七、悪霊
晶凛が仕上げに紅を引くと、美女が完成した。
小間使いとして呼ばれたのだが、男性を女性に変身させることは単純に面白い。
我ながら上出来、と晶凛は満足げに頷く。
「完成です。今日はどんなご用で雷国へ?」
「どうやら私の力が必要らしいな」
切れ長な目は中性的で、女性の姿をしていると謎めいた美しさを発している。風国の皇帝の風帝だった。
雷帝に弱味を握られているのか、徴集がかかると半ば強制的に、山一つ隔てた風国からやってくる。
✤✤✤✤
「あら、風帝の忘れ物……?」
風帝が部屋から去った後に、晶凛は机の上に扇が置いてあるのを見つけた。
こっそり開くと、優美な鶴が細かい筆致で描かれている。大切なものに違いない。
扇を手に握り、風帝の後を追いかける。
✤✤✤✤
雷帝と風帝は宮廷の地下を歩いていた。
「今回はどうして私を呼んだのです?」
「まあ、見てみればわかる」
暗闇に沓の音が反響して、雷帝の持つ松明の光がおぼろげに揺れる。
雷帝は一点で立ち止まり、松明を壁に差し入れる。
湿気のある不快な臭いがして、風帝は袖で鼻を隠した。
「ここは……」
「牢屋だ」
格子扉で仕切られていた。人の気配に気づいたのか、囚人が目覚める。
「美女を出せえ! 美女を出せえ!」
「元は善良な町人だったらしいが、悪霊にとりつかれてしまったらしい」
雷帝は困ったように手を広げた。
風帝は、そんなことで呼ばれてしまったのかと、顔面蒼白になる。
「美女と言えば。傾向の美女、風春しか知らぬ。さあ、風春。迷える魂を宥めるのだ」
「そんな無茶な…… 」
風帝は言葉を失った。
「ここに美女がおるぞ!」
格子扉を開けると、風帝を招き入れる。
風帝は渋々といった様子で中へ入った。
「美女を出せえ! 美女を……ぬふふふふふ!」
囚人の男は顔を傾けて怪しい笑いを浮かべ、風帝に近づく。
風帝は「うっ……」と顔を引きつらせて呻き声をあげた。
抱きつかんばかりだった囚人は、鼻をひくひくさせて数秒停止する。
「おなごの香りがしない。おのれ……! お前は美女ではない。男だな!」
目玉が赤く光り、風帝を睨み付けた。
「バレてしまいましたよ……?」
風帝は首だけを後ろに振り向かせて、雷帝に助けを求める。
「風帝! こんなところにいたんですね!」
階段から降りてくる晶凛の姿があった。
「晶凛殿! 怪しい男がいるから、それ以上近づくでない!」
人払いをしていたので、監視の目もなく簡単に牢屋へ行けてしまったのだろう。
晶凛は足を止めて牢屋の中を見た。
「あら、そちらの方。かなり骨盤が歪んでいますよ?」
「晶凛、囚人のことは気にするな」
前へ進むのを雷帝が慌てて止めに入る。
「そんなに骨盤が歪んでいたら、体の至るところに不調が出ます。一度私に任せてもらえませんか」
囚人の立ち姿はよく見てみると、左右が傾いていた。不憫に思ったのか、晶凛は雷帝に承諾を求める。
「……わかった。囚人が少しでも不審な動きをするようなら即刻切り捨てよう」
「それじゃあ、整体させていただきます」
晶凛が牢屋の中に入ると、「今度こそおなごじゃ……」と呟くが、雷帝の指先が動いたのを見ておとなしくなる。
囚人を横に寝かせると、指先と指の腹を使って、骨盤の位置を整えていった。
「終わりましたよ。血の巡りも良くなって、体が楽になったはずです」
囚人は恐る恐る立ち上がると、「体が軽くなった!」と歓喜の叫びをあげる。
「――このようなおなごが整体をしてくれるから、生きた状態で会いたかったわぃ」
囚人は遠くを見てポツリと言った。
晶凛が振り返ると、囚人は音を立てて倒れていた。安らかな顔をしていた。
「死んでいるの?」
「大丈夫だ。悪霊が成仏したようだ。宿主は生きている」
風帝は囚人の息があるのを確認した。
「……美女じゃなくても大丈夫だったんだな」
一人ごちた雷帝に、晶凛は「どういうことですか?」とムッとした表情で見返した。