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8 夜の大人の茶会

 そして、その夜がやってきた。

 

 早めの夕食をとってから、ヴァシル様と私はお屋敷を出た。なんと、馬車で、である。

 屋根のない馬車は一頭立ての小さなもので、でも荷台は彫金がされているしクッションは豪華な織物だしで、美しい。

 まるでどこかの国のロイヤルウェディングみたいで、平然としているヴァシル様の横で私はお尻がぞわぞわして落ち着かない道中だった。

 御者さんが馬車を操り、緩いスロープを下って町なかに下りていくと、行き合った人々が次々と馬車に向かって帽子を取ったり、膝を曲げたりして挨拶する。

 ヴァシル様はそれに軽く手を挙げて応えていた。ただの弟子の私は、ヴァシル様の隣でなるべく小さくなって、目立たないようにしていた。


 やがて、馬車は漆喰の白壁の家の集まる地域に入った。屋根は平らで、アモラの他の地域──赤レンガの町並み、三角屋根──とは雰囲気が違う。

「バナクの人々が多い地域です。赤レンガの家に住む人もいますが、このような家を好む人が多い」

 ヴァシル様が説明してくれた。


 小さな馬車がギリギリ抜けられるような路地は、もうだいぶ暗くなっており、家々から漏れる灯りが頼りだ。何か肉を使った料理の匂い、草の匂い、土の匂い。


「伺っていた住所は、ここですね」

 御者さんが馬車を止める。

「あ……」

 ふわり、と、花の香り。

 腰までの高さの石塀に囲まれた小さな庭から、白い小さな花をたくさんつけた枝が伸びて、路地までいい香りを届けている。


 ジャスミンの花だ。イリアンとリラーナの家は、ここに違いない。


 私とヴァシル様が馬車から降りると、

「それでは、一刻後にお迎えに上がります」

 と言って、御者さんは馬車を操り去っていった。


 馬車の音に気づいたらしいイリアンが、急ぎ足で路地に出てきた。あの、前に侯爵邸に瓶を届けに来たときのような、バナクの意匠(デザイン)の服を着ている。

「ヴァシル師、こんなところまでようこそお越しくださいました」

 彼の横からリラーナが顔を覗かせ、

「いらっしゃいませ……」

 と恥ずかしそうにつぶやくと、隠れてしまった。

 ヴァシル様は涼やかな微笑みを浮かべる。

「私の弟子のことで、騒がせてしまっているね。手際よく済むようにするよ」


 肩に乗ったポップが、私の耳元でクククッと笑う。

『また、「ルイは私の弟子」アピールしてるぜ』


 もう。ヴァシル様ってよくわからない。私を優秀な弟子にしたいっていう素振りはあるのに、日本に帰りたがっても文句言わないし、ジャスミンのこと教えなければよかったみたいなこと言うし……


 ──とにかく、目の前のことに集中しよう。

 私はにっこりと挨拶した。

「こんばんは、お邪魔します。お茶の葉を持ってきたよ」

「ああ。ヴァシル師、どうぞこちらへ」

 イリアンが先に立って案内してくれた。


 イリアンとリラーナの家も漆喰壁の家で、ちょっと穴蔵に入っていくような雰囲気があって面白い。玄関を入ると壁にくぼみがあって、そこにランプが置かれて通路を照らしている。左が居間と厨房、そして右側が開けて庭になっていた。

