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10 訪問者の誘い

 やがて、掲示板に票数が貼り出された。


 一位は、ヴァシル様だ! さすが!


 ヴァシル様は三つの香精を出展しているんだけど、その中の一つが一位に輝いている。とても複雑な香りで、何と何と何、とは言えないんだけど、レモンから秋の花や桃のような実り、そして木々の香りを感じさせる。夏から秋への移り変わりを、そのまま香りにしたみたい。

 香精は暖かみのあるオレンジ色で、瓶もほんのりオレンジを滲ませたすらりと細長いスタイリッシュなものだった。


「わあ、おめでとうございます!」

「いいから自分の順位も見なさい」

 ヴァシル様はクールだ。


 そうだ、自分のを探さないと。

 私はとにかく、上から順番に見ていった。ルミャーナ師の名前、再びヴァシル様の名前、知らない名前……と続き、それから知っている名前が出てきたのはキリル。

 ああ、キリルの方が私より上だったー。でも、本当に素敵な香りだったもん、納得。


「正直、ちょっとほっとしたわ」

 ぼそっとつぶやくと、頭の上にいたポップが『ケッ』と笑う。

『キリルに恨まれないからだろ。オレは文句のつけようのないくらい叩き潰したいぜ!』

「やめてよ……。あ、私の、あったよ」

 キリルの二つほど下に、ジャスミンのお茶会香精とレモンペッパー香精が続けてランクインしている。

「思ったより気に入ってもらえてる! やった、嬉しい!」 

 正直、心配していたのだ。イリアンは励ましてくれたけど、やっぱりレモンペッパーは他の香りとあまりにも違ったから。


「ヴァシル様、あの、私の順位……」

「ふん」

 ヴァシル様は鼻を鳴らしたけれど──

 私の表情を見ると、ちょっと苦笑してから、ふわりと微笑んだ。

「よかったですね」

「えっ」

 ちょっと、ドキッとした。

 てっきり、「あのくらいで満足していてはいけません」とか「私の弟子なのに、この順位では恥ずかしい」とか、そんな風に言われると思っていたのだ。


 まじまじとヴァシル様の顔を見つめていると、ヴァシル様はちょっとひるんだような表情になった。

「……なんです? 嬉しいのでしょう?」

「あっ、ええと、はい! 自分では、とてもいい香りを作れたと思うんです。だから、気に入ってくれた人がこんなにいただけで、もう」

 私は答え、何となく恥ずかしくて目を反らしてしまった。

 ヴァシル様の声が、降ってくる。

「自分の愛する、納得のいく香りを作るのが、一番です。その香りを好きになる人は、必ずどこかにいる」

 そっか。そうだよね。よかったんだよね。


「あの……ヴァシル様、ご指導ありがとうございました」

 私は言い、そして続けた。

「お礼に、お菓子を作りたいと思うんですが……。明日の夜にでも、お持ちしていいですか?」

「ほう」

 クールに見えるヴァシル様だけど、目がキラキラし始める。

「それは楽しみですね」

「じゃあ明日、お伺いしますね」

 私は可笑しさをこらえながら言った。

 ヴァシル様は、私の作るお菓子を気に入ってくださっている。せっかくだから、今回作った香りにちなんだお菓子を作ろう。


 私はもう一度、自分の香精たちの展示されているあたりを、遠目に眺めた。

 香精師のローブに似た、白と赤の変わった服装の人が、レモンペッパー香精の側にいる。誰かな、何の職業だとああいう格好をするのかな……と思っているうちに、その人はすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。



 翌日の夜、私はヴァシル様の部屋をノックした。

「入りなさい」

 声がしたので、私は遠慮なく中に入る。


 いつもの机のいつもの椅子に腰掛けている、ヴァシル様。でも、今夜はちょっとわくわくした顔をしている。しばらく弟子をしている私には、表情が読み取れるようになってきた。

