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  作者: 矢久 勝基
第一章 魔女狩り
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力なき正義

 気がつけば暗い石造りの部屋にいる。

 その後たっぷりと暴行を受けた。あちこちが痛いのは意識が回復したせいだろう。

 辺りを見回しても充分な情報が得られることもない暗がりで、一つ言えるのは後ろ手に縛られていることだけだ。足も拘束されていて立ち上がることもままならない。

(くそっ……)

 声を上げても何もならないことなど分かっていたのに、こらえられなかった。それほどにコトヨイの無念が、自分のことのように伝わってきた。いや、その無念は最終的に自分自身の無念にも派生した。

 しかし……

 今は自分の軽率を呪っている。コトヨイを助けるどころか、人生が終わったかもしれない。彼女を本当に助けたいのなら、あの裁判がどのような展開を迎えても見届けて、彼女を隠密裏に追い救出の筋道を立て、『弓槻』に協力を仰ぐべき場面であった。

 あの後、裁判はどうなったのであろうか。彼女は挑発され続け、冷静な判断を失ってはいなかっただろうか。

 かび臭く湿り、薄ら寒いこの部屋で、彼は腫れた顔を冷たい石畳にこすり付けて、ひたすらに彼女の無念を思った。


 昼か夜かも分からない石牢に、男はその存在を忘れられたかのように捨てられている。

 食事も与えられない。元々潮風に晒される海の男だから喉の渇きに忍耐は働いても、生き繋ぐ希望の持てぬ時の流れはさぞ遅く感じるだろう。

 寸刻も永遠に感じる孤独と空腹の中で、石壁に沸く露を舐めながら現状を罵り続けて、如何ほどが経ったかわからない。

「おまたせ」

 特徴的な声がした。気がした。

 クルップが億劫そうに顔を上げる。次に、そのけだるさがなかったかのような速度でかしこまろうとして、手枷足枷に阻まれもがいた。

「ダンさん!」

「声がでかいってのに……」

 顔まですっぽり隠した黒装束のため、姿自体はほとんど両目しか見えないが、闇に溶けているその男は『弓槻』情報部の長、ダンで間違いない。鉄格子の向こうでクルップに分かりやすいように懐から取り出した小さな白旗を振っている。何かあればこの白旗がトレードマークなのだが、それがなくても彼の声は特徴的であった。

「なんでここが?」

「俺、情報部」

 情報部とは、『弓槻』の海上での測量や偵察、作図、連絡などを取りまとめる部署である。船が未知の場所でも安全に航行するためにこれらの情報は必須なのだが、今回に限ってはそれらの仕事よりも陸上での働きを説明したほうがいいか。

 『弓槻』は物を輸送するに当たって、依頼を受ければどのような仕事を請けることは先日述べた。それは、例えば『監獄の死刑囚がピザを依頼すれば、彼らが収監されている場所まで運ぶ』ということすら含んでいる。

 すると、実行のための情報収集能力や隠密行動の取れる能力が求められる。彼らはそれのエキスパートであり、一たび陸に上がるとネズミのようなしなやかさで行動を始めるのだ。

「なんで俺が捕まったことを知ってるんですかぃ?」

「だから俺、情報部だってのに……」

 腰の小さなポーチからなにやら針金のようなものを取り出しながら、「……と、言いたいところだけどな」と続けた。

「女が『弓槻』を尋ねてきた」

「女……?」

 怪訝な表情。その表情を目で拾ったダンが錠に視線を戻しながら言う。

「オバサン」

「オバサン?」

「俺もよく知らねってのに……」

 『弓槻』の船員が魔女裁判にケチつけて捕まったという情報を、"オバサン"は船に持ち込んだ。エルファンスがそれを受けて情報部を動かしたわけで、彼個人は"オバサン"とは直接話してもいない。


