燃える処刑場3
「次はなんだ」
ザイアスはいちいち入る邪魔を苦々しく思いつつ、長柄の斧を構える男を見た。赤茶けた綿製の簡単な服に身を包む長身の男がそこにはいる。
クルップであった。
彼は一連の混乱により薄くなった警備の一端をつき、数名をなぎ倒して侵入してきた。煙幕が充分な視界を確保しないとはいえ一対多勢の中を切り抜けてこれたのは彼の技術以上にメイアから授かった魔術があるだろう。乱れ飛ぶ剣戟の中を彼は最短距離で駆け抜けた。
なお、彼は昨日の夜からずっとメイアに同行していたが、直前で行動を別にした。その理由を、彼はコトヨイに放り投げる。
「杖だ!」
「え!?」
杖……コトヨイの、平人にはホウキのように見えるその杖が、うつ伏せになったままの彼女の元に転がった。
ダンはこの杖を、意外なところで発見していた。『弓槻』技師長ガネフの部屋である。
なんでも、世にも珍しい杖をおめおめ引き渡して焼却されるのは忍びない。ということで、朝までかけて杖のレプリカを作り出して、当局にはそちらを渡したらしい。爺の探求心が思いもかけず功を奏したことになる。
「逃げろ!! コトヨイ!!」
手を伸ばせば届く距離に戻ってきた杖を呆然と眺めている少女。
(逃げられるの……?)
諦めていたことだ。自分は本当に解放されるのか。……何かが鈍くなってしまっている彼女の気持ちが、手を伸ばすところまで至らない。
「取り押さえろ! 魔女を逃がすな!」
ザイアスの声がして、今まで遠巻きにしているだけだった数名の側近が彼女へ群がる。王自身は受けづらい角度で入ってきたクルップのハルバードを迎え撃って走り出せない。
メイアは早口で文を唱え、ダンは失われていく力を振り絞って、血に濡れた懐から先ほど投げたものと同じ刃を取り出した。
交錯するいくつもの音。娘に手を伸ばした一人は衝撃波に首を折られ、また一人は鎧の隙間に入った投げナイフに貫かれてつんのめるように転がった。後の人数は目の前で突如死骸となった仲間の姿に動揺し立ち止まる。
(情けない!)
ザイアスはその臆病を嘆きつつ、ハルバードという特殊な武器の多彩な連撃にかかりきりになっていた。
妙なほどに受けづらい。うち終わりを狙って反撃を試みるが、まるですべて予測されているかのように正確無比な避けとともにさらなる一撃が返ってくる様は、この古の英雄をうならせた。
もちろんクルップが鈍化の魔術を駆使しているからだが、彼は気づかない。魔人戦争は数十年前であり、このような相手との戦闘経験はそれ以来なかった。
「コトヨイ!」
足のすくんだ王の側近に代わって、杖とコトヨイを確保したのがメイアである。
「しっかりしろ! お前は死んじゃいけないんだ!」
無理やり抱き上げて杖を握らせ、
「行け!!」
その、懐かしくも思えるがなり声がコトヨイの鼓膜を揺らし、ある種のパニック状態であった彼女を穏やかにしていく。
「でも……」
認識が鮮明になれば、自分ひとりで逃げることの重みが彼女にのしかかった。
「お前はわたしたちの希望なんだ!! 早く行け!!」
叫び続けるメイアが異様な金属音を拾って周囲に目をやる。
長く立ち込めていた煙の壁は、もうほとんど消えていた。そのため、外で『弓槻』の白兵戦部隊を散らした兵たちが、次々にこの処刑場に戻ってきているのがありありと見えた。
音は彼らの鎧がこすれる音だったわけだ。もう猶予はない。
「行け!!」
メイアが三度叫んだ時、コトヨイは意を決したように杖を右手に駆け出した。
脈動を始める杖。しかし彼女はすぐには浮かび上がらず走る。その先には血にまみれ、うつ伏せに沈んだダンがいる。
先ほどメイアが周囲をうかがった時、彼女の目も動いていた。その目が血まみれのダンを捉え、「ひっ」と息をのみ、自分が行うことを決めた。
コトヨイはダンの装束の首から杖をもぐりこませると、そのまま力を解放した。
吹き出す魔力痕。同時にダンを吊り下げた杖が、しがみつくコトヨイもろとも上昇を始める。駆けてきた兵たちすれすれを飛び、彼女は突風に煽られた木の葉のように誰も掴めないところに舞い上がった。
「対空砲火!!」
王の怒号に従って急角度を向いている砲がその木の葉を追って火を噴いたが、数発が脇をかすめるのみで彼女を捉えることはできなかった。
主役を失った舞台はそのまま、時間が止まったようになる。
数度斬り結んで、一旦距離をとったクルップとザイアス。兵たちはその一騎打ちの空気の濃さに、手を貸していいものかわからないまま、ある程度の距離で立ち止まって、せき止められた川の流れのように横に広がって壁になっていた。
「これで満足か。海賊どもよ」
