獣族の歴史
「フルゲイトですが、私やイーグスをサザラ村で襲わせたことは認めたのですが、フラルに命じて陛下の茶に毒を盛らせた件だけはやっていないと言い張っているのです」
確かに部下を襲うのと皇帝を暗殺しようとするのでは罪の程度が違う。例え未遂でも皇帝の命を狙っただけで極刑は免れないだろう。だからフルゲイトは言い逃れをしているのだろうか。
「サーズはどう思うの?フルゲイトが嘘を言っていると思う?」
「私の見たところ彼は長老たちと比べれば潔く、もはや覚悟を決めているように見受けられました。ですから今さら嘘の証言をするとは思えません。それにフラルには親しい身内は誰も居ないのです。あの子の日頃の様子から、自分の仕事に誇りを持っていたのは間違いないと思いますし、そんな彼女が親兄弟を人質に取られたという理由でもない限り、陛下を裏切るとは思えません」
さあやもそう思った。もしアルバドラスを殺さなければお前を殺すと脅されたとしても、自ら命を絶つような女性だ。そんな脅しに屈するとも思えなかった。フルゲイトでないとすれば、誰がフラルにアルバドラスを殺すように命じたのだろう。
「ねえ、フラルには恋人とかいた?」
「さあ、プライベートな事は分かりませんが、フラルは休みの日でも東塔の中で茶の調合をしているような娘でしたから親しく付き合っている者は、あまり居なかったかもしれませんね」
さあやは「ちょっと付き合って」とサーズに言うと、フラルが住んでいた東塔までやって来た。
皇帝を暗殺しようとした者の遺体は、死の谷と呼ばれる底の見えない程の深い谷にそのまま捨てられる決まりだが、さあやのたっての願いでフラルは犯罪者の為の集団墓地に葬られることになった。そしてフラルが暮らしていた東棟の部屋も、いつかフラルのようなお茶を作れるような人が現れたらこの部屋を引き継がせればいいとアルバドラスが言ったので、そのままにしておく事になったのだ。
さあやとサーズは城と東塔をつなぐ細い石橋を渡って小さな木の扉を開け中へ入った。優しい光が注ぐ部屋の中は、以前フラルが暮らしていた時と変わらず柔らかで癒されるような香りが漂っていた。茶葉の調合を行っていた机と椅子を見ると、まだ彼女がそこに座って居るような気がする。胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えながら、さあやはその机に近づくと、真ん中の大きな引き出しを引いた。
たくさんの茶葉の種類が書かれた本、彼女が考えた色々なブレンドの仕方を書き留めたノート。それらの奥からさあやは一通の手紙を見つけ出した。初めてここを訪れた日、フラルはひどく驚いたようにこの手紙を胸に押し当てた。最初は好きな人からの手紙かと思っていたが、あの日何度尋ねても彼女は「そんな人はいません」と言い続けた。あの時は照れているのかと思っていたが、その言葉が本当だったとしたら・・・。
小さく折りたたまれた手紙を広げると、不思議な絵文字が並んでいた。
「獣族の文字ですね。誰かに解読を・・・」
「いえ、読めるわ」
精霊の力で言葉や文字を理解しているさあやには、この世界で読めない字はなかった。
『古の鎖から解き放たれ、我らの王はよみがえり。2つの月の冠をかぶり、黄金の剣で闇の帝国を打ち破る。あがめよ。あがめよ。我らの王を。そして立ち上がれ。我らの手で闇の王を打ち倒し、新たなる王国を築くのだ。
同志よ。もはや引くことは赦されぬ。その手で闇の王を倒すのだ。流された同族の血の為。誇りを奪われた一族の為。そして我らの王の為に・・・・』
さあやは読み終わった手紙をサーズに渡し、その右下にある印を指さした。赤い3本の爪痕が刻まれていた。
サーズはすぐにコラン・アルマを呼び出し、アルバドラスと彼にその手紙を見せた。アルマは最初、見た事のない絵文字と抽象的な文章に訳が分からなかったようだが、さあやと同じく精霊の力を内に持つアルバドラスには、文字を理解する事はたやすかった。
「つまり3本の爪は、ただの盗賊ではなかったという事だな」
「はい。これを見る限り、獣族の王国復興を目指す組織なのではないかと思われます」
アルバドラスの質問にサーズが答えた。
「あの、獣族って王国を持っていたの?」
歴史をよく分かっていないさあやの為に、サーズが説明を始めた。
