4 相棒イリアンとの打ち合わせ
そんなわけで、翌日の午後は修行をお休みして、私は香芸師ギルドに向かった。
「失礼しまーす」
ホールの玄関からのぞき込むと、天井から大きなガラスの地球儀のようなものが、鎖でいくつもぶら下がっている。香精瓶をつくるための炉、『硝炉』だ。
ガラスの球の下には、寝かせた舵輪に似た装置があり、硝炉の中を加熱したり素材の形状を変えたりできるようになっている。
真ん中あたりの硝炉の前で、ここの親方が私の方を振り向いた。手招きされる。
「おう、ヴァシル師んとこのルイ、こっち来い」
「こんにちは、親方!」
駆け寄って挨拶する。
骨太がっちりタイプの親方は、香芸師の伝統の技を受け継いだ熟練の職人だ。新しい香りがどんどん生まれる中、伝統の素晴らしさを今に伝えている。
「香精展のことで来たんだろ? 割り当てが発表になったからな。ルイの担当はイリアンでいいか?」
「あ、はい、イリアンにお願いしたいと思ってました!」
私が言うと、親方は満足そうにうなずく。
「だろうだろう。イリアンもあんたとやりたいと思ってたさ」
「俺はそんなこと、一言も言ってませんが」
苦々しい声に振り向くと、頭に布を巻いて後ろで縛り、作業着みたいな格好をしたイリアンが立っていた。前にお屋敷に来てくれたとき以来なので、二十日ぶりくらいに会う。
「そうかい? ルイとの仕事は面白かったと言ってたじゃねぇか」
親方がイッヒッヒと笑った。イリアンは紫の目を細める。
「でもこいつは客のこと考えないから、香精展でウケそうな瓶は作らせてもらえなさそうな気がしますよ」
ぐさっ。
レモンペッパー香精の瓶を、流行のものに全然合わせなかった私なので、イリアンの言葉は身に覚えがありすぎる。
「そ、そんなことないよ、香精第一なだけで! お客さんのことも考えます!」
とりあえず反論してみたものの、イリアンは
「客は香精の二の次ってことだろ」
とバッサリ。
「おいおい」
親方はとうとう爆笑した。
「意外な組み合わせだが、やっぱり気が合うな、お前らは! ほれ、さっさと打ち合わせしてこい」
「……ウッス」
イリアンは肩をすくめ、私に顎をしゃくった。
二階、イリアンの作業部屋に入ると、私は部屋をぐるりと見回した。
「リラーナがいない……リラーナは?」
「ああ、学校に行ってる」
イリアンの言葉に、私はびっくりした。
「学校!」
「まあ、小さい子どもばっかの、読み書きだけやるようなところだけどな」
彼はふと、表情を柔らかくした。
「母の香精が元気になったおかげで、リラーナも元気になったんだ。外に出る気力が湧いてきたらしい。それで、学校に行ってみたいって、自分から言い出してさ」
「大丈夫? 頑張りすぎてない?」
「ああ、たぶん。他の子たちに歓迎されて、嬉しそうだった」
それならよかった! 行きたくても行けなかったんだろうね、学校。
「……俺たち兄妹は、父親を知らないんだ」
イリアンが、デザイン画を書くための紙を用意しながら言う。
「俺の父は早くに亡くなったらしいし、リラーナの父親については母は何も言わないままだった。母がずっと、織物や刺繍の仕事をして俺たちを育ててくれた。香精師のローブも、母の仕事先が手がけてる。リラーナはそんな母が誇らしくて、母べったりだったから、亡くなったときは本当に辛そうだった。身体の一部を持って行かれたみたいに、どうしていいかわからないような感じだった」
「それで、ずっとここで過ごしてたの?」
「家に一人にしておくわけにいかないからな。俺が出勤するときに連れてきて、帰宅するとき連れて帰ってた」
「そう……」
まだ手のかかる年頃だ。食事とか色々、イリアンも親代わりになって苦労してるんだろうな。
そう思っていると、イリアンは続けた。
「あんたとの仕事がきっかけで、リラーナは香精師になりたいと思ったらしい」
「わぁ、私なんてまだ見習いなのに……でも嬉しい!」
「というわけで──」
彼は作業台のスツールに腰掛けながら腕を組んだ。
「あんたの瓶をまたやってもいいって気持ちは、まあ、あったんだ」
「ほんと?」
嬉しくてちょっとドキドキしていると、イリアンはニヤリとして言った。
「ルイはまだ見習いだしな。ルイの瓶なら、こっちも色々冒険できるし」
「何、そういうことー!?」
確かに、大御所の香精師の瓶を請け負ったら、尖った意見は言いにくいのかもね。その点、私相手なら好き放題言える、と。
「まあいいけどね。私も助かったよ、イリアンと一緒で。不安で仕方なかったんだもん」
正直なところを言うと、イリアンはちょっと目をそらして顎を撫でた。
「そ、そうか」
「うん。だってヴァシル様の弟子として出すんだよ、緊張感半端ないって。……あ、それならさ」
私もスツールに座り、台の上に身を乗り出す。
「どんな香りを作るか、っていうところから、一緒にやらない?」
イリアンは目を見開く。
「はぁ?」
「だって、イリアンも一応、まだ見習いなんでしょ。展示会って、香精師だけじゃなくて香芸師も、お客さんに名前を売るチャンスなんじゃないの?」
「そりゃあ、そうだが」
「リラーナに恥ずかしいところ見せられないし、今の段階からイメージを共有してれば、きっといいものができるよ。ね、やろう!」
重ねて誘う。
イリアンはまた、ちょっと目を逸らしていたけど、
「……別に、断る理由はないな」
とうなずいた。
よっしゃ、決まり!
