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  作者: 矢久 勝基
第一章 魔女狩り
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魔女裁判

 裁判所は港から大きくせり上がっている丘陵の頂を越えてさらにずっと奥にある。そこからは港は見えないが、さらに内陸を仰ぎ見れば一段と小高い丘にパーキンスの宮殿があり、そびえる白い大理石の壁面がその威容を誇っていた。

 コトヨイの裁判については、クルップが聞き込みをしたことが無駄であるほどに、その後広く喧伝された。今回の魔女は若い女との事で、普段は閑散としている法廷前のレンガの道に数え切れぬほどの靴音が鳴っている。服屋で適当な物を見繕ったクルップはそれに紛れた。

 廷内は礼拝堂のような趣がある天井の高い造りで、最前列中央には、荘厳な壁を背にして裁判官が座る席が三席、やや高い場所に設置されていた。

 それらが見下ろすように置かれている墓標のような木製のついたてが証言台で、今日はそこにコトヨイが立つのだろう。背後には簡単な持ち物検査を終えた傍聴人たちが、証言台に立ってもいない女の後姿を物色しているかのように視線を集めていた。

 広い廷内に響く開廷の声。一斉に静かになる群衆を前に、黒いローブを纏った男が三人、仰々しいパイプオルガンの音楽と共に現れ着席する。そこからたっぷり余韻を残して、後ろ手に枷を施されたコトヨイが、彼女から伸びる四本の鎖を持つ男たちに囲まれて建物脇から入場した。

(コトヨイ……)

 蒼白な顔色からは生気というものが感じられない。ちゃんと食事は与えられているのか。ひどいことはされていないか。彼女からしてみれば群衆の中の点となっているクルップは、水を絶たれてしおれてしまった花を見るような表情のまま、半分息をするのも忘れている。

 飛び出す機会も窺ってはみた。群衆を飛び越えて警備の兵をかいくぐり、鎖を断ち切って彼女を抱え、コトヨイが出てきた扉を蹴倒して飛び出す動線を描いてみたが、まともな武器もない今、それが成る可能性はない。

 どうすればいい……気ばかりが揉まれていく中、彼女の脇に立っていた男が、取り出した羊皮紙を手に、まるでオペラの演者のようによく通る声を発した。

「罪状! この者は世界の平和と秩序を乱さんともくろむ魔女と認む! 公正な審議の末、適切な処分を決定されたく、ここに魔女法廷の開催を要請せり!」

 傍聴人の中から沸く拍手。それがどれだけ信じられているかを象徴しているかのようだ。しばらくその反応を楽しんだ判事は、木槌を叩きそれを黙らせると、

「魔女よ。名を申すがよい」

「……」

 彼女が答えないでいると、オペラの男がその頬を平手ではたく。何度も。何度も……。

 クルップはその様に危うく席を立ちかけたが、寸でで思いとどまった。

(落ちつかねえと……)

