悲劇の記憶
メダはじっと自分を見つめるさあやの瞳を見つめ返した。私はこの方に何を期待しているのだろう。遠い昔、もう二度と開けまいと誓った過去を呼び起こして、この方に何をさせたいのだろう。
「アルバドラスⅡ世陛下にはセラスティーア様が来られる前から2人の側室が居りました。一人は古くから皇家とも繋がりのあるアガタ・ドルーア侯爵の娘、アドリエ。もし皇帝が精霊の力を持つ者でなければ正妃には迎えぬと言わなければ、この方が次の皇妃になっておりました」
そしてもう一人は城へも出入りしている豪商、コカ・ベズラートの娘、タリア。タリアにはまだ子供は居なかったが、アドリエにはすでに9歳になる息子、クラウド皇子が居た。もしセラスティーアに子供が出来なければこのクラウド皇子が世継ぎに決まっていたが、婚礼から1年後、セラスティーアは待望の男子を出産した。
生まれた時から精霊の姿を見、彼らと語り、手をかざすだけで人々の心を癒す力を持つ皇子。そのさらに1年後、タリアも男子を出産したが無論精霊の力はなく、世継ぎはエルディス皇子と決定した。
だがアドリエにはどうしても耐えられなかった。本来なら皇妃になるのは自分だったはずだ。幼い頃からずっとその為の教育をされ、その為だけに生きてきた。それをあんな田舎の小娘に取って変わられた屈辱・・・。だからこそ自分の産んだ息子は皇帝にならなければならなかった。己の代わりに、この国の支配者になって欲しかった。
「彼女の憎しみは全てセラスティーア様とエルディス様に向けられました。その内タリアまで巻き込んで・・・・。幼い頃からエルディス様は何度も何度も命を狙われたのです」
最初は4歳の時、食事に毒が混入していた事から始まった。エルディスは三日三晩苦しみ続け、何度も生死の境をさまよった。体の中に聖霊の力を宿していなければ、間違いなく死んでいただろう。それからは毒を盛られるのは日常茶飯事になった。何度毒味をしても、一番近しいものが裏切るのだ。
セラスティーアが薬草園を作ったのも、幼いわが子の命を守る為、国中からあらゆる毒消しの薬を集めたからだった。
「幼い頃のエルディス様は怪我の絶えないお子様でした。いつも使っている階段にロウが塗ってあったり、部屋に毒グモが放たれたり・・・時には懐いていた乳母に背中を押され、池に落とされた事もありました。聖霊の力でそれらの危険を回避できるようになると、今度は眠っている時に毒を含まされました。その内、体が毒に慣れるほど・・・。それは本当に恐ろしい日常でした。それでも、セラスティーア様がいらっしゃったから・・・強くて優しい母上が居たからエルディス様は耐えられた。あの日、強盗を装った暗殺者にセラスティーア様が殺害されるまで・・・・」
さあやは息が詰まりそうになって胸を押さえた。これ以上は何も聞きたくないと思った。だが全てを知るのも自分の責任のような気がした。
その日、セラスティーアは久しぶりに里帰りが出来るようになってとても喜んでいた。とても嬉しくて、不安そうに自分を止めようとするエルディスの言葉も、朝から何となく騒ぎ立てる聖霊の声も彼女には届かなかった。それで小さな息子は言ったのだ。
「母上、僕も行く」
一緒に行けば、この不安も解消すると思った。例え何があっても母の側に居たい。その時のエルディスにはそれしか考えられなかった。そんな息子を抱きしめて、セラスティーアはにっこり笑った。
「貴方は駄目なのよ、ルディ。大切な世継ぎ皇子が城を離れるなんて出来ないの。その内陛下にお願いしておじいさまとおばあさまをここへ呼んでいただきましょうね」
どうする事も出来ずに母を見送ったエルディスが、その二時後、急に騒ぎ始めた。
「メダ、メダ!母上を助けて。母上が殺されてしまう!」
「エルディス様。皇妃様にはたくさんの護衛の兵が付いております。そんなに不安がらなくても大丈夫ですよ」
それでもエルディスはメダの服を握りしめ、必死に訴えた。