 小さな木のテーブルにはバナクの意匠のクロスがかかり、木のスツールが置かれている。


 そして、庭の一角でジャスミンがこぼれるように咲いていた。


「いい香り! リラーナはいつも、この香りに包まれて眠るのね。いいなぁ」

 私が言うと、ポップも厳かにうなずく。

『うむ。眠りまでも、姫君のようだ』

 リラーナはウフフとはにかみ、今度は私の背後に隠れた。

 イリアンがヴァシル様に椅子を勧める。

「ヴァシル様、こちらにおかけください。ルイ、湯が沸いてる」

「あ、はい、ありがとう」


 石積みのかまどのある台所に入らせてもらい、私は料理長に教わったやりかたでお茶を淹れた。持参したカップに注ぎ、庭のテーブルに運ぶ。


「ヴァシル様、どうぞ」

「なぜルイが、この家で私に茶を淹れるんですか。この家の家族でもあるまいに」

 どことなくむっつりしているヴァシル様。私はびっくりして言う。

「なぜって、私が言い出したことですから。お客さん然としてるわけにはいきません」

「お茶などいいからさっさと始めればいいではないですか」

「今日はお茶も大事なんです! 雰囲気づくりとして!」

「ではあなたも飲んだらどうです」

「じゃあいただきます。イリアンとリラーナにもごちそうしていいですか?」

「いいでしょう。『私とルイ』からの手土産としてね」

 ポップが私の背後で笑い転げている。

『ぶはは! あくまでも師弟セットにこだわるな、ヴァシルは!』

 ああもう、何がなんだか。


 ふと、イリアンがヴァシル様を見て言う。

「あの……ヴァシル師とルイは、いつもこんな感じなんですか。それこそ、なんだか家族みたいだ」

「ええ、いつもこうです」

 表情が柔らかくなったヴァシル様は、ようやくカップを手にする。

「さあ、イリアンたちも飲みなさい」


 ……機嫌、戻った? やれやれ。 


 イリアンの家のカップにお茶を注ぎわけ、リラーナのお茶に蜜を入れて甘くするなど何だかんだごたごたして、ようやく一段落。


 私は立ち上がった。

「それじゃあヴァシル様、そろそろ」

「そうですね」

 ヴァシル様も立ち上がる。

「始めましょう」


 イリアンの家の庭は地面が土なので、ヴァシル様はあの蝋石みたいな石ではなく、木の枝で調香陣を書いた。

 私はそこに、持参した植物を置く。そして、庭で摘ませてもらったジャスミンも、置いた。


 まだ見ぬエクティス……来てくれるかな……


「始めます」

 私は深呼吸した。今日の調香は、いつもと違う。

 大精霊たちを、お茶会(・・・)に誘うのだ。


「お菓子の用意! 甘酸っぱいカシス、ふわっとブラックペッパー!」

 まずはトップノートの呪文。

 ぽんっ、と宙に【果実】のシトゥルが現れた。

『お菓子にカシス、素敵ね! 甘酸っぱく香れ!』 

『大人の菓子だぜ! ブラックペッパーの隠し味を!』

【スパイス】のポップがシトゥルとハイタッチ。フルーティで爽やかな香りに、スパイスの香りが風味を添えた。


 次の香り、ミドルノートだ。私は呼びかける。

「お茶を淹れて、クラリセージ!」

 【草】のビーカ少年が現れた。

『へぇ、お茶会だっ。お招きどうもー。お茶の香りをどうぞ!』

 クラリセージは、ほんのり紅茶の香りを思わせるハーブだ。 


 そして、ミドルからラストへ。

 私はお腹に力を入れた。

「一日の終わり、大人の夜のお茶会、ジャスミン香る異国の庭で。フロエ、エクティス、さぁどうぞ!」


 目の前に紫色の風が流れ、まずはフロエがふわりと姿を現した。フロエは私に微笑みかけてから、ジャスミンの木に寄り添う。

『姉さま、みんなでお茶にしましょう……?』


 すると。


 宙に、ぽっ、と、淡い黄色の光が点った。

「あっ……」

 息を呑んでいると──


 癖のある肩までの髪は黄色。豊満な身体、ふっくらした唇の、妖艶な女性の姿の大精霊が現れた。

【エキゾチック】の、エクティス!