「お持ちしました。どうぞ」

 私は廊下のワゴンからお皿を運び、ヴァシル様の前に置いた。金属の覆いを取る。

「カシスムースです」


 濃い紫の艶のあるカシスジャム、そして柔らかな紫のムースと、一番下のスポンジが層になっているケーキだ。

 ムースはゼラチンを使って作ることが多い。こちらにもないかなと思って料理長に相談すると、とある豆から作るゼラチンに似たものがあったので、ムースを作ることができた。

 スポンジに、ほんのりブラックペッパーを忍ばせてある。お酒もちょっと効かせた、大人の夜のデザートだ。


「美味しそうですね」

 ヴァシル様、いそいそとフォークを手に取った。

 しゅわっ、と音を立てて、フォークがムースに埋まっていく。一番下までたどり着くと、フォークがお皿の上を滑ってケーキを割り、ヴァシル様の口まで運んでいく。

 ヴァシル様は、目を閉じて味わった。

「……うん……これは……口の中に、カシスの甘酸っぱさ、爽やかさが広がりますね。溶けて消えていく感じもいい。鼻に抜けて、香りを楽しむことができる」


「お茶も、お淹れしますね」

 私はポットから、カップにお茶を注いだ。

 ジャスミンの香りを移した茶葉、ジャスミンティだ。

「あの日のお茶会を、お茶とお菓子で再現してみました」

「いいですね」

 ヴァシル様は満足そうに、一口、一口と口に運んだ。


 食べ終えたヴァシル様は満足そうにお茶を飲み、そして私をじっと見つめる。

「ルイを、元の世界に返したくなくなるほどの味でしたよ。全く、どうしてくれるんです」

「え、いや、あはは」

 うろたえてしまった私は、それを隠すように笑った。

「作り方なら、料理長に伝えてありますから!」

 全くもう、ヴァシル様ってば。

 ヴァシル様なら、私を帰したくないと思えば簡単じゃない。香精師の仕事を、あまり詳しく教えなければいいんだから。それなのに、こんなこと言うなんて。

 ……何か、迷っているの……?

 

 そのとき、ノックの音がした。

 ヴァシル様が返事をすると、従者さんが遠慮がちに顔を出す。

「遅くに申し訳ありません、ヴァシル様。お客様がみえているのですが」

「誰です?」

「神官の、ネデイア様です」


 神官? 神官って、町の中央にある神殿で働いている人だよね。こんな、夜に?

 不思議に思っていると、ヴァシル様は即座に答えた。

「通してください」


 従僕さんはすぐに、一人の女性を案内してきた。

 背の高い人だ。まっすぐな金髪をワンレンにのばし、淡い緑の瞳をしている、綺麗な人。年は三十歳前後くらいだろうか。

 そして、その人は白と赤のコントラストが鮮やかな装束を着ていた。まるで、ローマ法王みたい。白いローブに赤いケープ、そして金の刺繍。手には錫杖のような、金の杖を持っている。


「こんばんは、ヴァシル様。夜分に申し訳ないことですわ」

 柔らかく低い声が挨拶する。

「いや。そろそろ来る頃かと思っていました」

 ヴァシル様は彼女に椅子を勧めた。


 私はお皿やカップを急いで片づけ、部屋から出ようとした。すると──

「あなたが、ルイ?」

 声をかけられた。


「はい?」  

 振り向くと、ネデイアと名乗った女性は私を見つめている。

「ちょっと、話をさせてもらってもいいかしら。あなたにも、用事があるのです」

「あ、ええ……」

 私は曖昧に返事をしながら、ちらりとヴァシル様を見た。

 ヴァシル様もうなずいてくれたので、落ち着いて向き合う。

「大丈夫です。どういったお話でしょう」


「香精展の、あなたの香精を鑑賞させてもらいました。とても素敵な、それでいて不思議な、特徴的な香精でしたわ」

 ネデイアさんは褒めてくれて。

 そして、驚くようなことを口にした。

「実は、特徴的な香精を作る方に、協力をお願いしたいことがあるのです。エミュレフ公国そのものに関わることなのですが」

 エミュレフそのもの!?

 話が大きいので現実感がないまま、私は再びヴァシル様の様子をうかがった。

 ヴァシル様は静かに、私を見つめている。


 その表情から、悟った。

 ネデイアさんの話は、重大なものだ。ヴァシル様もたぶん、詳しいことをご存知なのだろう。


「あの……弟子の私には、荷が重いように聞こえますが」

 ビビってそう言うと、ネデイアさんは微笑んだ。

「あなただけに何か責任を負わせようというのではありませんから、安心してください。他に、ルミャーナ師の弟子のキリルにも声をかけています」

 げっ。キリルにも。

 ポップが『うへぇ』と声を上げた。

『何だか知らないが、香精展でキリルより順位の低かったルイにも声がかかってる時点で、トラブルの予感だな』

 うん。自分と私が同列に扱われるとキーッってなりそうだもんね、彼女……

「一緒に説明をしたいので、明日、神殿に来ていただける? ヴァシル様も、お願いできますかしら」

 ネデイアさんに言われ、ヴァシル様はうなずく。

「構いません。ルイ、とにかく話を聞きましょう」

 

 自分がいったい、何に巻き込まれようとしているのか──

 私の胸は、重苦しい緊張感でいっぱいだった。


 あ。

 こんな時になんですが、カシスムースはワンホール作ったので、残りは厨房スタッフの皆で美味しくいただきました。



【第三章 夜のジャスミン 完】

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