街へ出よう【2】
マスカベーラにつくと、さあやは獣族の働いているところを見たいと言ったが、獣族はあまり人目のつかない所で働いているので、家の中を見せてくれとも言えず、スーザとフレイヤはしばらく顔を見合わせて考えていた。
「そうだ。私がいつも剣を研いでもらう刀工がこの近くに居る」
フレイヤの提案でそこへ行ってみることにした。さあやは刀鍛冶というのは小さな小屋で一人の職人が鉄を鍛えて刀を打っている所を想像していたが、そこはかなり広い工場のような感じで、奥の方には大きな炉もあり、たくさんの刀工があちこちで鉄を鍛えていた。フレイヤはここが好きらしく、職人たちが鉄を打つ姿を嬉しそうに覗き込みながら一番奥で剣の出来栄えを見ている男の元へ歩いて行った。
「いい剣だな、バルドン。上品で揺るぎがない」
炉の熱で焼けた赤黒い顔を上げた50がらみの男は、フレイヤを見てニヤリと笑った。
「さすがウラル・バジールの嬢ちゃんだ。お、今日は一番下の坊ちゃんと・・・もう一人嬢ちゃんが居たかい?」
バルドンは不思議そうにさあやを見た。
「この方は陛下のご友人でサアヤ様だ。今日は獣族の暮らしぶりをご見学されたいとおっしゃられてな」
「獣族?・・・はうちには居ねえなあ。居るとしたら金持ちの商人とか貴族の屋敷じゃねえか」
それでもバルドンはスガヤの中にある薬種問屋の裏側で何人かの獣族が荷物の積み下ろしをしていたのを見た事や、ひどい扱いに耐えかねて逃げ出した獣族達が暮らしているスローグという町がある事を教えてくれた。
「嬢ちゃんの腕なら大丈夫だと思うが、あそこにゃ3本の爪の協力者が居るという噂もあるし、近頃あちこちから獣族が集まってきているとも言われている。気を付けた方がいいぜ」
見送りに出たバルドンはスローグがあまり環境の良くない場所なので心配していたが、フレイヤは笑って「我らなら大丈夫だ」と言った。
「所でウラル・バジールの旦那様は元気にしてらっしゃるのかい?近頃めっきり刀研ぎにも来られてねえが」
バルドンの問いにフレイヤは一瞬何と答えればいいのか分からないような顔をした。
「ええ。元気にしていますよ。又その内ふらりとやって来るでしょう」
答えにくそうにしている姉の代わりにスーザが答えた。とりあえず獣族が働いていたという街の薬種問屋まで行こうと歩き始めたが、さあやはさっきのバルドンとフレイヤのやり取りが気になっていた。
「あの、フレイヤ。もしかしてお父さん、病気とか?」
「いや、病気では・・・ないのだが・・・」
フレイヤが言葉を濁らせたので、さあやは手を振って「あっ、いいのよ。ちょっと聞いてみただけだから」と断った。
「父は行方不明なんですよ。サアヤさん」
「え?」
スーザの答えにさあやは驚いたように声を上げた。聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。
「スーザ、大げさに言うな」
フレイヤはいたずらっ子のように笑っているスーザをたしなめると、遠い目をして話してくれた。
「父は昔から変わっていたが、50歳になったある日、突然『わしは旅の吟遊詩人になる』とわけの分からぬことを言って、城勤めも引退し、楽器一つ持って旅立ってしまったのだ。確かにどこに居るかは分からぬが、年に2,3度は戻って来るし、私はそんなに心配してはおらぬ。つい先日も戻って来たので兄がサアヤ殿の話をしたら会いたがっていた」
「本当?私も会ってみたいわ、フレイヤ達のパパとママに」
さあやはワクワクしながら答えた。
「きっと会えば喜ぶのだろうが、兄が『今は時期ではありません』と告げると、またすぐに出て行ってしまった。この辺りにはあまり詩になる良いネタがないそうだ」
「そうなの。じゃあフレイヤのお母さんは寂しがっているでしょうね」
