーブルに、ペッパーミルが置かれている。ガーデナーさんの一人が私から取り上げ、慎重に捧げるようにしてここまで持ってきたものだ。爆弾だなんて、うっかり言うんじゃなかった。
「なんて言ったかしら」
「コショウですか?」
「そう、それ。ヴァシル様は食べられるっておっしゃってたそうだけど……本当にそうなの?」
だからー、調味料だよ、知らないわけないでしょ!?
からかわれてるんじゃないかという気持ちをぬぐえなくて、私はアネリアさんがコショウを知っていても知らなくてもいいような言いまわしを考え、エヘヘと笑いながら言った。
「コショウも色々ありますけど、このブラックペッパーのきいた料理、私、大好きなんですー」
すると、アネリアさんは顎に片手を当てて少し考えてから、一つうなずいた。
「じゃあ、簡単なものでいいから何か作って。試したいわ」
うっそーん……おかしなことになったぞ。
気がつくと、厨房にいた他の料理人さんたちも、こちらを興味津々で見ている。遠巻きにしているのは、私の爆弾発言――文字通り――のせいだと思う。
このお屋敷で会う人会う人、外国の人だから……世界は広いんだし、コショウを使わない国だってあるのかも……いやでも、ここは日本なんだからあって当たり前だよね……わけがわからなくなってきた。
よし。私の方も、試させてもらおう。ここの人たちが、本当にコショウを知らないのか。
私はアネリアさんに、食材のある棚を教えてもらった。今日の午後に足りないものは注文を出すので、ここにあるものは自由に使って構わないという。
味見なんだから、本当に簡単でいいよね!
開き直った私は腕まくりをすると、棚をざっと見まわした。
「これ、チーズですか?」
木の器に入った白い固まりを、味見させてもらう。固めのヨーグルトに近い風味と柔らかさ……熟成させないタイプのフレッシュチーズだ。
さらにドライフルーツを見つけた私は、ナイフを借り、作業台のまな板で小さく切って味を見てみた。赤みがかった茶色のそれは、イチジクみたいな味がする。
ここのパンは、ドイツパンみたいにみっしりしていて酸味のある茶色のパンだった。そのパンの大きな塊を、手でつまめる程度の大きさと薄さに切り分ける。
小さく切ったドライフルーツをフレッシュチーズで和え、パンに乗せ、お皿にいくつも並べた。そしてお皿の上で、ペッパーミルをゴリゴリ。ブラックペッパーのスパイシーですっきりした香りが広がる。
ドライフルーツとチーズのカナッペ、完成!
「できました」
「もう? じゃあ、ルイからどうぞ」
おお。毒味ね。
私はアネリアさんの目の前で、一つ食べてみせた。さっぱりしたチーズに濃い甘みが優しく包まれ、そこにぴりりとブラックペッパーがきいてベストマッチ! この組み合わせ、だーいすき。
「美味しくできてます、どうぞ」
勧めると、アネリアさんが手を伸ばした。
上品に一口かじるその様子を、私は固唾をのんで見守る。
「んっ……な、何これ! 香りがすごい!」
まるで目が覚めたような表情になった彼女は、片手を頬に当て、もぐもぐと口を動かした。もう一口かじる。
「なめらかなチーズと甘い果物だったから、デザートみたいなものかと思ったのに全然違う! でも、美味しいわ、ブラックペッパー!」
アネリアさんが心から美味しいと思っている様子で食べるので、私もようやく信じる気になった。
ここの人たち、本当に本当に、コショウを知らないんだ!
じゃあ……じゃあ、どういうことになるの?
考える間もなく、なんだなんだ、どうしたどうした、と他の料理人さんがやってきて次々と手を伸ばす。
「本当だ、甘いのにキリッとした味だ」
「これ、酒にも合うんじゃないか? 美味い美味い」
そうだ、わかってもらわなきゃ、と私は急いで説明する。
「ちょっとツンと来るっていうか、鼻に来るので、ヴァシルさんが吸い込んでむせちゃって……でも美味しい香辛料なんですっ。これで、危険人物じゃないってわかってもらえましたよね!?」
「うん、わかったわかった!」
「これはヴァシル様にもお出しできる!」
「ルイは異国の顔立ちをしてるもんな、故郷の食材なんだろうな!」
場が一気に和やかになる。アネリアさんが私に、初めて笑顔を見せた。
「手際もいいわね。合格」
あ? もしかして、コショウの味を試したいと言いつつ、厨房仕事の試験でもあった?
お互いに色々、試し合い、してたんだな。
アネリアさんは皆の方に向き直って、パンパンと手を叩いた。
「さあみんな、そろそろ時間よ。仕事にかかろう!」
ん?
「ルイはこれ、皮剥いて!」
料理人から桶いっぱいのお芋をドンと渡され、その量に一瞬ギョッとする。
厨房の全てが、一斉に動き出した。トントンと動く包丁、鍋からあがる湯気、食器の触れ合う音。
雰囲気に飲まれた私は、とりあえずテーブルの隅にこそっとお芋の桶を持って行って、黙々と皮むきを始める。
ええっと、役所の人にはいつ会わせてもらえるのかな……
お芋の皮むきが終わりかけたところで、「千切りにして!」と丸ごとの葉野菜がドンと置かれた。それが終わりかけたら、「身を出して!」と黄色い柑橘系の山盛り果物。どひー。
考え事をする間もなく、時間はどんどん過ぎていった。
お店での作業に慣れていたとはいえ、知らない台所は疲れる。
下拵えだったらしい作業が終わり、私はぐったりしながらまかないのクリームシチューとパンを食べていた。
これでお詫びになったかなぁ……
すると、廊下から声がした。
「ルイ、いますか」
上品な白髪のおじいさんだ。白いブラウスに黒のベスト、赤いサッシュベルトに黒のズボン。そして膝から下に巻いた白い布を細い黒のベルトで巻き付けたようなブーツ。どこか民族衣装のような格好のその人は、厨房を見回した。
「……何か、変わった匂いがするな」
「あ、ジニックさん。これね、ルイが持ってきたブラックペッパーの匂いです!」
アネリアさんが声をかける。
「シチューにもかけてみたんだけど、美味しいんですよ! クリーム系にも合うみたい」
「そうですか」
ジニックと呼ばれた人は、立ち上がった私を見て言った。
「私は執事のジニックだ。食べ終えたら来なさい。役所の方がいらっしゃっているから」
役所の人!
私は超特急で食事をかき込むと、ジニックさんに駆け寄った。
これでやっと、家に連絡取って帰れるんだ!