「イリアン、もしこういう香りを使いたいとか、何か希望があれば言ってみて」
「ルイはどうなんだよ。やってみたいことはないのか?」
「うーん……もう一つ展示するのが、レモンペッパーなんだよね。だから、それとは雰囲気を変えたいな。あと、あえて言えば」
私はポップをちらりと見た。
「ポップ。エクティスって、私なんかにも協力してくれるかな」
『お、そっち系か!』
ポップはばっちーんとウィンクした。
『会えさえすれば、オレの魅力全開で口説いてやる。任せろ!』
……心配だ。
大精霊の声が聞こえないイリアンは、私がポップと話し終えるのを待っている。私は説明した。
「今、ポップを入れて七人の大精霊がいるんだけど、【エキゾチック】の大精霊エクティスには、私はまだ会えてないの。気まぐれ屋さんなんだって。会いたいし、もし会えたら貴重な機会だから、エクティスと一緒にやってみたいと思うんだけど」
「ふーん。でも、会えなかったら話にならないわけだろ」
「まあね」
この間、バラにイランイランが合うということで花を摘んでみたけど、ヴァシル様に調香陣を書いてもらったにも関わらず、呼び出せなかったのだ。
二人でウーンとうなっているところへ、開けっ放しの扉から小さな姿が入ってきた。
「おにいちゃん、ただいま。……あ! ルイ! ポップ!」
リラーナだ。
ツヤツヤした褐色の頬、キラキラ光る紫の瞳、一本の三つ編みにした長い栗色の髪。元々、リラーナは可愛い子なんだけれど、嬉しそうに笑った顔はもうこっちがメロメロになるくらい可愛い。胸に、あの紫色の香精瓶を下げている。
「リラーナー! ちょっと久しぶりだね、元気だった?」
仕事モードをいったんオフにして、すちゃっ、とリラーナの方に向き直る。リラーナは駆け寄ってきた。
「ルイ、またおにいちゃんとお仕事するの!?」
「そうだよー、よろしくね!」
「やったぁ!」
ぴょん、とジャンプしたリラーナは、ポップにも目を向けた。彼女は大精霊を見ることができる。
「また遊んでね、ポップ」
『我が麗しのプリンセス、喜んで』
作業台の上、ポップは短い足でちまっと片膝をつき、まるで騎士のような挨拶をした。
はにかんだリラーナは、じっとしていられないのか、作業台に捕まってまたぴょんぴょんする。
「ルイ、こんどはどんな香精さん?」
「実は、これから決めるの。そこからイリアンと一緒にやろうと思って」
私は、持ってきた籠の中から一輪の花を取り出した。黄色い花、縮れた花弁、南国の香り。イランイランだ。
「このお花の大精霊と、一緒にやってみたいなーって思ってるんだけど、なかなか会えなさそうなんだよね」
「ふぅん」
リラーナは花の香りを嗅ぎ、「いい匂い」と笑う。
そして、こう言った。
「ルイ、こんど、わたしのすきなお花もつかって、香精さんつくって!」
「もちろん、いいよ。リラーナの好きな花って、なんていう名前?」
「えっと」
リラーナは思い出すように、視線を上に向けた。けれど思い出せないらしく、しばらくウーンとうなった後で、イリアンに目を向ける。
「おにいちゃん、なんだっけ……窓からいいにおいするの……」
「ああ」
イリアンが顔を上げた。
「ジャスミンだろ」