「いや。うるさい親父が居なくなって羽を伸ばしている。家長としての務めならサーズ兄上が果たすし、別に何の問題もないからな」
「父上以上に頑固な姉上も居らっしゃいますしね」
ニヤッと笑って言ったスーザを、フレイヤはむっとしたように見下ろした。
「この私のどこが父親以上なのだ」
「上から下までぜーんぶです」
「何を言う。お前が軟派過ぎるのだ」
「サアヤさんの前で誤解を招くような発言は控えて下さい、姉上。そんなんだから“赤毛の鬼姫”などと呼ばれて、嫁の貰い手がないんです」
「なぁにぃぃ?」
姉弟喧嘩になりそうだったので、慌ててさあやが割って入った。
「あ、あの薬問屋さんってあれじゃないかしら」
指差した方向には『イサ・カラス』と書かれた看板と、店の脇に薬草の名前が書いてある看板が並ぶ、大きな間口のある店があった。店名のイサ・カラスの“イサ”は薬草と言う意味で、どこの薬問屋にも屋号の他にイサという名がつくことになっていた。このイサ・カラスはマスカベーラでも一番大きな薬種問屋で城の薬草園の薬草を唯一扱っている店でもある。
いきなりこんな大きな商家に来て獣族の使用人に会わせろとも言えないので、とりあえず客として店に入ってみる事にした。
フルゲイト等の財産を没収しただけでなく、ファイファや薬草園の売り上げもきちっと計上されるようになった財政の3人の長官は、事件の解決や自分達を採用してくれた礼も含めて、アルバドラスの服と共にさあやのドレスも何着か作ってくれた。それは皇帝の賓客にふさわしく大変高価なものであったので、今のさあやは誰が見ても立派な貴族の娘であった。しかも城の騎士を2人も護衛につけている異国の女性・・・となれば、今町中で噂の皇妃候補の姫に違いない。
店の主人はその鋭い商眼で一瞬のうちにそれを判断すると、満面の笑みを浮かべながらすぐ様さあや達の所へやって来た。
「これはこれは、ようこそお越し下さいました。私はこの店の主でメルグ・ドランと申します。そちら様はいまお城にご滞在されておられるサアヤ様ではありませんか?」
さあやはドキッとして主人の顔を見た。初めて会った人がなぜ自分の名を知っているのだろう。
「ええ。そうだけど、どうして私のことを?」
さあやが怪訝そうな顔をしたので、主は深々と頭を下げた。
「それはもう、我々商人の耳は象より大きいですからな。なんと言っても城に巣くう悪を打ち倒し、この国の財政を立て直した正義のヒロイン。われらの耳に入らぬわけはございません」
また妙な噂が流れているようだ。さあやはもうあきれて打ち消す気にもならなかった。これはいざさあやが皇妃に決まった時、なんの身分もない女性に国民が反感を持たないようにとのサーズの作戦であったが、もちろん当の本人は気づいてもいなかった。とにかくいいように誤解してくれているのだから、これを利用しない手はない。さあやは口元に手を添えて明るく笑った。
「まあ、そんなたいした事はしていないわ。すべて陛下のお力です。ところで私はいま薬草の研究をしているのだけど、このお店の中で薬を調合しているのかしら?」
「もちろんでございます。すべて私の店で合わせたものしかお出ししておりません。薬草はヴェル・デ・ラシーア以外にもオクト・ボス、カディーラなどの有名な薬草園から取り寄せております。私の店で揃わない薬草はございませんよ」
自慢げに話すドランの目じりのしわは、いかにも強欲そうだとさあやは思った。
「そう。それはぜひ作っているところを見てみたいものだわ。構わないかしら」
もちろん異論などあるはずもない。未来の皇妃なら取り入っておいて損はないのだ。計算高いドランの頭の中では彼女に送る貢物の金額と、それに対する見返りの儲けとの差額がきっちりと計算できていた。