 迂闊な行動は取り返しのつかないことになる。

 コトヨイはよろけ、それでもすぐに直立に戻って、また先ほどと同じように生気を消した。

 途中、少しのどを動かしていたのをクルップは見た。今ので口の中を切ったのだろう。血の味のするつばを飲み込んだものであった。

 その一部始終を充分に見届けてから、判事は「およしなさい」と言う。

「では無名の魔女よ。罪状の件について、その内容を認めるか?」

「……」

「無言は肯定であることを知れ」

 コトヨイは下を向いたまま、それでも一縷の希望に賭けているのか、絶え絶えに言葉をこぼした。

「…………あ……たし、乱そうとなんてしてません」

「しかしそなたは魔女なのだろう?」

「……」

 いっそのこと嘘をついてみようか。……無駄だろう。無駄と知りつつ、口を開く。

「違います」

「誓っていえるか?」

「……はい……」

「この場でどのような痛みを受けてもそうだと言い続けられるか」

「……!」

 彼女の目が頭を伏せたまま上に向けられた。悔しそうに口を閉じ、しばらくそのまま壇上の男を睨みつける。

 この裁判自体がすでに公開処刑の場なのだ。分かっていながらも再度認識すれば、後ろに控える数え切れないほどの目が、判事の言葉に薄笑いを浮かべたように思えた。

 ここでヘタな立ち回りをすれば、彼らの目を自分の身体で楽しませるだけだ。傍聴人の数がそれを望む数であると考えれば、その狂気に吐き気がする。

 ……しかし、悔しくて、悔しすぎて自分の指を噛み切るほどのストレスに胃を痛めても、それに抗う方法をコトヨイは持たない。

 震える声で言った。

「……魔女です」

 判事が満足そうに口角を上げる。

「……神聖な法廷に嘘を持って抗おうとする。それこそが罪の始まりであることを知れ」

「……」

 血がにじむほどに握り締められる少女のこぶし。すべてはすでに存在しているシナリオの上にある。

「では、先ほどそなたは自分を、秩序を乱すものではないという主張を持って、他の魔女とは別であることを申し開いたが、それに異議はないか?」

「……はい……」

「そなたの考え方には過ちがある。魔女という存在自体が秩序を乱すのだ。それは歴史を紐解けば明らかなのだが、そなただけは違うと、言い切れるか?」

「……」

 くやしくて、涙が出てくる。心を捨てたはずなのに、捨てきれない気持ちが目からこぼれていく。魔女で何が悪い。自分が、なにをしたというのだ。

 無念が背中の先にいるクルップにも伝わってくるようで、この男は奥歯が割れるほどに顎をかみ締めて、一人野ざらしにされている少女を見つめていた。

「魔女は、それだけで罪なのだ。それが人間が安穏と暮らすための法として世界に広く認知されている共通の理である」

 判事はその台詞をこれまでも幾度となく吐いてきたのだろう。自分の言葉に一片の疑念も抱かない様は堂々としていて、他の理屈をさしはさむ余地もないように思える。

「しかしその上で、すべての魔女が極刑を受けなければならないはずもない」

「え……?」

「我々は正義の象徴であり、理屈の通らぬ鬼ではない。そなたが本当の悪であるか……それを公正に審議し、判決を下すのが我々の役目である」

「……」

 コトヨイは自然と顔を上げていた。

「よって、申し開きがあるのなら自己弁護の機会を与えよう」

 ……巧妙な罠であった。絶望の底に落としてから、わずかばかりの希望を与える。すると追い詰められた者は藁にもすがる思いでそれに手を伸ばしてしまう。そしてひとたび食いつけば、難癖をつけられて拷問に至る。

 魔女裁判はコトヨイ自身が評したように公開処刑なのだ。何千度にも及ぶ火を浴びせる前に、衆目の中で魔女を辱めるのが目的であり、廷内すべての狂気がその期待を寄せて魔女の自爆を待っている。

 そんなことは冷静に考えればすぐにわかりそうなものだが、脳の中を鉄串で無理やりかき回されるようにされた挙句のその言葉は、麻薬のような甘い香りを帯びていて、これまでも多くの魔女がその術中にはまって陥ちている。

 現にコトヨイも、その幻想に捕らわれ始めていた。

「あたし……」

 が、彼女が口を開きかけた時だった。

「てめえらいい加減にしろ!!!!」

「え……?」

 裁判が始まって以来、初めてすべての目がコトヨイから別の方向へ移る。そこにはごつごつと筋肉質の男が鬼のような形相で立っていた。

 その中で一つ、コトヨイの瞳だけが大きく見開かれ、感情が「あ……」という声になって現れる。

 そんな彼女の視線を飛び越えて、男の目は遠く、判事の方へ向けられていた。

「こんな裁判あるか!! どうせ殺す気ならとっとと判決を下せ!!」

「そなたは?」

 落ち着き払った判事の声が、クルップの声とは反対に静かに響く。その頃には周辺の傍聴人たちはガタガタと彼の傍を離れ、代わりに警備の兵がなだれ込んできていた。

「誰でもいい! てめえらおかしいだろ! こんな裁判を誰もおかしいと思わねえのか!」

「この裁判は正式な手続きの元に開催されている。何もおかしいことなどあろうはずがない」

 腕や腰に絡みついてくる警備の兵に揉まれながら、彼は「ふざけんな!」と叫び散らし、

「その正式な手続きとやらが間違ってると考えたことはねえのか!!」

「人はルールの中で生きなければならない。そしてそのルールが支持されていなければ国というのは成立しないのだ。ためしに聞いてみよう」

 判事は傍聴席を広範囲にわたって指差した。

「この中でこの男と同じ考え方を持つ者はいるか?」

 ……その目が、しばらくの沈黙の後、クルップに戻ってくる。

「ご覧のとおり、だ。そなたの考えのほうがおかしいということがわかったかな」

「ふざけんな!! 許さねえ!!」

 彼は兵たちに引きずられながら、その辺までのやり取りをして法廷から消えた。後には騒然とする廷内と、その中央で呆然とする少女の姿が、対照的な姿として残っている。


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