5 他の香精師の、弟子
立ち上がり、ふと見ると、女の子がじっとこちらを見ていた。
私は少しだけ台に近寄り、ほどほどの距離を置いてしゃがみ込むと、目線を合わせた。
「遊んでたのに、騒がしくしてごめんね」
『プリンセスのお部屋を騒がせ、申し訳ありません』
私の頭の上で、ポップがポーズを取っている(らしい)。
どうやらポップが見えているらしい女の子は、ようやく少し顔をほころばせた。そこで、名前を聞いてみる。
「私はルイっていうの。あなたは?」
女の子は小さな声で、でもすんなりと答えた。
「リラーナ」
「リラーナ、よろしく。その胸の香精瓶、綺麗な色で、とても素敵ね」
褒めると、リラーナは瓶を手にして、おずおずと私に見えやすいように持ち上げた。
瓶の中から、するりと香精が外に出てくる。リラーナの周りを、くるりと一回転。
ああ、気持ちいい! まるで森にお花を摘みにきたみたいな香り。ちょっとスーッとして、甘くて、すごく落ち着く……
けれど、香精はすぐに瓶に戻ってしまった。おとなしいなぁ。
「いい香り……。この瓶は、お兄さんが作ったの?」
「うん。でも……」
「ん?」
「香精さん、元気、ない」
リラーナは寂しそうだ。
……確かに、香りが少し弱いような気がする。
どんなにその香精にぴったりの瓶を作っても、いつかは出て行っちゃうらしいしなぁ。そろそろなのかもしれない。お気に入りの香精だったなら、悲しいよね。
「この香精さん、もう長いこと持ってるの?」
「おかあさんが、しんじゃうまえに……スラタスのお花が咲いてたとき、もらった」
うう、ヘビーな話だった。お母さん、亡くなってるのか。軽々しく聞いて悪かったな。
スラタスの花の咲く頃というのがいつなのかわからなかったけど、私はそれ以上聞けずに立ち上がった。
「大事な香精を紹介してくれて、ありがとう。リラーナ、また来るからおしゃべりしようね」
「ん」
リラーナはまた微笑んでくれたけれど、結局、台の下からは一度も出てこなかった。
かぁわいいなぁー。あのイリアンって香芸師は険がある感じだけど、リラーナは本当に可愛い。浅黒い肌もなめらかで綺麗で、この子こそお菓子の妖精か何かみたい。
リラーナに癒されながら、私は部屋を出て階段を下りた。
ホールまで下りて、ちらりと見ると、ガラスの地球儀の周りに大勢の香芸師たちが集まっている。何か見学しているようだ。親方の技を盗んでいるところなんだろう。人垣で何も見えない。
『おっ、面白そうだなっ。オレちょっと見てくるぜっ』
ポップが地球儀の上へと飛んでいった。でも、私はここで立ち尽くして待ってるわけにもいかないしなぁ。
「じゃあ、先にゆっくり行ってるよ。……失礼しましたー」
私は邪魔にならないよう、小声でいうと、ホールを出た。
広場を抜け、門をくぐってギルドの外に出ようとした時だ。
不意に、通りから誰かが入ってきて、ぶつかりそうになった。
「!」
「あ、すみませんっ」
お互いにぎりぎりで避け、私は軽く頭を下げる。
「いえ……あ」
相手が声を上げた。
顔を上げると、目の前に立っていたのは私と同じ、オリーブ色のローブを着た女性だった。
おおっ、香精師の弟子? 私みたいに、お使いで来たのかな。
親近感が湧いて、笑顔でもう一度会釈をしたんだけど──
ミュージカルのヒロインみたいな短いカーリーヘアは、プラチナブロンド。十代後半に見える彼女は、一度目を見開いてから、不機嫌そうに眉根を寄せた。
……あらら?
「あなた、それ、どこで手に入れたの」
クルクルの髪に縁取られた細面、大きな眼鏡の向こうの青い目は、私のペンダントを見ていた。
「これ? 師匠が、かけていきなさい、って」
「師匠って?」
「ヴァシル師だけど……」
正直に言うと、眼鏡の彼女は神経質そうに首を横に振った。
「ヴァシル師は、弟子を取らない」
「ああ、今までそうだったらしいね。だから、私が弟子になったって話すと、みんなに驚かれて」
「…………」
彼女はため息をつき、中指で眼鏡を直した。
「言うだけならタダだと思っているのかもしれないけど、ヴァシル師にご迷惑だよ」
中性的なしゃべり方が特徴的な人だなぁ。
……ん? ちょ、疑われてる?
