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二つ月の帝国  作者: 月城 響
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国の全てを牛耳る男

 そこからさらに10分ほど歩いて、さあやは皇帝の執務室にやって来た。あまりに大きな城なので、ここに来るまでに随分息が乱れてしまった。一度深呼吸して入口から中を覗くと、丁度書類を持って歩いていたメダと目が合った。


「エルディス様。サアヤ様がおいでになられましたよ」


 机の上の書類にサインをしていたアルバドラスは顔を上げ、さあやに笑顔を向けた。

「おお、サアヤ。昨日は大活躍だったらしいな。サーズの弟を守り、向かってくる男をちぎっては投げ、投げてはとどめを刺し・・・」

「誰の武勇伝よ」


 さあやはちょっと赤くなりながら中に入って行くと、豆のジュースを彼の机の上に置いた。

「今日はちゃんと仕事をしているみたいだから、ご褒美」

「これは、なんだ?」

「サアヤ特製、スペシャル健康ジュースよ」

「ふぅぅぅむ」

 アルバドラスは目を細めて木のカップに入っている液体を見つめた。


「もう。何悩んでるのよ。みんなにもおいしいって言ってもらったんだから、ちゃんと飲んでよね」

「よかろう」


 アルバドラスは意を決したようにカップを掴むと、一口飲んでちょっと考えてから全部飲み干した。

「うむ。美味であった」

「でしょう?」


 自慢げに答えて机の上の空のカップを片付けながら、さあやはアルバドラスの手元の書類にふと目を止めた。

「それって、陳情書?」

「そうだ」

「カザという村で洪水が起こってたくさん怪我人や病人が出てるって・・・。それがどうして保留なの?」

 

 さあやは書類の右上に押された保留の印を指さした。他にもたくさん陳情書が並んでいるが、どれも右上に赤い文字で保留と書いてあった。


「大火事で50世帯もの人たちが焼け出されたのに、これも保留?」

「金がないのだ。どうしてやる事も出来ぬ」

「お金がなくても、視察団を送ったり、医者を派遣したりできるはずよ」

「それを決めるのは国務官の仕事で、我の仕事ではない」


 アルバドラスは机の上にある書類を一つにまとめると立ち上がった。

「どうして?皇帝のあなたが采配を振ればいいはずよ。それともあなたの仕事は彼らの書いた保留の文字を認めるサインをするだけだと言うの?」


 執務室をメダと共に出て行きながらアルバドラスは答えた。

「それだけだ」


 さあやはむっとして頬を膨らませた。机の上の陳情書は少なくとも30件はある。それを全て保留という形で見捨てるつもりなのだ。

「ちょっと、待ちなさいよ、アルバドラス!」


 さあやは廊下を歩いて行くアルバドラスを追いかけた。


「一番上に立っているあなたがやらなくて、誰がやるの?あなたは皇帝なんでしょ?」

「皇帝だからと言って、何もかもが思い通りになるものではない」

「じゃあ、見捨てるの?あなたの国民なのに、みんなあなたを頼っているのに!」

「我にどうしろというのだ!」

「そんな事、言わなくても分かっているでしょう!」


 廊下の真ん中でにらみ合っている2人にメダはオロオロしながら声をかけた。

「あ・・・あの、サアヤ様、エルディス様」

「メダは黙ってて」

「そちは昼食の準備をしてくるがよい」


 これ以上はとても割り込める雰囲気ではなかった。にらみ合う2人の様子を気にしながらメダが去って行った後、アルバドラスはくるっと背中を向けて歩きだした。

「逃げるの?」

「自室に戻るだけだ。付いてこずとも良いぞ」

「おあいにく様。私もこっちに用事があるの」


 そうして彼らは通りがかった兵や女官たちが目を丸くして見つめる中、ずっと言い合いをしながらアルバドラスの部屋までやって来た。

「貴方は皇帝なんだから、やらなきゃならないの。絶対やらなきゃならないの!」

「ええい、しつこい!」

「しつこいのは私の取り柄よ!」


 ドアのノブに手をかけて、アルバドラスはふくれっ面で自分をにらみ上げるさあやを振り返った。


「まさか、部屋の中まで入ってくる気ではあるまいな。入ったらただでは帰れぬぞ」


 そんな脅しに負けるもんかと思ったが、このエロ皇帝の事だ。本当に何をされるか分からない。

「頼まれても入るもんですか!」


 互いに「フン!」と鼻を鳴らすと、アルバドラスは部屋の中へ、さあやは今自分が城のどこに居るかもわからないまま、勢いよく歩き始めた。


 アルバドラスが仕事に前向きではない事は分かっていたが、困っている人達を見捨てるような、そんな冷たい人間だとは思わなかった。怒りが冷めないまま歩いていると、廊下の奥から背の低い白髪頭の男が5人の側近を連れて歩いて来た。肩からその地位を示す金色のふち飾りが付いた緑の袈裟けさをかけている。緑は皇帝の青に次ぐ地位を示していた。


