旅の始まり:エルフ・リリアードの場合
翌朝。
エルフの中では希少種と呼ばれてもおかしくはない早朝の起床。
未だに空はうっすらと暗色を残しており、起きるのが早いとこちらを咎めているかのようだ。
そんな事は一切気にせずに先ずは着替えるリリアード。
いつもと変わらないように全身の装備を確認し、忘れ物が無いかチェックする。
訓練は何時も通りに行おうと、早い時間から外に出る。
…さて行くぞと思ったは良いものの、こんな早朝から門が開いているはずはなかった。
門衛が立っているわけでもなく、塀もそれほど高くはないが…当然結界で守られているだろう。
(走り込みとかでも良いけど…今日には出発するからあんまり走りたくないなぁ…。大人しく宿屋に帰ろ…)
トボトボと宿屋に戻るリリアード。今日はもう訓練する気分ではなくなってしまった。
では何をしようかと考えるが、訓練と狩り以外で外に出たことのない少女が何かを思いつくはずはない。
装備だけを外して再びベッドに潜り込む。ふかふかでふわっふわのベッドは1日寝ただけでは変わらずにリリアードを包み込む。
…いつもなら服にシワが付くからとやらない行動だが、やることのなさとやる気の無さがそうさせる。
少しの間布団の感触を楽しんでいたが、すぐに心地よさから睡魔が押し寄せる。
しばらく時間が経った。太陽が頂上に上り詰め、これから降りる準備をし始めた所だ。
今度こそ起き上がったリリアードは、寝ぼけ眼で窓を覗き込む。
太陽が見えないことを不思議に思い、空を見上げた時に寝すぎた事を悟る。
(も、もうお昼!早く行かなきゃ!間に合わなかったらどうしよう!)
慌てて装備を準備し、忘れ物の確認。急いで外に出る。
チェックアウトは馬車の予約が取れてからでいい。とにかく急いでまず馬車を確保しなくてはならない…。
前日に調べておいた馬車の発着場へと着いたリリアード。
勢いよく扉を開けて中に入る。
受付の若い女性が驚いた表情でこちらを見ているが、そんなことはお構いなしに声を上げる。
「すいません!風の街行きの馬車はまだありますでしょうか!!」
魔法まで使っての全力で駆け抜けてきたが、息は切れてない。大丈夫、意思は伝わったはずだ。
「ええっと…基本的に長距離移動の馬車は前日予約必須で、出発は朝ですが…」
飛び込んでくるのは非情な知らせ。そもそも昨日場所だけ確認した時点で今日の出発は詰んでいたのだ。
その場に膝を突き、がっくりと項垂れる。
「そう…ですか。騒がしくしてごめんなさい…」
憐憫の視線を向けてくる受付の女性。その視線に気付いては居たが、自分の不備に激しく落胆している今は何も言える言葉は無かった。
それからどれほどの時間が経っただろうか。
実際には数十秒と経ってはいないが、自分の脳内で思考を巡らせる時間というものは実際の時間よりもかなり長く感じるものだ。
文字通り立ち直ったリリアードは、受付へと歩く。
「あの、明日の風の街への馬車は予約できますでしょうか…?」
手元の本状に綴られた紙束を1枚めくって確認する。
「明日はありませんね。一番早くて二日後になります。」
そう伝えた瞬間に眼の前の少女は強烈な立ち眩みに襲われたようにふらりと力のない揺れ方をする。
「砂漠の街まででしたらありますが…。砂漠の街から風の街は1日で行けますので、一旦砂漠の街まで行き、そこから再度風の街を目指されるのが良いのではと思いますがいかがでしょうか?」
今度は即座にピンと立ち直った。さすがに遊びでやっているわけではないため、反応見たさに「やっぱり無いです」と言いたくなった気持ちは押し留める。
「じゃ、じゃぁ明日砂漠の街までの馬車をお願いします。お値段はどれくらいでしょうか…?」
「砂漠の街までは一人につき銅貨15枚です。携帯している装備については重量による加算無し、追加の荷物がある場合は最終重量が規定以下なら無料、規定を超えると銅貨15枚の追加です。重量計はあちらにあるのでご利用下さい。旅程は二日間、その間の食事及び寝床はお客様持ちでございます。」
値段はおおよそ聞いていた話と一致する。重量計をちらりと見ると、規定重量と思われる位置に目立つように印が付いている。最終重量というのはマジックバッグで重量軽減した後の重量のことだろう。
「わかりました、予約します。追加の荷物は予定してません。」
先日の買い物で出た銅貨を15枚カウンターに置く。
銅貨を確認した女性は、カウンターにある何かの機械のボタンを押す。
すぐに小さな紙が出て来て、そのまま手渡される。
「ありがとうございます。当日はこちらのチケットをお持ちになっておいで下さい。良い旅を。」
渡された小さな紙には明日の砂漠の街行きである事と出発時間が記載されている。
無くさないようにすぐにバッグに入れてからお辞儀する。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。明日はよろしくおねがいします。」
深々と頭を下げ、退出する。
一過性の台風のような少女を見送り…
(そもそもそのチケット使う相手私じゃ無いんだけどねぇ。しかも明日私休みだし。まぁいっか。)
明日ここに来て困惑する少女を思い浮かべてくすりと笑うと、女性は次の客が来るまで座りながら待つ仕事へと戻った。
一先ず宿屋へと戻り、滞在を1日延長した。
さすがにまた寝る気にはなれず、無料券を二枚使って2食分の昼食をとりながら何をするか考える。
(今日は出発できなかったけど、明日出発できるから良いよね。少しぐらい予定がずれるくらい気にする程じゃないし。とりあえず冒険者ギルドで何か仕事しようかな。)
結論はすぐに出た。後は食べ終えたら行くだけだ。
…いくら勿体無いからとはいえ、欲張りすぎた代償がお腹に溜まっているのが分かる。
延長した分追加で3枚の無料券を貰ったので、手持ちは5枚。
今日の昼と夜で2枚、明日の朝で1枚とすると2枚も余ってしまう。
せっかくの美味しい食事を食べ逃したくは無い…ただそれだけのために昼食で2枚使ったのだ。
しかし、今日の夜も2枚使うか、明日の朝に2枚使うか…もう既にいっぱいいっぱいのお腹を触りながら道を進む。
(とりあえず仕事すればお腹空くはずだし、仕事してから考えよう!)