声は平静を保ちながら、王の内実はらわたが煮えくり返っている。それはこの"海賊たち"へ向けられているものもあるが、無能な自国の兵に怒鳴り散らしたい気持ちも大きかった。
「余もずいぶんと平和に呆けたものだ。軍のこれほどの惨状に気づいていれば……」
いつのまにここまで軟弱な軍と成り下がっていたのか。それが平和の長さであるが故ならば、堕落を呼び込んだ安穏がひたすらに恨めしい。
「うぬらをエサにすれば、彼奴をもう一度おびき寄せられるかな……」
湧き上がるように増えていく場内の兵たちに包囲を指示する王。みるみる形成されるドーナツ型の生け垣を確認しつつ「殺しはしない。武器を下ろせ」と睨む。
クルップとメイアは自然、身を寄せるようにその中心で背中合わせとなった。
「やっぱこうなるよな」
ハルバードは長柄の武器だが、槍のような尖端が敵兵まで届かぬ距離に包囲円がある。話す余裕はあった。
二番隊の奇襲が失敗した時から、飛び込めばこうなることは明らかであった。
しかし飛び込んだ。クルップに深い考えはなかったように思う。彼が、その時必要だと思った行動をとった結果がこうだったというだけだ。前も言ったが、彼はそういう男であった。
「この後のことは考えていたか?」
思わずメイアに囁くクルップ。
計画性のないこの男の動きが止まるということは、彼に求められる行動がすべてなくなったことでもある。
とりあえず自嘲の笑みを浮かべながら、彼女にそれを求めるしかなかった。
しかしメイアは答えない。あるのだ。彼女にとってはこの先が。
「ザイアス」
彼女はその名を呼び捨てにした。老いてもなお強い光を放つ王の目が改めて彼女を向く。
「わたしに見覚えはないか?」
「……」
「覚えてはいないだろうな……」
……ザイアスは表裏のない表情を浮かべている。知らないふりではない。記憶を手繰っても彼女にたどり着かない。
「わたしがここにきた理由は二つだ」
一つはコトヨイの救出。もう一つは……メイアの目の色が変わる。
「貴様を葬ることだ!!」
紫色の風がメイアを中心に渦を巻き、辺りの礫を巻き上げはじめた。彼女は先ほど完成間近であった自爆の魔術の力の継ぎ足しを終えていたのである。
王はここで初めて腰を引く。この色の風は知っている。彼がまだ一介の冒険者であった頃。魔人戦争が最終局面を迎えた時。
「皆伏せろ!!!」
伏せても無駄なことは知っている。が、そう言うしかないほどに、この術は完成していた。
「まてっ!! 早まるなよ!!」
クルップもメイアの意図を察するが、彼女に触れようとしても、肌はまるで溶鉱炉に溶かされた鉄のように熱くたぎっていてかなわない。
稲光のような放電が大気中を縦横に迅り、逃げ出そうとする兵たちと、処刑場全体を囲う。
空気が、"崩れ"はじめた。
その中でメイアが苦しそうな声を上げる。
「大丈夫、貴様には護符がある。コトヨイにあの手紙を……わたしはこの男と心中できるなら本望だ」
この男が白日の下、衆目の場に姿を現す日を待っていた。普通に殺せないのなら自分が死んでも殺すしかない。
「くそ……!!」
思った以上に爆発まで時間があることを知った王が今さらながらに踏み込んでくる。
腹立たしかった。この魔女が……ではない。平和に呆けて堕落していたのは兵だけではなかったことに気づいたことをだ。
ナティオラスの孫娘の処刑であったのだ。思えば世界的にも高名な宗教の祖を血祭りに上げるようなものだったわけで、魔女による最大限のテロを予測すべきであった。
しかし戦争から数十年、数を重ねた処刑で一度もなかった失敗がすべてを鈍くした。
それをすべて払拭するような最大級の一撃を振りかぶる。青く鈍い光を放つ魔剣がうなりを上げ、真一文字の弧を描くその刹那。
「うぁ!」
またもや王は阻まれた。魔剣を得物では受けられないと見たクルップがハルバードを捨てて彼の腰に飛び込んだ所業である。
ザイアスはくの字に曲がり、クルップと共にもつれて地面に崩れる。
「このっ……!!!」
耐え難い屈辱であった。いや、戦いの中で思うようにいかないことなど当然なのだ。なのにそのことでこんなに感情を高ぶらせること自体、長いこと自身が戦わずに持ち上げられていたことを表している。
「離せぇ!!」
周りが見えないほどに頭に血が上った王は反射的に懐刀に手を伸ばし、クルップに食らいつく。
「ぐぁぁ!!」
クルップから血と悲鳴が吹き出したが、この際の王の判断としてはあくまでメイアを止めるべきだった。彼は最期の行動を仕損じた。
見下ろすメイアの冷たい目が見える。その目は一瞬で真っ白な光に包まれて消えた。




