獣族の女
次の日、迎えに来たサーズはさあや用に何着かのドレスを持って来ていたが、さあやは「そんなもの動きにくい」と言って、昨日のスーツのまま城で働く下級兵達が集まる食堂にやって来た。広い食堂には昨夜、夜通し見張りに立っていた兵が数人、眠そうな顔で朝食をとっていたが、どう見ても異国の風体のさあやを見ると、みな怪訝そうな顔をした。
食事が終わった頃に迎えに来ると言ってサーズが姿を消したので、さあやは久しぶりにゆっくりと朝食をとった。この国は豆が特産品なのか、どの料理にもいろいろな色や形の豆が使われているのには驚いた。
「あら、このピンクの豆、イケる。わぁ、こっちの豆は3センチもあるわ。うん。この小さくて黄色い豆もおいしいわね」
魚が少ないのは、この国が内陸部にあるせいだろう。だが野菜も新鮮でどれもおいしかった。食事が口に合えば、しばらく暮らしても不自由はあまり感じないはずだ。
満腹になったさあやはしばらくその場でサーズを待っていたが、手持無沙汰なのでアルバドラスを探してみることにした。食堂で働いている女の人に、サーズが来たら皇帝の所に行ったと伝えてくれるように頼むと、さあやは昨日彼に案内された部屋を探し始めた。
途中、何人かの兵に不審者と間違われて捕まりそうになったが、アルバドラスの客だと伝えると、みなニヤッとして通してくれた。なぜニヤッと笑うのかは定かではなかったが・・・。
あまりに城内が広いので20分ほど探す羽目になってしまったが、何とか昨日の部屋を探し当てる事が出来た。ドアが開いていたので中を覗くと、メダが奥の方にある机の上の書類を片付けているところだった。どうやらここは皇帝の執務室らしく、ほかにも3人の男達がメダの命令によって、皇帝に見せる為の書類をまとめていた。
「おはようございます、メダさん。アルバドラスは何処?」
「これはサアヤ様。陛下なら庭でお茶をなさっておられますよ」
「お茶?」
こんなに朝早くからお茶とはいい身分だ。部下は一生懸命働いているというのに。庭にどうやって行くのかを聞いて、歩き出そうとしたさあやをメダが呼び止めた。
「サアヤ様。そのお召し物はちょっと・・・」
「どうして?サーズにも言われたけど、この方が歩きやすいんだもの。構わないでしょ?」
「はぁ・・・。申し上げにくいのですが、この国で足を出しているのは、娼婦だけでございますので・・・・」
「え・・・」
それならそうとちゃんと言ってよ、とサーズへの不満を募らせながら、先程の兵達が何故みんなニヤッと笑ったのかが分かった。多分皇帝が呼んだ娼婦だと思ったのであろう。そんな勘違いをされていたのかと思うとかなり嫌な気分だったが、知らなかったのだからしょうがない。
部屋に戻ってあまり胸の開いていない地味目のドレスを選んで着てみた。上から下までサイズがぴったりである。初めてサーズを見た時、かなりイケメンで遊び慣れていそうだと思ったが、間違っていなかったようだ。きっと服の上からでも女性のスリーサイズくらいはお見通しなのだろう。
「まったく、この国の男ってみんなああなのかしら」
メダに教えてもらった道を進んでいくと、やがてアーチ状の出入口がいくつも並んだパティオに出てきた。そこからずっとスクエア型の石が敷き詰められていて、緑の眩しい庭へと続いている。その石畳の端の方に4.5人がかけられる長椅子と、一人掛けのソファーが2つあり、アルバドラスが5人の女官と楽しそうに話しているのが見えた。
「おお、サーヤではないか。どうだ?そなたも共に」
透けるほどではないが、胸元の大きく開いた薄手のドレスに身を包んだ女官たちを見て、さあやはため息をつきたくなった。
「結構ですわ。それに私の名前はサ・ア・ヤ。真ん中のアをぬかさないでくださいませ、エロ皇帝陛下」
「なんだ?その妙な名前は」
「会った瞬間にいきなりキスをするような男は、エロとかスケベと呼ばれるものよ」
「あれはそなたがこちらの言葉を理解できなかったようだから、我の中にある精霊の一部を分けてやっただけではないか」
「あら、そう。でもそれってキスしなきゃ出来ない事なのかしらねぇ」
アルバドラスは少しのあいだ黙り込んだ後、真顔で答えた。
「まあ、ほかにも方法はあるが、あの場合、そなたの顔がすぐ近くにあったのでな」
ー やっぱり・・・ ー
自他ともに認める仕事人間のさあやは、こんな風に国のトップに立つ人間が遊びほうけている事がどうにも信じられなかった。さあやは驚き顔の女官たちをかき分けてアルバドラスの前に立つと、彼を見下ろした。