 男はさあやの前までやって来ると立ち止まった。

「これは、皇帝陛下のお客人、サアヤ様でいらっしゃいますかな?」

「ええ、そうよ。あなたは?」

「私はバラク・ダラ。国務官の長老を致しております」


 どうやらこの男が陳情書に保留の印を押しまくっているようだ。さあやは無表情にバラク・ダラを見つめた。平たい顎に垂れ下がった眼尻。とうに60歳は越しているだろう。


「そう。私はしばらくこの城に居なくてはならないの。よろしくね」

 さあやは軽く頭を下げるバラクの横を通り過ぎた後、彼を振り返った。

「ダラ長老。国務官の仕事ってどんな事をするのかしら」

「そうですな。簡単に言えば、この国の国土に関する事、すべてでございますな」

「この城も?」

「この城も・・・でございます」

「そう」


 さあやはにっこり笑って歩き出した後、もう一度反対側の廊下の奥へ消えて行くバラクを振り返った。

アルバドラスが保留の印を認める事しか出来ないのだとすれば、それはあの男が皇帝以上の権力を持っていると言う事だ。つまり彼はこの国の全てを陰で牛耳っている事になる。いや、彼だけではないだろう。国に財貨がないと言う事は、財務を預かる人間もかかわっているはず・・・。


 さあやは何となく怖くなって考えるのをやめた。しばらく歩くと、やっと見覚えのある通りに出た。ここから部屋までは歩いて3分だ。そう言えばアルバドラスと喧嘩するのに夢中になって彼の執務室に豆乳とカップを置きっぱなしにしてしまった。多分メダか執務官の誰かが片付けてくれるだろうが・・・。


 昼食の時間であったが、ひとまず部屋に帰って休憩したかったので、さあやは急いでドアを開け、ベッドまで走り倒れこんだ。ふわふわの枕に顔をうずめて仮眠を取ろうとしたが、ふと違和感を感じて後ろを振り返った。


 召使いが着る黄土色の衣服を着た色の白い女性が、ドレスの裾を持ち上げて頭を下げていた。

「だ、誰?」

「お初にお目にかかります、サアヤ様。今日からサアヤ様のお世話をさせて頂きます、カヤと申します」

 そう言えば、さっきサーズが身の回りの世話をするものを付けると言っていたのを思い出した。


「でも、私、自分の事は自分でできるし・・・」

「サアヤ様は何もなさらなくてよろしいのですよ。これからは全て私に任せて下されば。あっ、それからサーズ様が今日の御昼食からは、皇帝陛下とご一緒に取られる様にと」

「は?なにそれ」


 さあやはびっくりして叫んだ。冗談じゃない。今の今、大喧嘩をして来たところなのだ。

「嫌よ、絶対いや!」

「で、でもサーズ様がお決めになった事ですし、すぐ着替えられるようにとドレスもここに・・・」

「着替えなんかしないし、食事もしない!ってそんな事あなたに言っても仕方ないわね。サーズに言ってくるわ」


 オロオロしているカヤを残し、勢いよく部屋を飛び出したところで、丁度、向こうから歩いて来たサーズに出会った。

「これはサアヤ様。まだ着替えておられないので?」

「サーズ、食事の話、取り消して。今アルバドラスに会いたくないわ」

「おや、どうしてでございますか?」


 さあやは言いにくそうに彼から目をそらして、さっきアルバドラスと大喧嘩をしてしまった事を話した。

「ええ。存じ上げておりますよ。あの穏やかな陛下があんな大声を出しておられるのを初めて見ました」

「知っているなら取り消して。アルバドラスだって嫌がるはずだわ」

「先程陛下に伺ったところ、何もおっしゃっておられませんでしたよ。この国では沈黙は肯定の意味になります」


 何も言わないのは当然だろう。年下の女性と大喧嘩したから会いたくないなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。それともかなり怒っていると言う事なのだろうか。とにかく今彼に会うのは気まず過ぎる。


「私はあの食堂が好きなの。料理人の人達とも親しくなったし」

「食堂は駄目です」

 サーズは冷たく言った。

「下級の兵士達から苦情が出ているのです。形式上あなたは異国の姫君と言う事になっておりますから、そのような方と食事をするのは緊張して息が詰まる。食事がのどを通らないと」

「は?このイッパンピーポー丸出しの私のどこが姫君なのよ!」

「とにかくこれは決定事項です。さあ、カヤ。すぐに着替えを。食事の時間に遅れてしまう」


 サーズは後ろでドレスを持って立っていたカヤに命じると、強引にさあやの腕を掴んで部屋に押し込んだ。







 

 




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