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  作者: 矢久 勝基
第一章 魔女狩り
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輸送戦艦『弓槻』

挿絵(By みてみん)

 幾重にも連なった黒煙が、夕日に照らされた大海原に立ち昇っている。

 先ほどまでの、鼓膜が裂けるような海戦が幻であったかのような静寂の中で、海風に煽られても容易に消えることもない黒色の霧が、恨めしそうに中央を横切る一隻の船をなでる。

 すべてが逆光になる位置からその様を眺めると、まるで船が赤い夕日の中へ分け入っていくようにも見えた。


「針路そのまま。前進、半速」

 日の沈む様は美しい。

 背の高い艦橋から見下ろすように、はるか遠く……水平線のオレンジに目をやる船長エルファンスは、日の落ちる刹那の時間が好きだった。太陽が地球に吸い寄せられるように姿を消すと、夜空の星は高いところから降りてくる。その様は何度見ても飽きることはない。

「被害報告!」

 糸目の伝令が艦橋までのラッタルを登ってくるとかしこまった。

「左舷命中弾一。豆鉄砲ですので損害は軽微。負傷者はゼロ……あ、いえ、命中弾に驚いて転倒、ひざを打って打撲。全治一週間ほどと思われる者が一名」

「だれだ?」

「わたしです」

 この伝令はいつも抜けている。エルファンスは感情をあまり前に出さない人間だが、内心このユーモア?をいつも楽しんでいた。

「絆創膏でも貼っとけ」

「いえ、打撲ですので!」

「では任せる」

「はい!」

 彼はびっこを引いて持ち場へ戻ろうとしたが、船長はそれを止めた。この伝令は肝心なことを報告していない。

「積荷は?」

 彼らは積荷を運んでいる。本来の目的は戦闘ではなく、輸送だ。

「損害なし!」

「ご苦労」

 海のならず者……俗に言う海賊船団六隻を、ほぼ無傷で屠る輸送船。だがこの場合、すごいのはこの輸送船ではなく、数だけを頼みに彼らに挑んだ海賊側であったのだろう。

 何しろこの輸送船は、排水量にして三万五千トン、全長二百メートルを越える超大型の輸送船であり、大口径の連装砲を備える回転砲塔を四基装備し、防御区画を分厚い装甲板で覆った……いわば戦艦ともいえるシロモノであった。


 この世界では国際秩序という概念が、まだ十分に確立していない。

 地方に点在している豪族や豪商が権力を握り、国として成立し法が樹立されている地域もあれば無法地帯も多く、それぞれに固有の発展を遂げている。

 軍事にかけても『国軍』という概念とは別に、富を持つ者が私設軍隊を創設したり、一般民が武装したりということは別に珍しいことではない。

 すると軍事を生業とする集団も現れる。傭兵に限らず警護、争い事の調停など、武力を背景とした仕事も数多く、本稿もそれに携わる者たちを描いている。

 彼らの場合は海運業だ。

 地域間の貿易は盛んに行われているが、この世界の海は我々の地球よりもはるかに危険であり、海上輸送は命がけの仕事となっている。故に武装は強力になり、それがいたちごっこで巨大化するうちに、大型戦闘艦と遜色のない船影を海上に晒すようになってしまった。

 今、海賊たちをものの数分で壊滅させた船もそのひとつ。名を『弓槻ゆづき』といい、船籍上の区分は『輸送戦艦』ということになっている。


 何せ大型船だ。一度出航すれば世界各地を回る。

 配送する荷物の数も種類も一口にはとても説明できないが、この輸送戦艦には、物語が同船を取り上げるきっかけとなった特殊な荷物が積まれていた。

 その"荷物"だけは『船艙』と呼ばれる倉庫ではなく、中甲板の鍵のかかった一室にある。なお、簡潔に言って上甲板が地上一階だとすれば、中甲板は地下一階に当たる。その下が下甲板。さらに下が船艙甲板と、地下には深く潜れる仕組みになっている。

