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7 植物園は、秘密とアイディアを隠してる

 その日の午後の修行は、珍しくヴァシル様と一緒に植物園に降りてのものだった。


 夏の終わりのアモラは、日本よりマシな暑さとはいえ、それなりに日差しが強い。ヴァシル様は、レースの綺麗な日傘を差していた。これがまた、様になっている。

 いいなぁ、私もこんな風にエレガントに傘を差したいものだわ。


「今日は、この植物園のことでわからないことがあったら、私に聞きなさい」

 ヴァシル様は、日傘を肩で支えてゆったりと歩きながら言う。

「この時期は、大精霊たちが忙しい。彼らがいくらルイに甘いからといって、そうそう時間をとらせるわけに行きません」

「う、はいっ」


 そうだよねぇ、私って大精霊たちに甘えっぱなしだもん。

 今の時期は、香精師たちやその弟子たちが展示会のための香精を色々と作ってみてるんだろうから、大精霊たちもそっちに呼び出されがちで忙しい。私は私でちゃんとやらないと。

 でも、こうやって皮肉りながらも、ヴァシル様が教えてくれるのは本当にありがたいことだ。それに、イリアンのおかげで少し自信も取り戻したし、気合いを入れていこう。

 ジャスミンと合う、私らしくて安心感のある香りを見つけてみせる!


 私は植物園を巡りながら、ヴァシル様を質問責めにした。特に、エクティスに来てもらうためには【エキゾチック】の香りについて、色々と知らなくちゃいけない。

「この高い木が、香りを持ってるんですか?」

 植物園を取り囲んでいる木々の中でも、ひときわ高いその木を見上げて、私は感嘆の声を上げてしまった。

 十メートルくらいはあるかな。細長い葉がたくさんついている常緑樹だ。

「サンダルウッドです。樹皮に香りがあります。精霊が教えてくれるでしょう」

 ヴァシル様に言われ、私は樹皮に顔を近づけた。すると、あのキラキラ、つまり精霊が、香りを送ってくれる。

「わ、知ってる、この香り。白檀(びゃくだん)だ!」

 法事の時、この香りのする扇子を誰かが持っていたような気がする。扇子の骨が、白檀でできていたんだろう。仰ぐとお線香みたいな香りがふわっと……なんとなく仏教的イメージの香りだ。


「甘い……でも木の香りがする」

「【樹木】の仲間が持つ香りも、感じさせることができますね」

「はい」

 私はボードに載せた紙に情報を書き込む。

「他にもあるんですか? エクティスの仲間の香り」

「もちろん」

「教えてください!」


 ヴァシル様に連れられて畑に移動した私は、『パチュリ』というシソみたいな植物と、『ベチバー』という稲みたいな植物を教えてもらった。

「…………」

「どうしました、ルイ」

 畑を離れて歩きながら黙りこくっている私に、ヴァシル様は日傘を傾けて聞く。

「あ、はい。……もしかしたら、日本からこちらに来たときのあの香りには、この【エキゾチック】系の香りが入ってたのかもしれないと思って」

 私はたどたどしく説明する。

「土っぽさっていうか、苔みたいな香りがあった……と思うんですよね。湿った森の中みたいな。そういうのって、エキゾチックな感じがします。私は、ですけど」


「…………」

 今度はヴァシル様が黙ってしまった。

「……どうかなさいました?」

「いや」

 無表情で、ヴァシル様はつぶやくように言う。

「ルイにジャスミンを扱わせるのは、やめておいた方が良かったかもしれない」


「えっ?」

 私は戸惑った。

 どうして急に、そんなこと? 


 ヴァシル様は空を見上げる。

「帰ることばかりに気を取られていると、目の前の仕事を失敗しますよ。さて、私はそろそろ戻り……」

「ま、待ってください!」

 私は思わず、ヴァシル様を見上げながら訴えた。

「もう少し、一緒にいてください!」

 ヴァシル様は驚いたように少し顔を引いた。

「な、なんですかルイ、そんな顔をして」

「あの、だって」


 自分でも、よくわからなかった。

 日本に帰るためにはヴァシル様に頼るしかないし、実際にヴァシル様は私に色々教えてくれる。でも時々、本当にこのままでいいのかな、という気持ちが心の片隅に湧いてくるのだ。

 それはたぶん……ヴァシル様が、私に何か隠しているからだと思う。

 多くのことを教えてくれる一方で、わざと教えてくれていない肝心なことが、たぶん、ある。そんな気がする。

 今、【エキゾチック】の香りが何かのきっかけになったような手ごたえがあった。直接教えてもらえなくても、こうやって少しずつ謎に近づいていくことはできるのかもしれない。


「教えてください。私、まだまだ聞きたいことがたくさんあるんです。ほら、あの、今日は、わからないことは教えてくださるっておっしゃったじゃないですかっ」

「……………………全く。一瞬、変な勘違いをしそうに……」

 ヴァシル様は何やら、気まずいような表情で目を逸らした。

 この貴重な時間に、とにかく何か質問しようと、私はあたりを急いで見回す。


 そこはちょうど、果樹園のあたりだった。

 あ、そうだ、【果実】のことでも聞きたいことがあった! 