 『弓槻』の碇泊する港への下り坂を降りてゆく。夜とはいえガス灯が港の仕事を手伝っているせいで、湾になっている港内の風景が一望でき、桟橋の一つに二百メートル級の『弓槻』が泊まっているのも見える。その姿は湾内でもとりわけ堂々としたものであり、久しぶりの母船を見るクルップを安心させた。

 ダンはいつのまにか平装に戻っている。特に話をするでもなく、ガス灯の照らす夜の街並みを平然と歩く二人の姿は、仕事帰りの同僚のようでもある。

「ん?」

 街の風景が切れ、一つ一つが極端に巨大に見える港の施設が目に映り始めたころ、ダンが立ち止まった。クルップもそれに倣い彼の視線の先を追えば、少し向こうに人が立っている。

 コトヨイを受け渡す際に彼女の救出を試みた初老の女であった。それが、表情を微動だにもせず、口だけをわずかに動かす。

「出てこれたのか」

 それでクルップは事情を飲み込んだ。オバサンとは彼女のことに違いない。

「アンタが俺のことを教えてくれたんだって? あの場にいたのか?」

「ああ」

 そこで、ダンは「じゃ」と、クルップから割れた。先に戻ると言う。

 二人になるなり、メイアの声が湿り気を帯びた。

「礼を言いたい」

「礼?」

「コトヨイのために、ありがとう」

「あ、いや……」

 クルップにとっては意外で、やや泡を食って両手で「気にするな」というしぐさをする。

「……あれが魔女裁判だ……」

「ああ……」

 クルップ自身、刻み付けられたアザでその痛みを分かち合っていたが、コトヨイの精神的圧迫はそれと比べるべくもあるまい。

「いままでも多くの魔女の心が裁判の最中に折れて、処刑される前にぼろぼろにされた」

 が、コトヨイは違った。

 あの後、最後まで彼女は付け入る隙を与えなかった。もともとそんなに頭は悪くないのだろう。判事の陰湿な追い込みをすべてやりすごして、彼女は"無傷"であの法廷を去った。

「どうしてそれができたと思う?」

「……さぁ……」

「わたしもわからない」

 しかし……と彼女はクルップと目を合わせた。

「たぶん貴様のおかげだ。ありがとう」

 彼が叫びだすまでのコトヨイの心は平静ではなかった。それは傍聴していたメイアの目にも明らかで、それでいて何もしてやれない自分が苦しかった。

 しかしこの男が叫び、にわかにコトヨイの、だけでなくメイアの気持ちも落ち着いた。二人は憑き物が落ちたように、その後の法廷を客観的に見られてしまったのである。何も解決したわけではないが、今を捨てずに一縷の未来に賭ける気持ちを、おぼろげにももてたのかもしれない。

「協力してほしい。コトヨイを救いたい」

 メイアが再度頭を下げ、クルップもそれに応えた。


 一方、航海部長ラインバックも、この件に噛もうとしていた。

 船長はあの魔女を助けたいのだ。確信があった。でなければあのような理由でのクルップの下船を認めたりしないはずである。

 ラインバックとエルファンスとの付き合いは長い。あの鉄火面の内側がどれほど人情味に溢れているかはよくわかっていたし、とはいえ船長という立場から決して逸脱しない人物であることも知っていた。彼はそんな、エルファンスという男が大好きだ。

 だからクルップがメイアを伴って船に戻ってきた時、出迎えたのは彼であった。

「おかえり」

「あ、航海部長」

「お前が戻ってきたっていうことは、俺たちがやることが決まったってことでおっけ??」

「ま、まだでさぁ……」

「なんだ。じゃあなんで戻ってきたの?」

「……」

 きつい言い方だが確かにそうだ。ダンにいざなわれて自然に戻ってきてしまったが、船を下りた自分がここを訪ねてくるなら、明確な理由が必要なはずであった。

「ま、いいよ。一緒に考えてやるから乗んな」

 皮肉じみた言い方はしたが、どうせ彼も協力するつもりでいる。

 そんなラインバックが指差した先には士官室がある。


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