一、雷帝
「晶凛ちゃん、お手柔らかにお願いするよ」
「任せておいてください。ゆっくり息を吐いてくださいね」
寝台でうつ伏せになる男に、晶凛と呼ばれた少女は返事をする。背中を上から押して、確信したように一点に手を添える。
バキィと背中から大きな音がした。
「痛ってえ!」
「もう、普段の姿勢が悪いから。直すにも一苦労です」
さらに大きな音をして、背骨が矯正されていく。
男は派手な音がするたびに少々涙目になっている。
いや、痛みが逆に癖になって嬉しがっているようにも見える。
「さあ、終わりましたよ。肩回りは楽になったでしょう」
「お、おぉ! これでまた一仕事頑張れる!」
肩を回して、軽くなったことを実感していた。この少女に整体をしてもらうと仕事の進み具合が違ってくる。
「それはよかったです。では私はこれで」
晶凛は寝台の上に敷いていた布を畳み、身支度を整える。時間を無駄にしない性分なのか動きは機敏だった。
「待て、晶凛ちゃん。名残惜しいであろう。なんせ私のからだの隅々まで知っている仲というのに」
「誤解の生む発言はやめてください。雷帝」
晶凛は手を止めて、有無を言わさない目で男を見る。あまりの視線の冷たさに男は「冗談通じねぇなぁ」とぶつくさ言った。
「泣く子も黙る雷帝……まさかこんな人だとは思わなかったけれど」
この雷国の皇帝、通称雷帝。威圧的な統治だが、国を導いてくれるという畏怖があった。
「町の整体屋ではなく、俺専属にならないか?」
「お断りします。他にも待っているお客様がいるので」
晶凛は営業の笑みを顔に張り付けた。
もともと町の整体屋の空き時間で、という契約だった。いつもこの決まり文句を言って、断られるということを繰り返している。
晶凛には気の迷いはない。静かに息を吐いて荷物を取り出ていった。
✤✤✤✤
「またあの子は雷帝に失礼な態度を取って嫌になっちゃうわぁ」
「灯里か」
雷帝は視線だけ動かして、入室してきた文官を見る。女口調だが、長身の男性である。
「このお方は雷国を統べる皇帝なのよ。しかも派遣争いを一人で沈めたと言われる英雄なのにぃ」
「ただの庶民が英雄になってしまうなんて困った時代だな」
「庶民は私もよ。このような場所に登用してもらえて親も大喜びだし」
「それは、試験に受かる実力があったからだ」
皇帝の側近は、貴族の中から家ごとに一定割合で配分していたが、雷帝になってから試験制度に変わった。貴族からの反発は大きかったが雷帝は手腕を発揮して認めさせたらしい。
「さて、仕事をするか」
雷帝は血走った目、大きい鼻、太い眉、削げ落ちた頬というお面を取り出した。それは特殊な素材でできており、何時間着けていても蒸れることはなく剥がれない。遠目からだけでなく近くからでも本物の顔のように見える。
そして、矯正された背中は丸くして猫背になる。しっかりした肩、太く引き締まった二の腕は鬼を連想させる。泣く子も黙る雷帝の出来上がり。
「いつまでこんな変装をするつもり? このままだと肩凝りは解消されないわよ」
「いいんだこれで。次々に来るお見合い話を断るにはこうするしかなかったんだ」
呆れる灯里に雷帝はすかさず言う。雷帝のささやかな想いは隠しきれていなかったが。