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  作者: 矢久 勝基
第一章 魔女狩り
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戦禍

 コトヨイはその身体をダンの血で染めながら、半ばもつれるようにして『弓槻』の飛行甲板に降り立った。

「誰か治療を!!!」

 あてはここしかない。驚愕の声を上げながらあわただしく集まってくる甲板作業員たちにダンを預けると彼女は膝から崩れるようにへたり込んだ。そんな彼女には見えないが、外は撤退してきた部隊と、迎撃のために出兵している部隊とでごった返している。

(疲れた……)

 何もしていないはずなのに意識が遠のくほどに身体が重い。しかし、このまま座ってていいものではなかった。

 杖を翻して再び立ち上がり空を仰ぐ。

「どこへ行くの??」

 その背中を呼び止めたのが栗毛色の髪の男。航海部長、ラインバックだ。

「メイアとクルップが!」

「お前を助けるために突っ込んだんだよね。そんなお前が戻ったら奴らの努力がパーだね」

「……」

「とりあえずここにいたら?? 帰ってくるかはわかんないけど、帰ってきた時にお前がこの場にいるのが奴らにとって一番ハッピーだと思うよ」

 ラインバックは現場で何が起こったかを知らない。戻ってくる船員たちの顔色を見ればだいぶ不都合もあったことは間違いないが、この娘が甲板上に立っているのだから、彼らは何らかの方法でこの困難をやり遂げたことになる。

「お茶でも飲む?」

 その声が不自然に揺れた。いや、声だけではない。大気全体が一度大きく揺れ、いびつに歪んだ空気に身体を押された感覚がした。

 二人は……いや、そこにいるすべての船員が震源となるほうへ振り返る。見えたのはまばゆい光の渦であった。

 それが瞬時に白い巨塔となって空を割って昇ってゆく。丘陵を挟んで向こうの出来事がまるで目の前で起きているかのように見え、やがて静かに瓦解していった。船員たちには主砲弾が海面に弾着した時の大きな水柱のようにも見えた。

 ラインバックもコトヨイもその様を呆然と眺めていたが、彼女の方は気がついた。光の"質"を、だ。

「待って!」

 杖を持ちかえて空を仰ぐコトヨイの腕をラインバックがつかむ。

「何が起こったかわからない。危ない」

「だって!」

 あれは魔術が生み出した光だ。状況からしてメイアが使ったに違いない。

「お前が行って何になるの??」

「何にもならなくても……!」

「この作戦で死んだ奴のためにも……踏みとどまってくれない??」

 その犠牲も、彼女が無事でいてくれればこそ浮かばれるのだ。

「たのむよ」

「……」

 握っていた杖の力が次第に緩んでいく様を、ラインバックは静かに見守っていた。


 『弓槻』へ、人が続々と戻ってくる。

 『飛竜』は一騎が煙を吹きながら、四騎とも帰ってきた。少数対多数は不利であったが、それでも個体の性能の差は決定的であり、数羽を落として帰ってきた。

 レグスタは飛行甲板に滑り込むと甲板作業員に「弾薬の補給を急げ! あと煙幕弾を!」と叫んで『飛竜』から飛び降りる。

 現在、埠頭には船員が溢れている。ここに先ほどの『隼』が爆装でもして現れようものなら大惨事となる。砲弾で迎え撃つことも当然ながら、場合によって煙幕弾で『弓槻』を隠し、被害を抑えようとする意図もあった。

 現在、二番騎と四番騎が直掩で防空に当たっている。彼らは戦闘から戻ってきて一息もついていないが、レグスタ騎が簡易補給を終えるまでの燃料は残っていた。

 白兵隊も続々と乗船してくる。こちらは数名が未帰還。死傷はすべて、突撃任務を負った二番隊であった。

 しかし、懸念された船を拿捕するための突入がない。おかげで彼らの収容が思うよりも順調に進んでいる。

 理由はわからない。王ザイアスを中核とする命令系統が消滅したからなのか、他の理由なのか……。なににせよ解明している余裕は『弓槻』にはない。とにかく収容を急ぎ、この港を離れることが肝要であった。