獣族は以前この帝国と隣国ダマスカスとの間に、アガダスタという小さいが独立した王国を築いていた。だがアルバドラスⅠ世がダマスカスに進攻する際、通り道であるアガダスタを攻め滅ぼし、獣族を奴隷として働かせるためにヴェル・デ・ラシーアに連れて来させたのだ。彼等はほとんど城で軍役についたが、戦が一応の決着を見ると、貴族や商人たちの元へ売られることとなった。
長い隷属の歴史は今も続いている。獣族の子孫達もまた、奴隷として働いているのだ。
「今でも獣族を奴隷として働かせている家は少なくないと思います。この城にも20人ほどの獣族が居ますが、彼等の仕事といえば人目につかない所で残飯を運んだり、死刑になった囚人の遺体を片付けたりと、よほど身分が低い者の仕事しかありません。フラルは本当に特別だったのです」
自分が今居る国に奴隷制があったと知ったさあやは、かなりショックを感じた。確かに自分が暮らしていた世界にも奴隷制はあった。自分が生きていた時代にはほとんど過去のものだという認識だったが、今でもそのせいで人種差別という根深いものが残っているのも間違いなかった。日本に居るとそれを感じる事はあまりないが、以前アメリカへ友人達と旅行に行った時、小さな白人の男の子が同じ年くらいの黒人の女の子を指さして、「She is Black」と言うのを聞き、とても悲しい気持ちになったのを覚えている。それは日本人のさあやが初めて人種差別について考えさせられた出来事だった。
「奴隷制なんて、絶対にあってはいけない制度よ。人はみな、どんな見かけに関わらず平等であるべきだわ。ルディ、今すぐ奴隷制なんて廃止して。これは絶対にあってはならない事よ」
何も言わずにただため息をついたアルバドラスに代わって、サーズが答えた。
「サアヤ様。そんな事をすれば彼らを使っている貴族や商人たちが黙っておりません。あるいは暴動になるかも・・・」
「そんな事は分かってる。私の世界でも奴隷制を廃止するために戦争が起きたわ。とても大きな・・・。でも、それでもこの制度は廃止しなきゃならないわ。だって、獣族はもうこの国の国民でしょう?」
困ったようにメダとサーズは顔を見合わせた。さあやも自分が無謀なことを言っているのは分かっていた。そんな簡単な問題ではないのだ。それにこの国の人間でもない自分が、こんな根深い問題に口を出すべきではないとも知っていた。
「ごめんなさい。確かに無茶なことを言ったわ。でも考えて欲しいの、ルディ。みんなにも。ヴェル・デ・ラシーアの全ての国民が自分の国を誇りに思えるようにするのが、あなた達の仕事だと思うから・・・」
答えを出せないでいる皇帝を助けるように、アルマが前に出て報告を始めた。
「実は過去に起こった3本の爪の事件を調べ直したのですが、襲われた家のどこにも獣族の遺体はなかったのです。でも被害にあったのは大きな商家や貴族の家ですから、獣族を奴隷として使っていたのは間違いないと思われます」
3本の爪が獣族の集団だとすれば、どこの家からも獣族の遺体が出て来なかったのはうなずける。彼等はひどい扱いを受けている同族を助けたのか、もしくはそうした扱いをする人間を見せしめとして殺したのかもしれないと推測できた。
「でも獣族の王とは誰なのでしょう。確か最後の王、ドアールは戦争の最中に亡くなったはずですが・・・」
アルマが再び口を開いた。
「血縁者には間違いないだろう。フラルも自分達の王の為、同族を助ける為と言われて逆らう事が出来なかったのだろうな」
サーズの言葉に皆がうなずいた。フラルが自ら進んでアルバドラスに毒を盛ったとは誰も考えていなかった。それだけでもさあやは少し救われたような気がした。
これからは他の兵も導入して更に夜警の人数を増やすようにと命を受け、サーズとアルマは部屋を出て行った。
血なまぐさい悲しい事件が早く解決すればいい。少しわびしいようなこんな気分の時、フラルの茶は心を癒してくれた。窓から見える冬の空を見上げて、アルバドラスは呟いた。
「フラルの茶が飲めぬのは、寂しいな・・・」
「うん・・・」
アメリカでさあやが経験した出来事は、実際私がアメリカに行った時に経験したことです。まだ7、8歳の子供が「 She is Black (あの子、黒人だぜ)」と言った時、何とも言い知れない気持ちになりました。難しい問題ですね・・・。




