ハルとの戦い
馬を全速力で走らせながら、ハルはチラッと後ろを振り返った。どうやら追手に気づかれることなく、逃げ切れたようだ。このままダマスカスへ抜ければ、帝国とてそう簡単に手は出せない。ダマスカスは大陸でヴェル・デ・ラシーアに次ぐ王国で、和平を結んだあとも帝国が最も警戒している国だ。ダマスカス王家は皇家の血筋であるハルの亡命を歓迎している。帝国の手前、亡命を手助けする事は出来ないが、城まで来ればいつでも受け入れると親書ももらっているのだ。
ダマスカスを味方に力を蓄え、いつか必ずあの男を葬ってやる。その時こそ・・・。いつか訪れる新しい時代を思い描きながら顔を上げたハルは、空中をこちらに向かって降りてくる一匹のドラゴンを見た。
「エルディス・・・!」
ギリッと歯をかみしめると、ハルは馬を止めた。アルバドラスはハルの10メートル先にゆっくりと降りてきて向かい合った。23年ぶりの再会がこんなに悲しい再会になるとは思わなった。もしもっと早く会っていれば・・・。後悔を胸に秘めながらアルバドラスは叫んだ。
「もはや逃れる事は叶わぬぞ、ハル。皇家の一員として罪を償うのだ」
「皇家の一員だと?邪魔だから必要ないからと放り出しておいて、今更責任を問うのか」
「ハル。お前がどんな思いを抱いて生きてきたか、どれほど皇家を恨んでいるか、我にも分かる。だがお前が獣族の後押しをしなければ、彼等はこれほど大胆な行動を起こさなかった。お前は獣族を利用して皇家に復讐しようとした。いや、この帝国すべてに・・・。例え直接手を下さなかったにせよ、お前の罪は許されるものではない。我と共に城に戻り、裁断を仰ぐがよい」
「嫌だね。誰がお前に裁かれるものか。俺は逃げきってみせる。そしていつか皇家を滅亡させる。この俺の手で」
「どうあっても従えぬと言うなら、力づくという事になるぞ」
「さあて、お前に俺が捕えられるかな?」
ニヤリと笑うとハルは胸元から握りこぶし大の青白く光る石を取り出した。エルと共に空の上から彼らのやり取りを見ていたさあやはその石に見覚えがあった。精霊神殿の一番奥の部屋に祀られていた、巨大な精龍石と同じ大きさの石だ。あれほど大きな精龍石は他にはないとアルバドラスが言っていたはずだが・・・。
「驚いたか?これは母が死ぬ前に精霊神殿から盗み出したものだ、そう。お前がずっと精龍石だと信じて拝んでいたのは、周りのろうそくの光を反射して光っているだけの真っ赤な偽物だったのさ。知っているか?精龍石をずっと身に付けていると、石はその者に聖霊の力を与える。力を与えられても蓄えられないものが多いが、俺もやはり皇帝の血を受け継いでいるらしい。エルディス。もともと持っていたお前の力と与えられた俺の力。どちらが強いか、試してみるか?」
ハルの手の平に乗せられた石から青い光が浮かび上がったかと思うと、巨大な光の玉になって尾を引きながらアルバドラスにぶつかってきた。とっさにフリッパーは上に逃れた。光の玉はそのまま荒野を走り、大きな岩にぶつかり破壊した。矢継ぎ早に発せられる光の玉を何度もフリッパーはかわしたが、アルバドラスを追ってきていた兵士達の中に玉が飛び込み、20人余りの人間が爆発に巻き込まれた。
「下がっていろ!」
アルバドラスは先頭のサーズに叫ぶと、胸に下がっている小さな精龍石を握りしめた。手の中が熱くなるのを感じた後、向かってくる光の玉に手をかざした。
ー ドンッ! -
光の球が空中に停止したかと思うと、激しい音と共に消滅した。
「我にこんな攻撃は通じぬぞ、ハル!」
空中からフリッパーと共に急襲を掛けるアルバドラスに今度は何百本もの光の矢が放たれた。フリッパーが体を反転させ、高く上昇する。
「通じぬと言っているだろう!」
アルバドラスの手から伸びた光の帯がハルを捕まえようとしたが、巧みに馬を操りハルも逃れる。馬の手綱を操りながら、ハルは左手に握りしめた精龍石に意識を集中した。石の上に浮かび上がった光が徐々に膨らみ巨大になっていった。
「ではお前の軍を殲滅させてやる。一瞬でな!」
叫びと共に2メートル以上もある巨大な光は空に舞い上がり、3万の兵の中へ一直線に向かって行った。光は速度を一定に保ちながらますます膨らんでいく。
「下がれ、下がれぇっ!」
サーズや指揮官らが必死に馬を走らせながら軍を下がらせようとするが、あまりに人数が多いため、動きが遅かった。特にエグラは急な動きが出来ないので、無理に反転しようとすると皆背中から転び、乗っている者が地面に投げ出された。人々がもみくちゃになりながら逃げ惑う上から、巨大に成長した光の玉は赤黒く色を変えながら彼らの上に落下した。
その光と軍勢との間に小さなドラゴンが飛び込み、青いベールを広げた。さあやがエルと共に割って入ったのだ。赤い玉はベールに触れると、体中を震わせ、一気に破裂した。
「早く逃げて!」