「ロールウェイ」

 喧騒を艦橋指揮所から見下ろすエルファンスが、ふつとつぶやく。

「湾外でどれくらいの攻撃が予想されると思う?」

「パーキンスの海上戦力は現在ナディにあります」

 海賊の多い地域である。隣国の窮状を受け、主力はがナディのある北西方向にあるという情報を、港で情報部が掴んでいた。

 よって主力が玄関口で『弓槻』を待ち構えていることはない。

「夜間の魚雷艇、海防艦に気をつければ脱出自体は問題ないかと」

 エルファンスは「ふむ……」と淡い返答をし、別のことを聞いた。

「あの娘は……?」

「戻ってきましたよ」

 ちょうど艦橋指揮所に戻ってきたラインバックが、誰が戻ってきたのか勘違いしそうなタイミングで言う。

「どうしている?」

「泣いてます」

「泣いている?」

「ダンが死にました」

「!?」

 指揮所にあるすべての目がラインバックに向けられた。

 彼は平然としている。いつもそうだ。この男はマイナスになる感情を外に見せることがない。『弓槻』がどのような危機に陥っても何食わぬ顔で操船を続け、幾度となく救ってきた。

 彼は降りかかる視線を物ともせずに平然と自分の持ち場に戻り、海図を覗き込む。

 ……ダンは、コトヨイが飛行甲板に降り立った時にはすでに意識が途切れていた。医務室に運ばれて必死の延命措置がなされたが、生き続けるにはすでに血が流れすぎていた。船医であるコルバは八方手を尽くし、やがて静かに彼の身なりを整えた。

 コトヨイが駆け寄り、コルバが身を引き……部屋は静寂に包まれる。

 眠るように目をつむるダンの手を取り、血の通わない腕の重さを知る。やがてその手を元に戻し、彼女は静かに涙をこぼした。

 ……ラインバックの脳裏に残る医務室の光景である。その涙に、身内の情のようなものはないだろう。が、ダンは間違いなく、絶望的であった彼女の運命を繋ぎとめた一人であった。身内でないからこそ、この男が血で購ったものの大きさをかみ締めたのかもしれない。

 そんなコトヨイの忸怩たる思いを肌で感じながら、ラインバックは戦闘に参加できなかったことが残念でしかたない。

 類まれなる剣技をもちながら、航海部長という地位はそれを生かしえない。

 もし自分がダンの場所にいることができたら……彼はぼんやりと海図を眺めたまま、そんなことばかりを考えていた。


 ラインバックが加わった艦橋指揮所に、伝令が昇ってくる。

 彼は扉を開けると敬礼をして、

「船員、収容終わりました。出港できます」

「わかった。直ちに出港しよう」

 エルファンスが答えると、彼は「もう一つ……」と言う。

「ダンさんを連れてきた女性が左舷甲板から飛び降りました」

「え……??」

 ラインバックが海図から目を離した。

「その……説明しづらいんですが、ホウキのようなものにまたがって、甲板から飛び降りたので一瞬自殺かと思ったんですが、わたしがあららと思ってみているとそのまま彼女の身体が浮かび上がって、内陸の方へついーっと……」

「馬鹿な……!」

「待て航海部長。どこへ行く」

 いつも平然としている航海部長の、珍しく血相を変えて指揮所を飛び出そうとする様をエルファンスがとめる。

「出港する。操船を頼む」

「出港待ってもらえますか??」

「なぜだ」

「だってあの娘が……」

「あの娘は、『弓槻』の船員ではない」

「でも……」

 あの娘を保護するために、今日、『弓槻』はたくさんの血を流したんじゃないのか。

「魔女狩りの鎖からようやく解き放たれたのだ。俺たちが新しい鎖で縛る必要はあるまいよ」

「あの娘がもう一度魔女狩りにあったら、今日死んでった奴らは無駄死にじゃないですか」

「本人が選んだことだ」

「まぁそうですけど……」

「……釈然とせんか?」

 エルファンスが微笑うと、ラインバックは少し口を尖らせて「ええ、まったく」と切り返した。

「俺はこう考えている……」

 例えば傷ついた渡り鳥を助けたとする。しかし助けるというのはどういうことか。その鳥の一生を管理して渡り鳥でなくし、天寿を全うさせてやることか。

 それとも、その日の夜に死ぬとしても、もう一度渡る力を与えて渡り鳥として生かしてやることか。

「どちらが正しいか、じゃない。俺は本人にそれを選ぶ機会を作ったことこそを、"助けた"ことだと思っている」

「……」

「俺たちはあの娘を助けることができたんだ。だから、俺は今日戦ってくれた船員たちの死が無駄だとは思わない」

 不条理な死を迎える時、人は必ずその死の意味を問う。無駄であったか意義があったか……ラインバックは『弓槻』の血脈が色濃く流れているから、コトヨイが云々というより、彼女が無駄死をすることで仲間の死の意義を無にしたくなかったのだろう。

 その気持ちを汲んだエルファンスの言葉であった。

 たとえ彼女が同じことを繰り返し、今度は死に至るとしても、それは"自由を得た彼女が"選んだことなのである。

「わかりました」

 しばらくの時間を要したが、航海部長の顎が再び海図に向いて「出港します」と発した。

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