潮風の凪
再上昇しているレグスタ。追うコトヨイ。まるで打ちあがるロケット弾のように魔力の青い火花を散らしながら加速する彼女は必死に竜に狙いを定めている。次は絶対に当てたい。
宿る四度目の魔力球。しかし、思えば彼女はこの時、今まで縮まることのなかった竜との距離が急激に縮まっていっていることを疑問に感じるべきだった。レグスタは、巧妙に速度を落とし、突如、空中浮揚の姿勢をとったのである。
先ほども言った。『飛竜』の性質は飛行機というよりヘリに近い。鋼の翼の使いようによってはその場で浮揚状態に持ち込むことができるのだ。
『飛竜』にななめに突っ込むコトヨイ。トラックと自転車の衝突のようなものだ。彼女は弾かれたように体勢を崩し、きりもみ状に空に投げ出された。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
悲鳴とぐるぐる回る世界。杖の制御などできるものではない。それを、空中で拾おうとしているレグスタがいる。
しかし『飛竜』のスロットルが全開になり、彼女を受け止められる場所まで追い抜こうとした彼は見た。
彼女から打ち出された四発目の魔力球、をだ。
予想だにしない一撃。全速力のため舵取りにも限界のある今の『飛竜』で、正面から飛んでくる高速の魔力を避けきれるものではなかった。彼は手綱にしがみついて身体をこわばらせる。
球は操縦席の脇をかすめ、竜の背中を削って通り過ぎた。しがみついた時に若干機首を下げる操作をしたようだ。まぐれであった。
半ば胸をなでおろす彼の眼前に力を失った少女が見える。レグスタは『飛竜』に巧みな操縦を施し、右手で彼女の手首を取った。そのまま手繰り寄せるようにして彼女の細い腰を抱え込み、勢い、レグスタは彼女と目を合わす。彼の珍しく真剣な眼差しが、その様子を見て緩んだ。
「ははっ、かわいいもんだな」
安心したのか、単に限界だったのか。彼女の瞳は彼を映したのと同時にごろりと白目をむいて、そのまま意識を失ってしまったのである。
「アハハハ、やられたのか」
「うるせえな。かすっただけだよ」
「修理が必要な状態をかすったとは言わねえよ」
先ほど『飛竜』が飛び立った後部のフラットデッキから、騎体ごと移動できる巨大エレベーターを使って下りると、そこには竜の格納庫がある。整備課の某に点検を頼んでみれば、えぐられた部分は翼の強度に関わるらしく、そのままでは戦闘行動に耐えられないそうだ。普段、一番騎手などともてはやされてる男がそれである。
「だっせーーーーーー」
『弓槻』の主砲方位盤射手、タカはしきりにそれを馬鹿にしていた。
「しつっけーなぁ。そんなこと言いにわざわざ降りてきたのかよ」
普段は前艦橋の最上部。方位盤に張り付いている男だ。
「違う」
彼は左手を差し出した。
「賭けは俺の勝ちだろ」
「賭け?」
「おめーは負けるといつもとぼけるよな。この航海中、あの女は脱出を図る。……俺の勝ちだろ?」
この二人、ことあるごとに賭け事をしている。レグスタは眉をひそめてそっぽを向き、小金の入った巾着袋を投げてよこした。
「オッケー。で、どうだった?」
「なにが」
「あの女だよ」
「かわいいほうじゃねえの?」
「馬鹿。そんなこと聞いてねえ」
さんざん馬鹿にはしたものの、この男の実力はタカがもっともよく知っている。もともとこの二人は同時期に『弓槻』に乗り込み、ともに訓練に励んできた仲だ。あのような小娘に後れを取った事実がにわかに信じられない。
「どんな風な戦いだったんだ」
「お前よぉ、女を前にして、女の話しないで戦いの内容聞きたいとかアホだろ」
タカは非常に淡白なところがある。頭の中には主砲を如何に速く照準し撃ち出すか……それしかない。
