二、邂逅
晶凛の朝は挨拶から始まる。
「おばさん、おはよう!」
「あら、今日も早いね晶凛。また今度お店に
行かせてもらうよ」
整体の仕事で使う布を干しながら、通行人に話しかけた。
呉服屋の屋敷の一角を借りて整体屋を営んでいる。
晶凛が物心がつく前に両親を亡くしていた。
叔父に引き取られ、何か商売を始められないかと体の構造について勉強するようになった。
体の構造の研究をするうちに、整体に行き着いたのだ。
「叔父さん、これ今月の家賃ね」
「晶凛。気を遣わなくていいのに」
呉服屋の屋敷の玄関で、晶凛が差し出したお金を叔父は渋々受けとる。後見人となった叔父に少しでも養育費を返すのに、整体の稼ぎが少しでも足しになればと思っていた。
「お店も起動に乗り始めたな。まあ、私は早くお嫁に行ってもらって幸せに暮らしてほしいところだけど。親代わりとしてはね」
「今はそんなことよりも働いている方が楽しいよ。皆が元気になっていく姿を見るのが私の幸せなの」
そう言いながら整体屋の中に入り、開店の準備を整える。
晶凛は何人か並んでいる人たちに声をかけて、店の中に案内する。
「今日はどうしましたか?」と晶凛はおじいさんに話しかける。
「股関節の調子が悪くてね……。歩きにくいんだよ」
「うつ伏せになってくださいね。ちょっと痛いですよ」
お客さんの足を持ち上げて左右に動かしながら調整していく。
「どうですか? 軽く歩いてみてください」
おじいさんは体を起こしてゆっくりと二、三歩進み、「治った!」と呟いてから気持ち早歩きになる。
「晶凛ちゃんはすっかり人気者だよ。次もよろしくね」
順番を待つ一人が感心したように言う。
客足が耐えることはなかった。
昼を過ぎて、お客が帰ったところで一時の静けさが訪れる。晶凛は布袋に入ったお金を計算する。
「まだやっているか?」
男が入ってきた。見たことのない顔だ。年は二十代くらいか。親しみやすい顔に大きな口は、下町の商人のような風貌だった。
「大丈夫ですよ。さあ中へどうぞ」
晶凛はお金を数える手を休めて、中へ案内する。
「どうしましたか?」と晶凛が尋ねる前に男は話し出した。
「どうしても腰がやられてよ……。たまたま通りかかったんだ。なんとかなるか?」
「どのように動かすと腰が痛みますか?」
「そうだなぁ。ゴミを拾うのに腰を曲げたときかなぁ」
晶凛は男の腰に手を当てて、手の腹で押す。男は「そこだよ!そこそこ!」と言って目でも訴える。
晶凛はふと手を止めた。そして一つの疑問点を口にする。
「均整のとれた筋肉。怒った肩。とくに引き締まった大殿筋。がっしりした骨格に、大きな手……。もしや、あなたは雷帝では?」
男は何を思ったのか、慌てたように手で自分の顔をぺたぺたと触り、首を傾げて頭に「?」を浮かべる。
「そうだが……。なぜわかった」
「顔はいつもとは違うようですが、骨格は変えれませんよね。まあ、戴冠式で一度見かけただけですが」
鬼のような形相。血走った目に大きい唇。泣く子も黙る雷帝のことだった。
「バレてしまったか……」
気を落とす男――雷帝にさらに追い討ちをかけるように、扉が開く。
「探しましたわ! こんなところにいたんですね」
女言葉の従者らしき男が入ってきた。
「いいところだったのだが。せっかくのお忍びが……」
「まだ、仕事は終わっていないわよ」
従者の細身の体からは想像できないが、力が強いようで、雷帝は引きずられていった。
その後、雷帝から気に入られて皇帝付の整体師にならないかと誘われたが、「近所で必要としている人がいますので」と言って断った。
それでも雷帝は懇願し続け、その根気に負けて、晶凛は空き時間に限り整体師として宮廷へ赴くことになったのである。