「あの、【果実】にはオレンジやレモン以外に、香精を生む精霊はいるんですか?」

「……ありますよ。こちらです」

 ヴァシル様は少し移動すると、私の背より少し低い木を指さした。

「カシスの木です」


 えっ、カシス?

 そうだ、ここは前に厨房メイドさんに教えてもらった場所だ。


「でも、前に実を摘んでみたときには、精霊が見えなかったんです」

 言うと、ヴァシル様は茂みに手を入れた。ぷつん、と葉を摘み、私に差し出す。

「香精の元になるカシスの精霊は、実ではなく、葉の新芽にいるのです」


 実じゃなかったのか……!


 葉を受け取ると、本当に、キラキラした精霊の光が見えた。目を閉じて、香りを感じてみると、葉っぱなのにフルーティな香りがする。

 日本で見たアロマのお店に、カシスの精油なんてあったっけ? あったとしても、きっと珍しいに違いない。


 カシス──ブラックカラント。ブラック、か。


 課題に使うジャスミンは、夜香木。

 色のイメージが、繋がった。でも、これだけじゃまだ足りない……


 そこへ、声がかかった。

「ヴァシル様!」

 家政婦長の、アネリアさんだ。手に、ガラスのデキャンタのようなものを載せたトレイを持っている。

「飲み物をどうぞ。ずっと外にいらっしゃるでしょう。ルイ、あなたもよ、ちゃんと水分をとらないと」

「あ、ありがとうございます! いただきます!」


 しまった、夏の植物園でヴァシル様を引っ張り回してたのに、そういうことに気が回らなかった!


「ここに置きますね」

 アネリアさんはガゼボの椅子にトレイを置き、二つのカップに飲み物を注ぎ分けると、一礼して仕事に戻っていった。


 鳥かごのような形のガゼボは、木陰になっている。ここで香精陣を書くことがあるため、テーブルは置かれておらず、中に大理石のベンチがぐるりと作られていた。

 ヴァシル様は中に入り、ゆったりと腰かける。

「ルイも座って飲みなさい」

「あっ、はい、ありがとうございます!」

 ありがたく座って、カップを手に取った。

 ミントティだ。デキャンタごと水で冷やしてから持ってきてくれたのか、冷たくてスーッとして、とても美味しい。


「お疲れですよね、申し訳ありませんでした」

「いや、暑かったけれど、私はそれほど疲れていません。精霊たちが力をくれますからね」

 精霊たちが?

 私はまじまじと、ヴァシル様を見つめてしまった。

「ヴァシル様は、精霊たちに愛されているんですね」


 ……そんな話を、誰かとしたような。

 そうだ、アネリアさんに聞いたんだ。精霊に特別に愛された人は、寿命が延びて、不思議な力を持つ。そして、国に恩恵をもたらすから『精霊王』と呼ばれるって。

 エミュレフ公国は『精霊王』の誕生を待っているから、王の座は空けてあって、大公が国を治めている。

 ……待っている、ってことは、精霊王は今はいないんだよね。ヴァシル様は違うんだ?

 ヴァシル様が精霊王でも、私、全然驚かないけどなぁ。だって、初めてお会いしたとき普通とは違うオーラをまとっていたから、神様かなと思ったもの。


 綺麗にウェーブした白い前髪が、そよ風に揺れる。長いまつげが伏せられ、カップに薄い唇が触れる。

 その琥珀色の瞳が、私の方を向いた。 

「何です?」

「あ、いえ、すみません」

 私はあわてて顔を伏せ、お茶の残りを飲んだ。


 芸術品みたいで、つい見とれちゃう。こんな綺麗な人とお茶してるという非日常……ふわふわした気分になっちゃうな。

 そうだ、お茶。イリアンの家に行くとき、お茶の葉を持って行くのを忘れないようにしないと。そして、彼の家の庭でヴァシル様にお茶を飲んでいただく。


 お茶。

 庭。

 ジャスミン。

 夜。

 そして、カシス。


 脳内のどこかで、白い光がフラッシュした。


「来たぁ! これだ!」

 私は思わず、立ち上がった。ヴァシル様が目を見開いて、私を見上げる。

「な、なんです?」

「香精展に出す香精の、イメージが固まったんです!」

 私は興奮して、拳を握る。


 私が出展する香精の一つは、レモンペッパー。明るい陽光の元で目覚めるような、そんな香り。

 そして、今思いついた香りは、それと対になるような香りだ。


「もう一つかふたつ、香りがあれば、その通りにできるはず……!」

「ほう」

 ヴァシル様はカップを置き、面白そうに目を細めた。

「よろしい。それでは明日の夜、イリアンの家に行きましょう。彼に連絡しておきなさい」

 私はごくりと喉を鳴らしてから、うなずいた。

「はいっ!」

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