「もっとあるだろ? 髪の匂いはどうだったかとか、尻の形はどうだったかとか……」
「……そんなこと考えてるからやられたんじゃねえのか?」
まぁ図星である。しかし後悔はない。おかげで楽しめた。レグスタは笑った。
対して眉をひそめるタカ。
「楽しいとかじゃねえんだよ。俺たちはどれだけ迅速に自分の目標をやり遂げるかが大事なんじゃねえのか?」
「お前って、もし『弓槻』が沈むことあったら絶対『船と心中する』とかいいだしそうだよな……」
この同期のことはよく分かってるだけに、不安にもなる。
「なに言い出すんだよ。あたりまえだろ」
……本当に、不安になる。
タカは女が気になった。
逃げることは読んでいた。彼の洞察力は『弓槻』でも群を抜いていて、旺盛な判断力と勘を頼りに、敵船よりもより迅速かつ正確に主砲を撃ち出す。その照準は、ちゃんと見て撃っていないのではないかと憶測を呼ぶほどに速く、『めくら撃ちのタカ』という異名まである。『弓槻』が今まで生きながらえている理由の一つはこの男の功績に他ならない。小柄で俊敏そうなサルを思わせる男であった。
とにかく彼女の脱出は読んだ。船長エルファンスに進言し、後艦橋に人を詰めさせた。そこまではよかった。
だがその洞察力も、女がレグスタの『飛竜』に先んじるところまでは及ばなかった。どんな形であれ、あのダメージは子供に喧嘩を売ったら骨を折られた大人……というほどの意外性がある。
朝、彼の足は自然、中甲板へ向かっていた。"荷物"は今日の午後には下ろされてしまうのだ。今をおいて娘を拝むチャンスはない。
「……ってわけだから頼むよーー」
女が積まれている船室の前の扉には今、クルップに代わってバンズという名の見張りが立っている。
「いや、困りますよ」
「そこを何とか!」
「なりませんて」
「いいだろ、減るもんじゃなし……」
「タカさんの場合、増やしそうだし」
「なにをだよ」
「問題の種です」
「……」
うまいことを言う。タカはうなり、不意にあさっての方向を指差した。
「あ! 鳥インフルエンザ!!」
そしてすぐに扉に向かう。しかしノブに伸ばした手は一瞬にして取り押さえられてしまった。
「鳥インフルエンザは指を差せる物じゃありません」
「くっ……!」
振りほどこうとするが見張りのバンズは大柄な男だ。小柄なタカはすぐに観念した。
「鳥インフルエンザ見たことないのかよ!」
「ありませんので今度絵を描いてみてもらってもいいですか?」
その手首を優しく離し、無理難題をふっかけたバンズは改めて扉の前に立ちはだかる。
「お帰りを……」
「お、覚えてやがれ!!」
「アンタは三流悪役ですか」
タカは答えず、大股でその場を後にした。見たくても見られなかった好奇心だけがなおさら募って、その後タカとすれ違った某は、仲間内での雑談で「駄々っ子のような顔をしていた」と述懐していた。
ほぼ時を同じくして、船長室の扉を叩く者がいた。……クルップだ。
「入れ」
船長エルファンスの重い声と共に、彼は通路から吸い込まれるように消える。
中は一族の長の部屋とはいえ質素なものだ。簡単な机と椅子、ベッドが置いてあるほかは飾り気もない。しかし一般船員の部屋とは違い、艦橋内にあるので小さいながらも窓があった。
「聞かせてほしい」
男の目は鋭い。机の前の椅子に腰掛けたまま上目遣いでクルップを見上げる目は睨んでいるわけでもないのにそう見える。クルップは威厳のあるその背中にオーラのようなものを感じ、思わず背筋を正してかしこまった。
「この仕事はどう思う?」
「へぃ……?」
昨夜のことを咎められるものだと思っていた彼にとっては意外な質問だった。
にわかに答えが見つからないままに黙っていると、耳に野太く響く声がある。
