帝都マスカベーラ
「昼からはサーズに街を案内してもらうがよい」とアルバドラスが言ったので、さあやは部屋で出かける支度をして待っていた。と言っても、あちらの世界から持ってきたバッグをそのまま持って行くだけだが・・・。
ドアを叩く音がしたので開けてみると、サーズが16.7歳の少年を連れてやって来ていた。皇帝の近接護衛であるサーズは皇帝の側から離れられないので、代わりに街を案内する者を連れてきたのだ。まだあどけなさの残ったくりくりした目がかわいらしい少年はサーズの弟でスーザと名乗った。確かに短い金髪を伸ばして少し大人顔にすれば、サーズにそっくりだ。彼は近衛連隊でも一番下、十番隊の新人であった。
「よいか、スーザ。サアヤ殿は陛下の大切なお客人だ。決して危ない所へはお連れしてはならぬぞ」
「はい、兄上!いえ、連隊長殿!」
胸に腕を水平に当てて礼をとる弟にうなずくと、サーズはさあやに軽く会釈をして去って行った。
「サアヤ様、どちらに行かれたいですか?」
キラキラした瞳を向けられて、さあやは思わず吹き出しそうになった。
― あははっ、かわいい。ちょっとあっちには居ないタイプねぇ -
そんな風に思う自分はちょっとオバサンに近づいているのでは・・・とふと思ったが、即刻その考えは打ち消した。まだ結婚もしていないのに、自分で自分を老けさせてはいけない。
「そうねぇ。まず市場。どんな食品があるのか知りたいわ。それからこの国に主要な産業があるなら、それを見学させて欲しいわね」
「あ・・・はい」
女性ならおそらくドレスやアクセサリーの店に行きたがるだろうと思っていたスーザは、少し驚きながらさっさと歩き出したさあやの後を追った。
「遠出をするならエグラに乗って行きましょう」とスーザが言うので、エグラとはどんな乗り物だろうと思いつつ、朝行った庭とは別の庭に降りて行った。そこは庭と言うよりも城の裏側にある広場で、その広場の端の方には木造の長屋が何メートルにもわたって軒を連ねていた。その木造の建屋に入ったさあやは一瞬、叫び声をあげて逃げ出しそうになった。
中は馬を入れる厩舎のようであったが、四角く区切られた部屋に一頭ずつ居るのは馬ではなく、どう見ても大型爬虫類の怪物であった。ワニのように深くさけた口には4つの牙がむき出し、ソフトボールくらいの大きな目玉が2個、頭の上でぎょろりと光っている。前足は短く、しっかりとした後ろ脚には巨大な爪が付いていた。体色は灰色がかった黄緑色で、後ろに付いている太い尻尾でたたかれたら、確実に骨を折るだろう。
「これに・・・どうやって乗るの?」
「背中に鞍を付けて乗るんですよ。普段は2本足で飛びながら進みますが、4本足になれば、すごく早く走る事も出来るんです」
そう言いつつ、スーザはエグラの背に専用の鞍を付け始めた。
「馬じゃないのね」
「馬は高貴な身分の方の乗り物です。ちなみに近衛の一番隊も馬に乗っていますよ」
おとなしく鞍を付けられているのを見ると、見かけほど凶暴ではないのだろうが、振り落とされて尻尾でぶん殴られたら、一貫の終わりだろう。不安そうなさあやの表情を見て、スーザは笑いかけた。
「エグラはこれでも高級な乗り物なんですよ。街ではお金持ちの商人が使っていますし。顔は怖いですが、マカラという固いからでおおわれたフルーツしか食べないし、性格はおとなしく従順です」
「振り落とされたりしない?」
「大丈夫です。僕が後ろから支えていてあげますから。こう見えてもエグラに乗るのは得意なんですよ。兄上に鍛えられましたから」
「兄上ってサーズ?」
「いえ、2番目の兄のキートレイです」
背もたれのついた鞍に乗ると、スーザは手を差し出した。異世界に来て怖がってばかりでは一歩も進めない。さあやは覚悟を決めてスーザの手を掴んだ。
「行きますよ」
スーザが手綱を引くと、体を伏せていたエグラが2本足で立ち上がった。急に地面が遠くなって、さあやは鞍につけられた取っ手を握りしめて身を縮めた。エグラが尻尾を上下に振り、地面を蹴る。ふわっと体が浮いた。
「わあっ」
まるでバネがしなるように地面に足をつくと、再び空へ飛ぶ。最初は怯えていたさあやだったが、風を切る感覚が心地よく、次第に慣れていった。そのまま山を駆け下りて町へ入る前にさあやはこの帝国の城、ヴァン・グリフォン城を振り返った。
