2日遅れ
近所の桜が咲いた。でも心境は大して変わらない。
「春だから」といって気分が高揚する事がない。着飾る気は、元来さらさらない。私の近所のデパートよ、もっと地味な服も置いてくれ。
なぜだ。学校前のコンビニが閉店してしまって、気軽に雑誌を立ち読みする事ができなかったからか?やる事がなくて退屈だから気分がのらないのか?そういえばちょうど1ヶ月前、今年も日本の伝統行事をスルーした。
たった2体の人形に、もうここ数年お目にかかっていない。少なくとも中学に上がってからずっと。
「勉強しなきゃいけないのに引っ張り出してる暇なんかない」と母が言う。学年末試験の時期が毎年重なるなんて、一体何の陰謀なのか。
さて今はと言えば。
「天気がよかったら花見に行こうか」と父が言えば、
「そんな暇はない」と母。ああ、よく考えなくても同じような台詞だ。
桜前線に一喜一憂するブラウン管の向こうのキャスターにしらけた。桜が待ち遠しいとは思わなかった。
なぜだろう。学校行事で行った奈良で、すでに満開のコヒガンザクラを見てしまったからだろうか。
春と言えば、『恋をしてみませんか』というフレーズに象徴されるように、世間一般にはうきうきする季節のはずなのだ。五月病にはまだ早い。
今まで、この時期にこんなに憂鬱になった事はない。ひょっとすると、過去が美化されているだけなのかもしれないが、少なくとも桜は楽しみにしていたのは確かなのに。並木の下の、花吹雪を浴びながらの散歩を、私は至極謳歌していた。
それと、元来楽観的であるのに、自分を責めるようになった。
―あの日あの時の行き過ぎた言動!
思いだしては髪を掻きむしり、何か壊したくなる。ヒステリーだ。
いっそこれを、ブルーマンデーのノリで『ブルースプリング症候群』と命名しようか。
『症状:春にも関わらず、桜を見ても高揚感を覚えない』
『治療法:なし』
致命的だ。治療法がないなどとは、自分で書いておきながらますます憂鬱になるではないか。
ロマンチックが動き出す気配は一向になく、ヒステリーが止まらない。むしろ加速中だ。このままでは胸にとどまらず、ストレスで胃腸も苦しくなる。
どうすればいい。一体どこに突破口があるのだろうか。
…ところで。
2日前は、誰にもかまわれる事もなく、そして自分で気のきいた意匠ができたわけでもない。無力だ。
366分の1のチャンスを逃したと気付いてから、何もする事がない、としょーもない嘘をついても価値は皆無ではないか!私のばか!
このヒステリーの元凶だって、それだと分かりきっているのに、あえて触れないのはただの現実逃避。
実を言うと、別に春がどうとかいう問題じゃないのだ。
『症状:長期休暇の後半に、異様なまでの切迫感、恐怖感、後悔に襲われる』
『治療法:宿題の計画的な消化』
単純明快、自業自得。
今回のケースについて言えば、例年より春休みの宿題が多い、それが原因だ。治療法が分かっていながら全く改善の兆しは見えない。
そういうわけで、『ブルースプリング』より『ブルーバケーション』の方が適当である気がする。しかもさっき気がついたのだが、『ブルースプリング』を日本語に直したら『青い春』で『青春』となってしまった。なんてこった、意味が変わってくるじゃないか。
いや、学業で悩むというのも、学生のうち、つまり青春時代にしかない事だからそれでもいいのか?
この際だから洗いざらい吐露してしまおう。2日遅れの今となってはネタばらしが妥当だろう。後書きで書こうかとも思ったが、言い訳がましくなりそうなのでやめだ。
今回の駄文、『青と薄紅』などというタイトルも考えたが、そんな気取った言葉が中身と釣り合うはずもないので当初の案のまま『2日遅れ』とした。
しかも『2日遅れ』と言っておきながら、今日に投稿する事は昨日の時点で決定済み。なんだか詐欺のようだ。
しかしまあ、昨日エイプリルフールから置いてきぼりをくらったと気付いてから、今の憂鬱さ…『ブルーバケーション症候群』も手伝って、ただ思った事を書き上げたというか書きなぐった文章であるが、これくらいの早さで他の連載の続きを書けないものか。どうやらここにも『やらなきゃいけないと分かっているのに後回し』の気質が現れているようだ。現在、作者ページで『投稿済み作品一覧』を見る時、『長期更新停止中』の文字が胸に刺さる。やらなきゃ、やらなきゃ。
いや、これを投稿したらば、まず最優先は宿題だ。ネット中毒と戦わねば。
まだまだ、レポートや英語、化学の問題集が残っている。
さあ、頑張らねば。カーテンの隙間から覗く空は、青い。
…なんてね。
2008年4月3日 "現在、AM 0:51" M 拝