「……我々は依頼とあらば、ピザでも麻薬でも死にかけの竜でも運ぶ。行く手を阻むものをすべて排除しながらな」
入港先で戦闘状態になることすらある。それでも依頼された物を確実に届けるという点において、輸送戦艦『弓槻』は世界でもトップクラスの信用を勝ち得ていた。
「俺はそれに誇りを持っているし、危険な仕事なのに船員たちが船を下りようとしないのも、皆、その誇りを持っているためだと思っている」
実際はそれだけではない。
船員たちは皆、この偉大な船長に惚れ込んでいる。エルファンスという男はまるで戦国の世の大大名のような、不思議なカリスマを持つ男であった。
「だが……」
男の目がクルップから離れ、遠く、後艦橋近くの船室に向けられる。
「今回のような仕事は嫌なものだな……」
年端も行かない無実の少女を死刑台に運ぶ仕事だ。もちろんこの船はこれまでも数え切れないほどの人数を殺している。いまさら小娘一人に情をかけるのは偽善かもしれないが、それでもエルファンスは昨日、彼女のすがるような瞳を見てしまった。
「……何とかなりませんかぃ?」
クルップの絞り出すような声に、彼は視線を戻す。その目が睨めば、クルップは次に言いかけた言葉を飲み込んだ。
緊張感のある静寂が、少しの間部屋を支配する。そして張り詰めた糸を解いた彼の言葉で、クルップは耳を疑った。
「クルップ、この船を下りろ」
「え!?」
「『弓槻』は予定通り、あの娘を引き渡す。それが我々の仕事であり責任だ」
しかし……と、彼は加えた。
「引き渡した"荷物"がその後どうなるかは……我々の関与するところではない」
「……」
クルップは言葉の意味を理解できなかった。しばらく呆然と立ち尽くしていると、エルファンスは静かに目を閉じる。
「……助けてやれ」
「え……?」
霧の中をもがくクルップに差した一条の光のような言葉。彼の表情が一瞬だけ輝き……そして、すぐに現実という壁にさえぎられる。
「命がけの仕事になるだろう。天秤にかけろ。お前がしようとしてることに、損を補えるだけの得はない」
その通りだ。船長は「船を下りろ」と言った。コトヨイと関わるのならまず職を失うということだ。この判断は個人的感情で千四百余名の船員を危険に陥れるわけにはいかないという意味で至極まっとうなものであり、それはクルップにも納得ができた。
あの少女を助けたところで結ばれるわけでもない。命を危険に晒しながら、得られるものといえばお尋ね者の手配書と先の見えない未来だけなのだ。
見て見ぬふりをすれば、それで事は終わる。知らない魔女が知らない場所で殺される。……それだけだ。
人の命は本来、得とか損とか、そんな尺度で左右されるものではないだろう。しかしその部分をまったく無視して赤の他人の生き死にのために己の人生を賭けることのできる者などどれだけいようか。
「お前がやるのなら『弓槻』は影からサポートはする。彼女の処刑は何も明日ではあるまい。ゆっくり考えればいい」
「船長……」
判断に窮し、男は立ち尽くす。せめて判断材料がほしい。
「船長、あの子と会わせてはくれませんかぃ?」
「ならんな」
船長は首を横に振った。
今あの娘は絶望の底に堕ちているはずだ。そんな時にこの男を会わせて長話でもさせようものなら、彼女はどのようなパニックを引き起こすかわかったものじゃない。
だが……その上で、エルファンスは机から羊皮紙と羽ペンを取り出す。
「かわりに引渡しの時に立ち会え。これを副長に渡せば手配してくれるだろう」
その場で話す余裕などはない。しかし会うことはできる。……彼にとって、それが最大の譲歩であった。
書類の受け渡しに呼応したように汽笛が鳴った。寄港は間近だ。