さあやの叫び声に再び軍は退却を始めた。すでにハルはアルバドラスに再び攻撃を開始していた。龍石から出た光の矢は上昇する彼らを追って行くうち巨大な一本の矢になり、どちらに逃げても追って来る。アルバドラスは振り返ってその矢に手をかざした。手の平から発せられた光の玉が矢を攻撃するが、矢はその光を通り抜けて追ってくる。何度か攻めたが、矢の勢いは止まらず、フリッパーの体をかすめた。
「ギューイッ!」
フリッパーの苦し気な鳴き声が響いた後、アルバドラスがフリッパーの背から落ちていくのが見えた。
「ルディ・・・!」
地面に落下する寸前、さあやを乗せたエルが滑り込んで来てアルバドラスを救った。フリッパーも何とか彼等から離れた場所にゆっくりと着地した。地面に降りると、アルバドラスはさあや達にフリッパーの所へ行くように指示し、再びハルを見つめた。自分の首に下がったひもから精龍石の入った小さな袋を引きちぎるとそれをギュッと握りしめた。すると彼の手の中から青白く輝く剣が現れた。
馬を操りながらそれを見たハルも、ニヤリと笑って同じように石を握りしめた。彼の手の中から現れたのは長い槍だ。馬の腹を蹴って猛然とアルバドラスに向かって走り出す。
馬上の槍と地上の剣では剣の方が明らかに分が悪い。加えてアルバドラスはあまり剣を持ったことがなかった。それを知っているサーズは彼を守る為に馬の腹を蹴って走りだそうとしたが、エルに乗ったさあやが彼の前に降り立った。
「近づいては駄目よ」
「サアヤ様、しかし・・・」
「近づけばハルはあなた達を攻撃する。ルディには、あなた達を守りながら戦う余裕はないわ。ここに居て」
「しかしこのままでは、陛下のお命が・・・」
「何言ってるの。ルディは強いのよ。ただ弟に本気を出せないだけ。自分達の皇帝を信じなさい」
驚いたように自分を見つめるサーズにうなずくと、さあやは再び空へ登った。さっきさあやを守った力を見る限り、アルバドラスの力は幼い頃より更に強く充実しているだろう。だが彼は優しいのだ。弟に同情して100%の力を出すことが出来ないでいる。苦手な剣で戦いを挑むのも、弟をその力で殺してしまいたくないからだ。しかしいつまで持つだろう。それが分かっていても、彼はサーズ達に助けてもらいたいとは思っていないはずだ。
たった一人の血のつながった弟を、ずっと放りっぱなしにしてこのような事件を起こさせてしまった。彼は皇帝としてではなく、兄としてその責任を取ろうとしているのだ。
「どうした、エルディス。書類にサインをするばかりで剣など握った事がないのだろう。だが俺は騎馬の槍試合が趣味でな。貴族の主催する試合で優勝したこともあるんだぜ」
アルバドラスの剣を巧みにかわしながら、ハルは余裕の表情だ。
「ならばこれではどうだ?」
アルバドラスの剣先から出た光が馬の目を直撃し、驚いた馬はいななきと共にハルを背から振り落とした。
「くそっ!」
立ち上がったハルも槍を剣に変え、走り出す。二つの光の剣が合わさった瞬間、青い稲妻が剣の先まで走り、兄と弟は互いをねめつけ合った。
「ハル。それだけの力を石から引き出せるのだ。幼き頃、少しは聖霊を感じる事が出来ただろう。なぜ父に言わなかった?」
「言ったさ。だが相手にしてはもらえなかった。あの男にとって大切なのは、跡取りのお前とセラスティーアだけだったからな」
「そんな事はない。我が生まれた後にお前が生まれたではないか。お前の母の事も気にかけていたからだろう?」
ハルは思い切りアルバドラスの剣を跳ね返すと、たっぷりの皮肉を込めた顔でニヤリと笑った。
「セラスティーアにもアドリエにも子供が居るのに、自分だけ居ないと母が父に泣きついたからさ。その証拠に子供が宿った途端、父は顔も見せなくなった。俺が生まれた時でさえ、父は顔を見に来ようともしなかった。俺が初めて父の顔を知ったのは、城の入口でお前の母親と共に描かれた肖像画を見た時だ。どうだ?哀れで泣けてくるだろう?」
確かに胸が痛んだ。父も忙しかったので、なかなか会えなかったが、その少ない時間を全て自分が独占していたのだ。
「母が自害したのも己の罪を恐れたからではない。セラスティーアが亡くなっても、ずっとお前の母の事だけを思い続けている父に対する当てつけだった。そんなくだらない理由で俺は母を失ったんだ」
一瞬アルバドラスが目を伏せたのをハルは見逃さなった。刃先がアルバドラスの腕を切り裂き、彼は剣を手放した。落ちた剣はすぐに石に戻って行く。再び襲ってきた剣を何とかよけたが、足元がふらついてアルバドラスはそのまま後ろに倒れこんだ。首元に剣を突き付けると、ハルはニヤッと笑ってアルバドラスを見下ろした。
「これで新しい時代が来る。お前を殺せば・・・」
「本当にそう思うのか?ハル。我を殺せばお前の苦しみは終わるのか?お前の心は救われるのか?」
「ああ、救われる。だから死ね・・・!」




