「孵化学研究会」
遊言会さんという文芸サークルの季刊誌「ことのは」への寄稿用です。
これに手を加えたものが掲載されるかもされないかも|ω・)
大学入学初日のことだった。
式を終えて体育館を出た俺たちを、凄まじい歓声が出迎えた。
野球やらバスケやらの運動系。
漫研やら演劇なんかの文科系。
様々な部活の先輩たちが、規制線──トラ縞のロープが張られている──の向こうから身を乗り出し、激しい勧誘合戦を行っていた。
「おらー! 後輩ビビッてんだろうが! もっと静かに! 大人しく! 節度を持って狩りを行えーい!」
生徒会の腕章をつけた人たちが、メガホン片手にがなりたてている。
狩りという言葉の選択はどうなのよって話だが、この様子を見るかぎり、それほど間違ってはいなそうだ。
「なんか怖いから離れとくか……」
先輩たちからなるべく距離を置くため、俺は新入生の列の端っこを歩くことにした。
「捕まえた!」
「ひいいいいいいいいっ!?」
あっと思った時には遅かった。
規制線を無視した先輩のひとりが、俺の制服の袖を握ってた。
可愛い女の子の声だなと思ってドキッとしたけど、振り返ったらゾクッとした。
なんていうか、とにかくひどい格好だった。
足下まで隠れるような、黒いローブを着ている。
目深にかぶったフードのせいで、顔立ちはよくわからない。
ローブのお腹部分がぽっこり出ているが、体型の問題ではなさそうだ。
単純に、楕円形の何かが入ってる。
極めつけは幟だ。
ローブの腰にロープで固定してある幟には、赤字に白抜きで「孵化学研究会」と記されている。
いや何を孵化させるつもりだよ。黒魔術師っぽい格好だからあれか? 悪魔とかか?
「怖っ!? 誰あんた!? いったい何を……」
「よぉぉぉっくぞ聞いてくれました! 何をする集まりなのか聞くってことは興味ありってことだね!? イコール脈アリってことだよね!? いいよいいよー! 将来有望な1年だあー!」
食い気味に被せてきた先輩は、元気に勝手に喋りまくる。
「私たち孵化学研究会は! 機械に頼らず! 自力で卵を孵化させることを目的としてるの! ぎゅっと抱きしめて! 人肌で温めて! 愛情を注ぎながら卵を孵すの! 生命の深淵に挑戦する! 意義深い活動なの! ちなみに今まで孵化させてきた卵は鶏、ダチョウ、フクロウ!」
「フクロウって人力でいけるんだすげえ!? ってそうじゃねえよ! 薄っすら興味もちそうになっちまったじゃねえか! 危ねえ危ねえ!」
俺は全力でかぶりを振った。
「今のはあれだ! 他愛もない世間話に対してのすげえであって、深い意味はないんだからな! 感心であっても関心ではないんだからな! 勘違いすんなよな!」
「ヒュウーッ! ツンデレ乙!」
「やめろ! その親指ビシィッってのを今すぐやめろ! 俺はツンデレじゃねえし! 全然欠片もそんなことに興味を持っちゃいねえから! 孵化させたいなら勝手にどうぞ!」
「後輩も是非一緒に!」
「やだよ! 俺は普通の大学生活をおくりたいの! 必要最低限の単位だけ取得して! 極力変な人とは関わらず! バイトもしないで家にいる時間を多くして! ネット漬けで時折りスレ立てするような生活をおくりたいの! 人のあげ足とって笑って過ごしたいの!」
「……君やっぱり、部活動するべきだと思うよ? ウチでなくても、他のとこでもさ。将来が不安だよ」
「うるせえよ! 親身になって心配すんなよ! ちょっとほろっときちまうだろ!? やめろ! 肩ポンポンすんな!」
「まあでも、ウチが一番だけどね。キミみたいなどうしようもない子でもみんな普通に扱ってくれるし……」
そう言うと、先輩は愛おしそうにお腹を──卵を撫でた。
「何よりさ、楽しいよ? 新しい何かが生まれるのを見るのはさ」
などと、いい話風に締めくくろうとした。
「ちょっとあのねえ、先輩。あんたそんなこと言うけどさ……」
一言文句を言ってやろうと口を開いたその時──
「……おい! 規制破りだ! あいつひとりだけ抜け駆けを!」
「こっちも行くぞ! みんな続けえー!」
「こ……こらおまえらやめろ! やめんかあー!」
「うるせえ! 生徒会なんざやっちまえ! おい権田!」
「どすこおーい!」
人の善性に基づいたルールなんて、一度破れてしまえば脆いものだ。
瞬く間に崩壊した規制線の向こうから、先輩たちが怒涛のように押し寄せた。
「うわ……っ、これヤバいやつだ……っ」
「え、あれ……こっちに来る!?」
追いかける先輩たちと逃げ回る新入生たち。
人の群れがこちらの方にやって来る。
「やめろ、こっち来んな!」
「きゃああああー!?」
卵をお腹に抱えた先輩には、走って逃げるなんて芸当はできっこない。
当然俺が守らざるを得ないのだが、しかし俺は俺で非力なのだ。
人の波に押されて、たまらず倒れた。
先輩が下で、俺が上。
「あたたたた……」
「だ、大丈夫ですか!? 先輩!?」
俺は慌てた。
片手を先輩の頭の下に敷き、もう片手を地面に突くような不自然な体勢で倒れたので、なんかもう色々痛い。
「だ、大丈夫……君が守ってくれたみたいだし……」
フードがめくれて覗いたのは、驚くほどに整った顔立ちだ。
つるつるの肌、豊かに波打つブラウンの髪、きらきらと輝く瞳。
今までのあれやこれやが信じられないほどの美少女だ。
「そ、そうすか……。そりゃあよかった……」
急速に赤くなった顔を見られたくなくて、俺はそっぽを向いた。
「あ、そうだ。卵のほうは?」
「え? あ、卵ね? えっと……」
俺につられたのか、先輩までもがなぜか赤い顔をしていた。
「……大丈夫みたい。割れてない」
卵を擦りながら、先輩は呆けたような声を出した。
「………………でも、孵りはしたみたい」
なんて、謎の言葉をつぶやいた。