9 香精展、開催
香精展の日が、やってきた。
紅葉を始めたアモラの木々は爽やかな風にそよぎ、町は秋の気配に包まれている。中央通りは、アーケードの屋根を透かして降り注ぐ陽光に穏やかに照らされていた。曇りガラスのようなこの屋根も、香芸師たちの仕事らしい。
レンガの道の両脇に、等間隔でガラスの台が並び、香精の入った香精瓶が展示されている。そして、それぞれの台にお客さんが近寄っては香りを楽しんでいた。
そしてその傍ら、ローブ姿の人が何人もいる。香精師だ。
私はヴァシル様のお許しをいただいて、ポップと一緒に香精瓶を鑑賞していた。
ざっと見たところ、アモラには十数人の香精師がいるらしい。そして、弟子たちらしき姿も見かける。
「どれも見事に、違う香りで素敵だね。それに、香精瓶、本当に綺麗……」
私はため息をつきながら、ひとつひとつじっくりと見ていく。
やはり、多くの香精瓶は服に合わせやすいような淡い色だったけれど、物語の宮殿のような形の瓶、蝶々のような瓶、花束のような瓶など、どれも精緻で工夫が凝らされている。
「あ、ポップ見て。こっちのは何かの動物の形だ」
『いいな! 今度イリアンに言って、オレの形の瓶も作ってもらおうぜ!』
いや……それは賛成できかねるな……君はあのスカンクだし。
「ルイ!」
可愛らしい声で呼びかけられ、振り向くと、リラーナが駆け寄ってくるところだった。その後ろからイリアンもやってくる。
「ルイ、ポップ、いっしょにみよう!」
「もちろんいいよー。ねぇ、実は教えて欲しいんだけど」
私は苦笑いしながら、イリアンとリラーナを見た。
「ルミャーナ師と、そのお弟子さんの瓶って、どれかな。私、文字にまだ自信がなくて」
そこそこ勉強してはいるんだけど、展示されている瓶に着けられた名札、飾り文字なんだわ……! お手上げっ!
「頭文字くらい、区別つくだろうがよ……あっちだ、ルイ」
イリアンが呆れながら教えてくれる。
もう少し進んだ場所の台のところに、細身の女性が立っていた。まっすぐな赤毛を顎で切りそろえ、眼鏡をかけている、初老の知的な女性……きっとあの人がルミャーナ師だ。
そしてすぐ側に、プラチナブロンドのカーリーヘアが見える。キリルだ。
彼女はすぐにこちらに気づき、どこか挑発的に微笑みながら目を細める。
ルミャーナ師は幹事だからか、すぐに忙しそうに立ち去ってしまい、そこにはキリルだけが残った。
気まずいなー! ジャスミンは使わないようなことを言ったのに、使っちゃったもんなー!
「こ、こんにちは」
私はへこへこしながら近づき、そしてそのあたりの台をひとつひとつ鑑賞した。
イリアンが、小さな動きでちょいちょいと指さす。
「これだな、キリルの」
「わ、綺麗だ」
私は感嘆の声を上げた。
瓶は、まるで三日月のような形をしている。半透明の乳白色で、カメオのように浮き彫りになったジャスミンが美しい。優雅に飛ぶ香精からは、最初に百合のような香りが、それからジャスミンと樹木のような香りが届いてきた。
私は思わず、キリルに話しかける。
「月の細い暗い夜、花園を散歩してたら、白く光るジャスミンに出会った……みたいな、素敵な香りだね! 私、こんな香り欲しいわ」
ぎょっとしたようにキリルは身を引いたけれど、すぐにツンと顎を上げた。
「あなたもなんだかんだ言ってジャスミンにしたんでしょう、結局。自分の香りを身につければいいじゃない」
「私のは私のですごく気に入ってるけど、それはそれじゃない? 色々楽しめるからいいよね、香精って。よかったら私のも見ていってね」
私はそう言って、そそくさとその場を離れた。イリアンとリラーナが待っている。
「お待たせ。さあ、お茶会香精の瓶のところに行こう」
「展示の仕方、工夫したとか言ってたけど」
イリアンに言われ、私はうなずく。
「うん、見てみて」
先に、レモンペッパーのケーキポップな瓶の台のそばを通った。香精は瓶の周りを元気に飛び回り、お客さんが香りを楽しむ表情がにこにこしているので、ホッとする。
そして、その台から少し、間を置いて……
「へぇ」
イリアンが感心したような声を上げた。
台の端に、ちょっとしたスタンドを置いて、ヴァシル様が着るローブのようなクジャク色の布をかけてある。
布は台を覆って、下まで垂れ下がり──
──布を背景に、香精瓶は置かれていた。
形はシンプルで、厚みのあるメダルのような形をしている。直径は十センチもない。
瓶を透かして、中にぐるりとジャスミンの白い花。花には淡い緑で陰影がついていた。中心に向かって夜空の色、カシスのような深い紫へとグラデーション。
そして、瓶の底に白いティーカップがひとつ、置かれている。カップの中で香精が休んだり、また外に出てきて飛び回ったりしている。
ジャスミンの花と夜空の見下ろす庭で、お茶会をしたあの日の様子を、イリアンが表現してくれた。
背景として布を飾ったのは、淡い色の瓶でなくてもこんな風に服に合わせられますよ、というのを見せたかったからだ。
「きれい……お茶のカップも、お花みたい」
リラーナが見とれている。イリアンが香りを確認した。
「隠し味みたいに、ブラックペッパーの香りが全体をまとめてるな」
「だってよポップ、よかったね……あれ? ポップ?」
見回してみると、ポップは香精師たちの一人一人のところへ飛んでいって、何か話しかけている。
私はちょっと吹き出してしまった。
「営業かけてるみたいだよ、自分の香りを使ってくれって。七番目の大精霊、あまり知られてないもんね」
「でも少し、香精師たち、引いてるな」
イリアンは呆れたように肩をすくめた。そこへ、お客さんから声がかかる。
「あのう、この瓶を作った香芸師さんですか?」
「え、あ、そうです」
あわててイリアンが対応する。
おお、瓶も評判になってる? よかった!
私はリラーナに手を振って、こっそりとその場を離れた。
アーケードを抜けたところにテーブルや椅子がたくさん出ていて、関係者たちが座って休んでいる。その中に、ヴァシル様の姿もあった。
「ヴァシル様」
「ルイ。見てきましたか」
「はい! すごく参考になりました!」
「そう」
ヴァシル様は微笑むと、ちらりと横を見た。
「あそこで、投票の集計をやっていますよ」
見ると、長机に何人かの人が腰かけて、何か書いている。
そうだった、そういえば人気投票があるんだった。
「どの香りもよかったから、順位をつけるのがなんだかもったいないですね、ヴァシル様」
「それもそうですが、今現在どんな香りが人気なのか知ることは仕事に役立ちます。結果は受け止めなさい、ルイ」
確かに、その通りだ。こういう仕事は流行を知ることも大事。
私は「はい」とうなずいた。
次話、第三章最終話です。




