2 異国への憧れを感じる香り
歩き出した私に、ポップが話しかけてくる。
『ルイ、今日は何してるんだ?』
「バラの香りに合う香りを探してるとこ。これから果樹園に行ってみようと思って」
『ああ、フロエとシトゥルは仲いいもんな!』
がくっ。
「なぁんだ、ポップは大精霊たちの交友関係、詳しいの!? それなら必死になって集計しなくても、最初からポップに聞けばよかったぁ」
『オレは最初から君の僕だって言ってるだろ? なんでも聞いてくれよ。で、何を集計したって?』
ポップに聞かれ、私は香りの相性の話をした。ポップは短い手を頭の後ろで組んで言う。
『ふぅん、なるほどねー。でも、別にどの系統の香りでも、合うものがないわけじゃないだろ? 意外な組み合わせを探すのが面白いんじゃないか!』
「うっ。ま、まあそうなんだけど、一つの指針としてね!」
闇雲に探すよりはいいかと思ったんだけど、そうか、ありきたりの組み合わせになっちゃうかもしれないかー……
考え込みながら歩いていると、たおやかな声が聞こえた。
『ルイ、何か悩んでいるの?』
「フロエ」
私は振り向く。
咲き乱れるバラの花壇の上に、【花】の大精霊フロエが浮かんでいた。紫の長い髪に紫の瞳をした彼女は、ラベンダーの精霊だ。
私は説明する。
「ヴァシル様にね、バラの香りと合う香りを探すように言われたの。でも、どうしたらいいかわからなくて。ヴァシル様はよく、【花】と【果実】の香りを合わせてるけど」
『ああ、そうですわね。シトゥルとは気が合うんです、わたくし』
フロエは微笑み、そして付け加えた。
『あとは、そうね、エクティスともよくご一緒するわ』
「え、誰? エク……?」
私は聞き返した。
聞いたことがない名前だ。よくご一緒する、って、でも私はヴァシル様の研究室で、それらしい名前を聞いたことがない。
ふふ、と、フロエは笑う。
『そうね、エクティスの姉さまは気まぐれだから。夜の方がよくお姿を現すので、ヴァシル様もエクティスを呼びたいときは夜に呼んでいるわ。ルイは、夜は休んでいるのでしょう? 会ったことがないかもしれませんわね』
「あ、もしかして!」
思い当たった私は、声を上げた。
【花】の大精霊、フロエ。
【果実】の大精霊、シトゥル。
【草】の大精霊、ビーカ。
【樹脂】の大精霊、ハーシュ。
【樹木】の大精霊、トレル。
そして、【スパイス】の大精霊、ポップ。
私、まだ六人しか会っていないんだ。ポップは七番目の大精霊として生まれたんだから、元々いた大精霊がもう一人、いるはず!
「エクティスって、大精霊なの? なんの?」
勢い込んで私が尋ねると、フロエは夢見るような目で空を見上げた。
『そうね……なんて言えばいいのかしら。ここではないどこかへの、憧れのような香り』
「ここではない、どこか……?」
つられて、空を見上げる。
穏やかに晴れた日で、赤レンガの侯爵邸は優しい陽光に照らされている。その上に、まるで空飛ぶ絨毯みたいな形の雲が浮かんでいた。
あの絨毯に乗って、家に──『カフェ・グルマン』に帰れたらいいのに。
「……ここではないどこか、かぁ。エクティスの仲間には、日本を思い起こさせる香りもあるのかな」
私がつぶやくと、ポップがあわてた。
『ル、ルイ、落ち込まないでくれ。今はフロエに詳しい話を聞こう、なっ? たぶん、ここではないどこかというのは、この国の人から見て、という意味だと思うぜ』
その言い回しが気になり、私は首を傾げる。
「どういうこと? この国の人たちが憧れるような場所があるの?」
『バナク、という国を知っていますか、ルイ?』
フロエに聞かれ、私はうなずいた。
「隣の国でしょ? 昔、このエミュレフ公国と戦争してたっていう」
香芸師のイリアンと、その妹のリアーナが、バナクの血を引いていると聞いた。
フロエはゆったりとうなずく。
『そうですわ。バナク、というのは元々は国の名前ではなく、古い歴史を持つ民族の名前。その、遙か昔のバナクに、エミュレフの人々は惹かれているの。だから、そのころのバナクの文化を、刺繍や家具の意匠に取り入れているんですのよ』
なるほど……それって、いわゆるフォークロアみたいな感じなのかな。日本でも、異国の民族衣装のデザインを取り入れた服がある。夏はエスニック柄のワンピースをよく見かけたし、他にもラテンアメリカ風の柄のチュニックとか、インド風の柄のラグマットとか。
そういえば、前にイリアンがヴァシル様のところに来たとき、変わった柄の服を着てた。すごく素敵だったなぁ。
そんな、異国への憧れを感じる香りに、【花】や【スパイス】みたいに名前をつけるなら──そう、【エキゾチック】。異国風の香り。
「エクティスは、【エキゾチック】の大精霊、っていう感じなのね。フロエ、エクティスは何の植物の精霊なの? この植物園にあるかな?」
『ええ、ありますわよ。いらっしゃい』
フロエは快く、私を温室に案内してくれた。
温室の奥、熱帯のものらしき植物がある一角に、その木はあった。
ほっそりした背の高い木に、黄色い花が下を向いて垂れ下がるようにいくつもついている。花びらがくるくると縮れていて、なんだかおしゃれだ。
『イランイランの花ですわ』
フロエに教えてもらいながら、私は手を伸ばしてその花を摘んだ。
わあ、南国っぽい香り! 甘くて濃厚だ。確かにこれは、エミュレフ公国生まれという感じはしない。異国を思わせる。
「華やかな香りがするね!」
『エクティスは、このイランイランの精霊なんです。バラとも合いますわよ』
なるほど、【エキゾチック】のセンターはイランイラン、と。
『……やはり、姿をお見せにはなりませんわね』
当たりを見回すフロエの視線を、私も追う。温室の中は静かだ。
『っくーぅ、ますます憧れを駆り立てられるなぁ! エクティスお姉さま、かー』
ポップは何を想像しているのか、くねくねしている。
私はイランイランの木に向かって、声をかけた。
「エクティス、私はルイ。ヴァシル様のところで香精師の修行をしているの。イランイランの花を少しもらっていくね。いつか、私もあなたと一緒に香精を生み出させてね」
……ふっ、と甘い空気が動いたような気がしたけれど、それだけだった。