巨大な裾野を持つ空へそびえるような山の頂上を削って、まるでその山と一体化するようにその城は建っていた。東西南北に立つひときわ高い四つの物見やぐらが、この帝国の隅々までを監視しているようだ。優美さよりも勇猛さを求めた強固なつくりは、この帝国の力を表しているようにも思う。
「とても国庫がひっ迫しているようには見えないけど・・・。街の様子を見れば分かるわね」
スーザがさあやを連れて訪れたのは、マスカベーラと呼ばれる帝都の中心街、スガヤにある市場だった。
「ここはスガヤでも最大級の市場です。いつも人でにぎわっていますが、週末はもっと人が増えるんですよ」
エグラを降りてスーザと共に歩きながら、さあやは物珍しそうに周りを見回した。たくさんの店舗が軒を連ね、張り出しテントの下にあふれんばかりに商品を並べている。ほとんどが食べ物を扱っている店だが、日用品や服、アクセサリーを並べている店もあった。
野菜を売っている店には必ずと言ってもいいほど豆が置いてある。豆だけを扱っている専門店もあった。店先をスーザと共に歩きながらさあやが言った。
「この国の人は豆が好きなのね」
「そうですね。色々な料理に仕えますから。小さい頃なんか豆ばかりを煮込んだドロドロのスープをよく飲まされました。あまり好きではなかったけど」
「それはいいことだわ。豆は良質の蛋白源なのよ」
店の軒先に並べてある赤や黄色の豆を手ですくいながら、さあやが微笑んだ。
「この国も昔は土地がやせていたんじゃないかしら。豆は寒さに強く、雨が少なくても育てる事が出来るの。今はこんな風にたくさんの食物があるけど、昔の人々はこうした豆を作ってこの国の礎を築いたのね」
スーザは店に並べられた野菜を一つ一つ観察しているさあやを驚いたような顔で見た。確かに豆はもう何百年も前から食べられていたと学校で習った覚えがある。それを彼女は誰にも教わっていないのに、店の軒先を覗いただけで気づいたのだ。
「サアヤ様は学者か何かですか?」
「ううん、違うわ。ただのOLよ」
「オーエル?」
そう言えばサーズが『サアヤ様はお国ではOLという身分らしい』と言っていたのを思い出した。
「会社という組織で働く女性と言う意味よ。お城勤めをしているスーザと同じね。だから私に“様”は要らないのよ」
目の前まで顔を近づけてにっこり微笑まれると、スーザは思わず赤面してしまった。
「はっ、はい。ではこれからはサアヤさんとお呼びします」
「うん」
その店を出てしばらく歩くと、さあやはフルーツばかりが並べられた店に入って行った。
「ここにあるフルーツってみんな暑い地方のものじゃない?」
「はい。よく分かりますね」
「うん。私の国にも似たようなフルーツがあるから」
さあやはキウィに似た茶緑色のフルーツを手に取った。
「この国ってそんなに温暖には思えないけど、こんな果物も作れるの?」
「いいえ。これらは南の方になるファダールという国から運んでくるんです。ファダールは年中暑い国らしいですよ」
「・・・と言う事は流通も整っているのよね。変ね。商業が盛んなのにお金がないなんて・・・」
さあやが考え込んでいると、店のおかみが出て来て話しかけてきた。
「お嬢さん。うちの果物は昼夜問わず走らせて取り寄せてるから新鮮だよ。どうだい?」
「ごめんね。私、お金は・・・・」
さあやがお金を持っていない事を告げようとすると、スーザがにっこり微笑んで遮った。
「お金なら兄上にいただいています。なんでもほしいものをおっしゃって下さい」
「でも、それサーズのお金でしょ?」
「兄上は我が家で一番の稼ぎ頭ですよ。それに僕の家は名門のウラル・バジール家です。この店の一軒位軽く買えますよ」
そんな風に言ってもらえると、甘えてもいいかなと思ってしまう。実は欲しいものがあったのだ。
「じゃあ、みんなにお土産を買ってあげてもいい?それから自分の物もひとつだけ」
遠慮がちに言うさあやに、名家の三男坊はにっこり微笑んで答えた。
「もちろんです。なんでもどうぞ」
その店でさあやは色々な種類の果物と大豆に煮た豆を買い、エグラの鞍に付いている袋に詰め込んだ。
スーザと楽しそうに話しながら歩き出したさあやを、別の店の陰から見つめる3人の男達が居た。3人共長剣より少し短い剣を腰に下げ、なめるようにさあやを見ていた。
「エグラに小姓付き・・・ときたら、貴族か大商人の娘だな」
「どう見てもこの国の女じゃない。さらっても足が付きにくい」
「それにしてもあの肌・・・。この帝国でもあれだけの玉は見つからないぜ」
男達はニヤリと笑い合うと気づかれないように彼らの後を付け始めた。