「アルバドラス。ひとこと言わせてもらうわ。皇帝陛下と名前のつく者が、朝っぱらから女をはべらせて仕事もしないってどういう事なの?それと私がちゃんと帰れるように考えてくれているんでしょうね。それから城の人間に私の事は異国からの客人とでも言っておいてちょうだい。変な誤解をされると困るから。それと・・・」
これは昨日と同じように一言で済みそうにないと思ったアルバドラスは、丁度召使いがお茶を運んだ来たので、彼女に小さく手を振ってさあやにお茶を勧めるように合図した。召使いはうなずくと、お茶を入れた茶器を持ってさあやに差し出した。
「あの、お茶をどうぞ」
「え?お茶?」
白熱しながら文句を並べ立てていたさあやは、お茶を差し出している召使いを見て、一瞬言葉を失った後、「キャァァァ!」と叫び声を上げた。その叫び声に驚いた召使いは、お茶を持ったまま呆然としていたが、もっと驚いたのはさあやだった。目の前に立っていたのはどう見ても人間ではなかった。いや、体つきは人間そのものだが、顔が人のそれではなかった。顔中毛むくじゃらで耳は頭の上にピンと立ち、金色の目の中にある瞳孔は猫のように盾に細長かった。服は着ているが、腕も足も毛でおおわれている。人と同じような指があり、鋭い爪があったようでそれはきれいに丸められていた。
「獣族をご存じないのですか?サアヤ様」
丁度そこに現れたサーズが声をかけた。
「獣族?」
「この城の下働きにもたくさん居ますよ。通常獣族は皇帝陛下に直接お使えできるような身分ではないのですが、彼女・・・フラルの場合はとてもおいしいお茶を入れる技術を持っておりまして、それで陛下に仕える事を許されたのですよ」
「そうなんだ。ごめんね、ひどく驚いちゃって・・・。あ、お茶、いただくね」
さあやはフラルから茶器を受け取ると、一口飲んだ。口の中から体中に花の香りがふわっと広がって、初めて飲むのに懐かしいような味がした。
「すごい・・・美味しい。こんなお茶、飲んだの初めて」
「フラルの茶は帝国一だ。いくら飲んでも飽きる事はない」
皇帝とその客人の褒め言葉にフラルは恥ずかしそうにうつむきながら跪いた。
おいしいお茶のおかげですっかり毒気を抜かれたさあやは、アルバドラスが女官たちを下がらせたこともあって、彼と一緒にお茶を楽しんでしまった。フラルは色々な茶葉をうまくブレンドして200種類以上のお茶が作れるそうだ。彼女は天気や皇帝の健康状態を見て、毎日彼に合わせたお茶をブレンドしていた。
「フラルのお茶って魔法がかかっているのかしら。仕事人間の私をこんなにまったりさせるなんて」
「そなたの国にある魔法とは、どんなものなのだ?」
「魔法なんてないわ。想像の世界のお話ですもの。でも空を飛んだり、好きなお菓子を出したりってみんな憧れるでしょ?そんな力を魔法って呼んで、みんな魔法が使えたらいいなぁって空想して楽しんでいるの」
アルバドラスはフラルが継ぎ足したお茶を一口飲むと、興味深そうに「ほお・・・」と呟いた。
「我が国に息づく聖霊も昔は人とつながって、そういった力を使うものも居たらしいが、今ではそんな話しを聞くこともなくなった。我の中にある精霊も、幼き頃時々声を聞いたが、今では何も聞こえなくなってしまった」
アルバドラスによると、聖霊とは自然界の至る所にある意思なのだそうだ。聖霊には人間のような欲はなく、ただ大地や木や水や空気の中に溶け込み、それらを生かしていると言われていた。それを昔の人は己の中に取り込んで力に変えていたらしいが、今ではその取り込む力を持っている者はほとんどいなくなってしまった。
アルバドラス自身も聖霊の力を使えた母の才を受け継いでいたが、聖霊が何も答えてはくれなくなってから、新しい聖霊を取り込むことも、その力を使って国の未来を垣間見る事も出来なくなってしまったそうだ。
ー じゃあ、聖霊の力を私に移すのにキスしか方法がなかったんじゃないの。意外と意地っ張りなのね、この人 -
考えにふけるように話すアルバドラスを見ながら、さあやは思った。それにそういった力を失うと言う事は皇帝としては致命的なのではないだろうか。それを言うと、暗い表情になってしまった彼を余計追い詰めそうなので言わないことにした。
「それで最近はスケベな事ばかり考えるようになったと・・・」
「はははは。そうかもしれぬな。それで、サアヤ。今夜は暇か?」
「いいえ。目いっぱい用事が入ってます」
「ははははは・・・」
アルバドラスが楽しそうに笑い始めたので、さあやも微笑んだ。