「そんなこと言われても……後はヴァシル様に確かめてみて」
「やれやれ。まあ、もし本当だったとしても」
彼女が腕組みをすると、ひょろっとした身体つきがわかる。
「どうみても異国の人間が、ヴァシル師に特別扱いされていることを言いふらしているわけだ。繊細な感覚を求められる香精師の仕事は、我がエミュレフ公国と強く結びついている。国の誇りを持たない図々しい文化の人間がこなせるとは思えないね」
「そ、そうかな」
ええっ? 日本人としての私、ディスられてる?
初対面の人にそんなことを言われ、あっけに取られながらも、私はあたふたとペンダントを外して籠に入れた。確かに、行く先々で騒がれるのはちょっと、と思ったのだ。
彼女は小刻みにうなずく。
「そう。それでいい」
「ご、ご忠告、どうも。あ、私はルイって言います」
「私は、ルミャーナ師のところで修行中のキリル。お見知りおきを」
彼女は言うと、さっとローブを翻してせかせかとギルドの中に入っていってしまった。
「…………なんだったんだ」
見送っていると、入れ替わるようにピューンとポップが飛んでくる。
『ルイ、待っててくれたのかい? 美しき母上を待たせるなんて、オレはなんという罪深』
「ポップがいなくてよかったかも」
『なんとぉー!? ル、ルイ、待たせて君を怒らせるつもりじゃなかったんだ。オレはただ、君の代わりにさっきの親方の仕事を見ようと』
ポップがいたら、あのキリルにめっちゃ突っかかっていっただろうからなぁ。香精師の弟子なら声も聞こえるだろうし、揉めたはず。うん、いなくてよかった。
「帰ろう、ポップ」
『き、聞いてる? ルイ』
「聞いてる聞いてる。イリアンの親方の仕事、どうだった?」
『いやー、それがなんとも言葉に表しにくいんだ。今度ルイのその美しい瞳で直に見てみるといい』
「結局なんの役にも立たないじゃん」
『あちゃー!』
「あちゃー、じゃないっ」
私たちは侯爵邸への帰路についた。
翌日、朝食を終えた後、昼食の仕込みが始まるまでの時間に、私はヴァシル様の従者をしている男性に会いに行った。
従者、つまりヴァシル様の身の回りの世話をする人に、頼みごとがあったのだ。
「香精瓶を注文してこなくちゃいけないんですけど、ヴァシル様の服に合わせたいんです。ローブ以外にどんな服を着てらっしゃるのか、見せていただくわけにはいきませんか?」
「ああ、いいよ」
意外にもあっさりと、金髪の若いイケメン従者は衣装部屋に入れてくれた。小部屋いっぱいの服に、私は目を丸くする。
「カラフル!」
「うん。ヴァシル様は白い御髪に紅茶色の瞳をしてらっしゃるから、割と何色でもお似合いになるんだよね」
従者さんは、ハンガーにかかった服を一つずつずらして見せてくれる。たっぷりしたガウンみたいな服が多い。
「ええと……お気に入りの服は」
「あまりこだわりのないお方なんだよね。ああ、でも先月まではしょっちゅう神殿にお出かけで、この辺はよくお召しになってたかなぁ」
群青色に金の刺繍の入ったガウンと、深い赤に黒の刺繍の入ったガウンを従者さんは示した。
「神殿に、しょっちゅう?」
「うん、なんの用事だったのかは知らないけど。でも、精霊の力を借りて香精を作るのが香精師だから、精霊の加護を願いに行く香精師は多いんだ」
ふーん。私も一度はお参りに行こうかな。
とりあえず、レモンの黄色が合う服は多そうだ。それに、ヴァシル様の瞳の色もいいな。
「ありがとう、参考になりました!」
従者さんにお礼を言うと、私は昼食の仕込みのため、厨房に急いで戻ったのだった。