先日の記憶を頼りに辿り着いた冒険者ギルドに入るリリアード。
どうやら誰も居ないようだ…。こういう時に使うベルが置いてあるのが見えたので、先に依頼ボードを確認することにした。
(えーっと…畑仕事の手伝い、蜂の巣の除去、野良ゴブリンの群れの討伐…他の依頼は町跨ぎの物かぁ。)
うーん…と唸りながら考えてはいるものの、答えは出てる。野良ゴブリンだ。
畑仕事は得意ではないし、汚れるのもあまり好きではない。
蜂は駆除自体は簡単だが、いかんせん量が多い上に小型過ぎて確実に反撃を食らう。腫れると凄く痛い。
こうなると残るは野良ゴブリンだけ。報酬が激安で2体で銅貨1枚だが…。
リリアードを悩ませるのは報酬の問題だけ。群れはおおよそ10体と書いており、全部倒しても銅貨5枚。冒険者ではないためここからさらに紹介料が取られる。いくら取られるか詳しくは知らないとはいえ、しょぼすぎる。
(でもやること無いし、とりあえず仕事するだけだし良いかな…)
野良ゴブリンの依頼書を剥がし、カウンターへと持っていく。
卓上ベルと言われる物の上を押すと、チーンと少し間抜けにも聞こえる音が鳴る。
数秒ほど待つと、カウンター奥の扉が開き、ギルドマスターの男が姿を見せる。
「あぁ、いらっしゃい。仕事は…野良ゴブリン討伐か。良いよ、いってらっしゃい。」
チラリと紙を見て、すぐに受諾の判子を紙に叩き付ける。
「え、そんな簡単で良いんですか?何かもうちょっと手続きがあるのかと…」
既に紙の中央には30度ほど斜めにはなっているが大きく受諾と赤いインクで書かれている。
「良いんだ良いんだ。失敗するような依頼じゃないだろう?難しい依頼なら受諾料預かったりもする。だけどもゴブリンならともかく野良ゴブリンだ。道具屋の店主でも倒せるようなものにそんなもんはいらねぇ。終わったらまた呼んでくれりゃぁいいぞ。」
判子を規定の位置に戻すと、ふわぁとあくびをしながらまた奥の扉へと戻っていく。
「まぁうん、野良ゴブリンだし気にしなくていいよね。」
初めての依頼なので多少何か説明があるかと身構えて居たため拍子抜けはしたが、特に気にすることもなく依頼書に書いてある場所へと向かうリリアードだった。
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以下「ゴブリン達との暮らし方」より、1ページ目「是非とも覚えておいて欲しい1ページ」全文
過去にゴブリンと言えば現在で言う野良ゴブリンしか存在しなかった。
野良ゴブリンというのは、一切の知能が無い存在であり、同朋同士の会話すらままならない生物だ。
同じ種族だからとりあえず一緒に居るというだけで、些細な事で群れは解散。最悪共食いすら始める。
もちろん力の差などわかりようも無いため、平然と人間を襲っては子供に撃退される。
いくら弱い存在の野良ゴブリンとはいえ、作物を収穫前に荒らされたり、赤ん坊を襲われて食われる等といった被害が無いわけではないため、今でも駆除の対象になっている。
では、ゴブリンとはなにか。
ゴブリンというのは、野良ゴブリンとは完全に違う進化形態を手に入れた存在だ。
言語を使いこなし、道具を扱う事を覚え、他種族と対話を用いて文化を手に入れた。
見た目こそ変わりは無いが、その差は歴然である。
勿論戦闘能力も野良ゴブリンの比ではなく、個体差こそあれど単体でも危険度Dクラスだ。
しかし、敵対するゴブリンはモンスターとは呼ばれず、他種族と同様に盗賊と呼ばれる。
ここまで読んでいれば分かっているとは思うが、ゴブリンは一つの種族として認められている。
ゴブリン達は王権制度を用い、ゴブリン王国を作っている。彼の地ではゴブリンだけではなく、様々な種族と共生し、交易も行っている。我々となんら変わりはないのだ。
王国以外にゴブリンは住んでいないというわけではなく、村を作っていたり、他国で暮らしていたりと多種多様な生活を送ってる。
種族の特性としては、非常に仲間意識が強く、手先が器用な者が多い。冒険者のゴブリンも存在する程には成長の伸び代もあり、種族進化も可能だ。
人間と似たような存在だが、種族進化が可能な分平均的な戦闘力ではゴブリンが上だろう。
ただし、数多ある職業を習得できるヒト種系列と比べると、単一職業しか使えないために最終的な戦闘力にはあまり期待できない。
ゴブリン達とは今後の我々の生活を豊かにするためにも、お互いに理解を深め、交流を続けていく必要がある。
そのため、この冒頭部分だけでも是非覚えておいて欲しい。
また、彼等に対して興味を持ったのであれば、次のページをめくり更なる理解を得て欲しい。
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