 次の寄港先が近づき、船員の一人、クルップがその船室の扉を開けたとき、彼は一瞬その"荷物"がいずれかに消え去ったかと錯覚した。

 それほどに、"荷物"は静かだった。

「船長が身体を洗っていいってさ」

 "荷物"はその声に振り返る。表情が死にゆくように暗く、クルップはいたたまれずに目をそらした。

 彼女がかせから解き放たれ、部屋から外に出るのは何十日ぶりだろう。船の通路は狭いものだが、それでも船室の扉を開けて遠く他の区画に通ずる道が見えたときには、まるで大草原に解き放たれた小動物のような気持ちがした。

「泣くなよ。俺もつらいんだ」

 そんな彼女の背中をクルップは押し、浴室へと連れて行く。

 "荷物"は、次の港で下ろされる。"罪人"としてである。そして、引き渡されれば極刑は免れない少女であった。

 その娘が陸に上がる前夜、急に「きれいな姿で行きたい」と漏らした。数十日間身体を洗うこともできずに監禁されていたわけだから、若い娘としては無理もない要求であったのだろう。

 世話を担当していたクルップがその意図を酌んで船長エルファンスへ上申した。それが通ったことを、この少女と共に無言で歩いている様が表している。

「知らないかもしれないけど、船の上で真水は貴重なんだよ。だから使える湯は二リットルだ」

 間が持たず、浴室に着いてから説明すればいい言葉がちらちらと浮かぶ。

「それと、一応決まりだから俺が立ち会うことになる」

 ずっと無反応だった娘の首がその言葉で動き、クルップを見た。どういう男が自分の裸を監視するのか……そういう目をした。それがあまりに生娘のようで、クルップは思わず立ち止まってしまう。

「見ないようにするよ。心配すんな」

「……」

 娘はなにも言わずに、進んでた方向に視線を戻した。思えば、この男の声は幾度となく聞いていたのに、ちゃんと顔を見たのは初めてかもしれない。ごつごつした感じのたくましい海の男で、歳は二十五、六くらいだろうか。優しそうだが柄が良いわけではなかった。

「別に……見れば?」

「からかうなよ。船にゃ女はいねえんだ。変な気起こしちまうし」

「起こせば?」

「……」

 クルップは一瞬の沈黙の後、彼女の肩を乱暴につかんで無理矢理振り向かせた。

「いいんだな?」

「……」

 一目見て分かる。そんなことに慣れた女ではない。哀れなほどに身をちぢこませ、目を小さく開いて弱々しく睨みつけている姿がそれを物語っている。

「……無理すんなよ」

「だってあたしっっ!!!」

 娘はすべてを吐き出しかけて、そこで息をつめるように止まった。たくさんの"なぜ"を含んで、それでいてこの男に話すことの無駄を感じたのであろう。

「……助けて……」

 そのかわり、別の無駄な言葉を……。弱々しく声を上げれば立っていられないくらい気力が萎えた。

「お前さ」

 頭二つ分背の高いクルップがその肩を支え、つぶやく。

「上甲板まで連れて行けば逃げられるかよ」

「え……?」

「お前は船の上から逃げられる力があるかって言ってんだよ」

 娘はしばらく呆けたように彼の顔を見上げたままとなる。それを彼がさえぎった。

「逃げるとなればそんなに時間はねえんだよ。どうなんだ」

「……つ、杖があれば……!」

「押収されたやつか」

「それ!」

 必死になって男にすがる彼女。長い間清めていない少女の身体からは生々しいにおいがした。

「わかった……」

 置いてある場所は知っている。引渡しの際、依頼側に娘と共に提出される予定のものだ。

「身体を洗いに行けよ。終わる頃にゃ用意しといてやる」

 浴室はそこだと指を差し、クルップは逆の方向へ走り出した。




補足

『弓槻』は輸送船なので基本的には『船』という文字に準じた表現がされています。

(船員、船長、船体など)

しかしその様相は戦艦であり、一部『船』を用いた表現が困難な場合、『艦』という文字を用いています。

(艦橋、着艦、艦載機など)

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