憎しみの果てに・・・
振り上げたハルの右手に青い炎の玉がぶつかり、彼の剣が吹き飛ばされた。さあやを乗せたエルが攻撃したのだ。憎しみの目で自分をにらんだハルに、さあやは叫んだ。
「貴方は本当にバカだわ。ルディを殺したら、貴方はこの世界でたった一人、あなたを愛してくれる肉親を失うのよ!」
「うるさい!」
ハルは叫び返すと、吹き飛んだ精龍石を拾い上げた。
「お前ら全員、ここで殺してやる。精霊よ。そのすべての力をわが前にあらわせ。その力であの者達を・・・・」
ハルの言葉が途中で途絶えた。石を持って振りあげた手が急にわなわなと震え始めたかと思うと、肘から反対方向へ折れ曲がった。
「ぎゃああぁぁっ!」
あまりの痛みに叫び声をあげると、ハルは腕を押さえて地面に倒れた。再び骨の折れる音が響き、今度は左腕と両足が有り得ない方向に曲げられた。アルバドラスは悲しそうに目を伏せると立ち上がり、息も絶え絶えに地面に転がっているハルを見下ろした。
「聖霊の力を力づくで捻じ曲げて使えば、必ず己の身に報いを受ける。だから過去の王達は皆、正しい事の為だけにその力を使ったのだ。ハルよ。もう憎しみは捨てよ。でなければその身を滅ぼすことになるぞ」
「誰が・・・捨てるものか・・・。エルディス。お前こそ、なぜ殺さない。いま、俺を殺しておかねば・・・後悔するぞ。お前に何かあれば取って変わるのはこの俺だ。俺が生きて居る限り・・・お前は命を狙われ続ける。一生・・・安心して眠ることは出来ないぞ」
「皇帝とはそのようなものだ。それに弟を殺してまで、この地位にしがみついていたいとも思わぬ。ハル。例えお前がどう思っていようと、我はお前の兄だ。これから先、どれほど離れようともお前の事を忘れる事はない。決して・・・・」
救護班に担架で運ばれながら、ハルはアルバドラスから目をそらした。そう簡単に憎しみが消える事はないだろう。それでもさあやはハルの心が少しずつでも変わって行くことを願った。救護班の馬車にハルが乗せられて去って行くのをじっと見送っているアルバドラスの心中を思うと胸が痛んだ。その背中はまるで泣きたいのをこらえているようだった。それでも彼は皇帝らしくサーズらに帰城の指示を出し、離れた場所で休んでいるフリッパーの所へ歩いて行った。
「傷の具合はどうだ?」
- もうほとんど大丈夫だ。私が動けぬ間、サアヤが頑張ってくれた。そなたもサアヤも成長したな -
アルバドラスはちょっと照れたように微笑むと、さあやを振り返った。包み込むように優しい笑顔を帰してくれるさあやを見ていると、締め付けられるような胸の痛みが少しずつ薄れて行くような気がした。
そして彼等は再びドラゴンに乗って帰途についた。途中、荒野の中でこちらに向かって大きく手を振りながら走っている獣族が目に入った。
「サアヤッ、サアヤーッ!」
「マーロ!」
さあやはエルの鬣を両手で掴んでいるので手を振り返すことは出来なかったが、代わりに大きな声で返事をした。
「無事だったのね、マーロ!」
「サアヤ、ありがとう。又会おうなぁーっ!」
「うん!」
遠い空の向こうに去って行くドラゴンを、マーロはその姿が見えなくなるまで見送った。
こうしてアルバドラスとさあや、そして少し遅れてサーズの率いる軍も城に戻ったわけだが、まず最初にアルバドラスが受けたのは歓迎ではなく、メダの説教だった。それはもうどれだけ心配したかや3万もの軍勢を動かす事になった責任をどう考えているのだと、とにかくくどくど2時間もの間小言を言われ、二度と勝手に出て行かないようにと約束させられた。だがフリッパーに乗れば簡単に城を抜け出せることを知ったアルバドラスが、その約束を堅実に守るかどうかは定かでなかったが・・・。
一方さあやも監禁されていた疲れもたった一日休んだだけで、そのあとは更に忙しい日々を迎えていた。主要な官庁の長官達と新しい組織づくりに携わっていたからだ。