 彼女は不思議そうに、私を見る。

『あなたが、七番目の精霊母のルイ? 今日は、あなたのお招きなの?』

「初めまして、エクティス。来てくれて、ありがとう」

 ドキドキしながら、挨拶する。


 ポップが飛び出てくると、片手を胸に当てて挨拶した。

『美しきエクティス、オレはポップ。どうぞお見知り置きを。……オレの刺激を楽しんでくれると嬉しいんだが』

 すると、エクティスは微笑み、指先でポップの鼻をつついた。

『その刺激、味あわせてもらったわ。素敵ね』


 うひゃあ、なんだか、この二人がしゃべると大人の色気が!


 エクティスは再び、私に視線を移す。

『美味しそうな香りに、引き寄せられずにはいられなかったの。ふふ……お茶会には、お花が必要ね。ジャスミンの花を差し上げましょう』


 エクティスはフロエと見つめ合い、両手をそっと合わせた。

 高貴で、官能的な、ジャスミンの香りが広がる……


 調香陣の上に、ろうそくの炎のように白い光が揺れた。

 と思ったら、その光は一瞬で弾けた。

 香精の誕生だ!

 きらきらと光りながら、小さな光は庭を巡る。


「やりましたね、ルイ」

 ヴァシル様が微笑んだ。

「あなたの思った通りの香精ですか? 『夜の大人の茶会』は」

「はい!」

 私は大きくうなずいて、大精霊たちを見上げた。


 夜に甘いお菓子で、ちょっと罪な雰囲気。そしてお茶とジャスミンでしっとり華やかに……香りを楽しむこんなお茶会、したかったんだ!

『夜の大人の茶会』香精は、挨拶するように私の周りを回った。


 私はイリアンを振り向く。

 彼は瞬きもせずに、香精の誕生を見守っていた。その横で、リラーナが目をキラキラさせている。

「イリアン」

 呼びかけると、彼はハッとしたように私を見た。私は香精を手に座らせて、彼の前に差し出す。

「このお茶会の様子を、覚えておいて。この雰囲気を、瓶にしてほしいの」


「……ああ」

 イリアンは、大きくうなずいた。

「俺の家で、俺の目の前で調香してくれて感謝するよ、ルイ。よくわかった。俺の持つ技術で、表現してみせる」

『楽しみね』

 いつの間にかエクティスが近くに来ていて、イリアンに微笑みかけていた。  

『夏の終わり、最後のジャスミン……この子を素敵な瓶に入れてあげてね』


 そして彼女は、私を見つめる。

『可愛い子。黒い瞳……エミュレフの人でも、バナクの人でもない……異邦人なのね、ルイ』


 私はうなずいた。

「エクティス……あなたの仲間たちの香りは、ここではないどこか遠くを思わせるの。どうしてかな」

『それはね、ルイ』

 エクティスは、まるで私を憐れむように、私の頭に腕を回して胸に抱いた。

『あなたが異邦人だからこそ、なのよ。周りの人々と……周りの香りと違うからなの。だから、過去は他の人より遥かに遠い』

「……孤独だね」

『そうね。けれど、そう思うのはおそらく、異邦人であるあなただけ』

 エクティスは、声を低めた。

『他と違うものを、このエミュレフは孤独にはしておかない。自分たちと違うものだからこそ、注目する。そして、仲間にしようと試すの』

「どういうこと……?」

『そのままの意味よ。私も、私の仲間たちも、そうしてこの国の香りの一部になってきた。異邦という存在のままでね』

 微笑みながら、エクティスは私から離れる。

『きっとあなたも、試されている。この国での役割を……』


 ──そのまま、彼女はスウッと消えていく。


 気がつくと、調香を終えた大精霊たちは皆、姿を消していた。

 お茶会は、終わったのだ。


 ヴァシル様が静かに立ち上がる。

「帰りましょう、ルイ」

「あ……はい」

 私は、「片づけはやっておく」というイリアンと、眠そうなリラーナに挨拶をして、ヴァシル様と一緒に外に出た。

 お茶会香精が、楽しそうに後をついてくる。


 試されている……私が? それって、香精師になれるかどうかっていう意味なんだろうか。

 それとも、他にも何か、あるんだろうか……

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