さあやは今までの旧体制を見直すには、定期的に新しい人材の配置と転換をする必要があると考えていた。それが他官庁との癒着を防ぐ一番良い手段だ。それから獣族の暮らしや待遇に関する改善にも取り組んだ。まず獣族に対する奴隷制度を廃止させ認識を改めさせるため、新しい罰則を盛り込んだ法令を定めた。
それから彼等が仕事をしながら住める新しい町 -さあやは中華街のようなものを想定していた - の建設。人間に対する認識を改めてもらうため、積極的にスローグへも赴いた。最初は危険だからと反対していたフレイヤも、さあやが次第に獣族と打ち解け始めると、彼らの為に家から必要のなくなった家具や古着を持ってきたり、時には男の子相手に剣を教えたりして遊ぶようになった。銅山へ働きに出ていた親たちも徐々に戻り始め、先日マーロ達も両親と嬉しい再会を果たした。
ハルの処分については相当もめたが、何よりもアルバドラスがハルに生きていてほしいと願った事もあり、極刑は免れ、クラウド皇子も収容されていたゲナフ島の監獄へと送られた。もしかしたらそれは死よりもつらい刑かもしれない。だがもしそこでハルが心を入れ替えてくれたら、もう一度一般人としてでもやり直してもらいたいとアルバドラスは願っていた。
午前中に行っている経理の授業もいよいよ終盤を迎えたある日の午後、さあやは久しぶりにアルバドラスと庭でお茶を楽しんだ。フラルが居なくなってから初めてのお茶会だ。彼女のようなブレンドが出来る給仕は居なかったが、皇帝のデザートを担当するいわゆるパティシエが、彼なりにブレンドしたらしい。
北に位置するこの国も近頃は随分春めいて来て、庭には暖かな日差しが差し込んでいた。その中をカミラともう一人の女官がお茶を運んで来た。てっきりカミラが皇帝に持っていくのかと思っていたら、彼女はさあやの方にお茶を差し出した後、こそっと耳にささやいた。
「色々聞いたわよ。悔しいけど陛下はあんたに譲ってあげる。庶民代表として頑張って」
片目を閉じるカミラに、さあやは真っ赤になってお茶を口に運んだ。
しばらく話をした後、アルバドラスが立ち上がってさあやの側にやって来た。
「少し、歩かぬか・・・?」
差し出された手を取って立ち上がると、さあやはアルバドラスの後ろに付いて歩き始めた。ふと気づくと上空にフリッパーとクラティカ、エルが3匹で仲良く飛んでいる姿が見えた。アルバドラスもそれに気づいたのか、立ち止まって空を見上げた。サーズ達は遠慮してか、少し離れた場所で彼らを見守っている。アルバドラスがふと目を戻すと、空を見上げているさあやの横顔がとてもきれいに目に映った。
「サアヤ・・・」
風に揺れる木立のざわめきに気を取られていたさあやは、髪を押さえながら答えた。
「え?なあに?ルディ」
ほんの少し言いにくそうにうつむいた後、彼は一歩足を踏み出した。
「我は・・・」
その時、アルバドラスの後ろ髪を何かがかすめ、驚いたように彼は立ち止まった。振り返ると、すぐ側に立つ大きな木の幹に一本の矢が刺さっている。サーズとフレイヤが飛ぶように走って来た。護衛をしていた近衛兵が剣を引き抜き、矢が飛んできた方へ走りだした。
さあやはごくりと唾を飲んで、アルバドラスの真後ろに刺さった長い矢を見つめた。その矢を掴んで引き抜くと、アルバドラスは矢じりと羽の部分を確かめた。ダマスカスの紋章、蛇とライオンが刻まれている。
「ダマスカスめ。同盟を破ったか」
サーズが呟くように言った。
「まだそうとは限らぬ。帝国とダマスカスを争わせようとする第3者の仕業かもしれぬし、全く別の国がダマスカスの名を騙って我を暗殺しようとしたのかもしれぬ。いずれにせよ、我は再び命を狙われるわけだ」
「ルディ・・・」
心配そうに見上げたさあやに笑いかけると、アルバドラスはサーズと共に城へ戻って行った。結局、矢を射た犯人には逃走され、城の警備は一層強化されることになった。