「それじゃあ駄目なんだ。母上は殺されてしまう。早く、早く兵を送って!」
あまりにエルディスが怯えているのでメダも不安を感じ、すぐに兵を送った。だが、それから一時もしないうちにエルディスは再び叫び始めた。
「いやだ、やめて!母上を殺さないで!母上、母上・・・!」
「エルディス様?」
抱きしめられた腕の中から、まるですぐそこに母が居るようにエルディスは手を伸ばした。
「母上、嫌だ、死なないで。嫌だぁぁぁ・・・!」
「エルディス様にはその聖霊の力ですべてが見えていたのです。母上が何人もの男達に取り囲まれ、血まみれになって死んでいく姿が・・・」
そして最後の力を振り絞って、セラスティーアはエルディスに声を送った。
ー 生きるのです、ルディ。どんな事があっても、生き延びるのです・・・! -
さあやはこらえきれなくなって顔を両手で覆った。やっとすべてが分かった。彼が何故自分を愚かな王に見せようとするのか、なぜ誰も信じられないのか。どうして時々辛くてたまらなそうな目をするのか・・・。
長い語りに疲れたようにメダが黙り込んだので、そのあとの話をサーズが引き継いだ。
「セラスティーア様の死後、皇帝陛下は決断を下されました。はっきりとした証拠がなく、今までずっと逃れていたが、もはや許す事は出来ぬと・・・。セラスティーア様が皇家に嫁いで10年間。ずっと皇妃を憎み、生まれた皇子の命を狙い続けた魔女は処刑され、それに加担した者にも全て極刑が言い渡されました。
当時19歳だった皇子クラウドも、母のやっている事に協力していたのは間違いなく、極刑は許されたものの、陸から遠く離れたゲナフ島という、一度入ったら二度と出られない監獄へ送られる事になりました。
それを知ったタリアももはや逃れられないと悟ったのか、自室で自害しました。そしてアドリエの処刑から4年後、クラウド皇子は憤怒の思いを抱いたまま、獄中で病死したのです」
一人残ったタリアの息子ハル皇子は、二度とこの悲劇を繰り返さないよう、皇子の身分をはく奪された。そして同じく王室御用達の看板を取り下げられた祖父であるコカ・ベズラートに引き取らせ、今は普通の商人として生きている。(それでも商魂たくましいコカは、それから10年かけて再びマスカベーラ一の豪商に返り咲いたが)
それらは全て過去の出来事だったはずだ。だがこの国の実権を握る者達はアルバドラスが聡い王である事を望んではいない。今回のように足を救おうとすれば、再び過去と同じ悪夢に彼をつき落とすのだ。
「陛下は決して愚鈍なお方ではありません。そのお力も全て失ったわけではないと思います。ですが、陛下はその力で母上の死にざまを目の前で見てしまった。その瞬間、陛下は己の力を封印してしまったのです。聖霊の声が聞こえないのではなく、心を閉じて聞かないようにしているのです。
何も見ない。何も聞こえない。何も知らない。そうすれば、母上のおっしゃったように生き延びる事が出来る。精霊に背を向け、己の心の中に閉じこもってしまったあの方を、我々は救う事が出来なかった。一番近くに居たのに、何も出来ずにただ見守るだけしか出来なかったのです」
サーズやメダの目に涙が光っているのを見て、さあやは自分の涙を拭いて立ち上がった。
「みんな、辛かったんだね。ルディもサーズもメダも・・・。だけどもう終わりにしなくちゃ。私達は今を生きている。これから始まる未来も・・・」
そして彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。
「もう手段は択ばない。迷ってなんか居られない。サーズ、協力してくれる?」
返事を返そうとしたサーズは、一瞬言葉を失った。さあやの周りから陽炎のように青い炎が立ち上っているように見えたからだ。サーズが目をしばたかせていると、ドアをノックする音が聞こえて、そのおぼろげな影はすうっと姿を消した。医師長のカルデロが部屋へ入って来て頭を下げた。
「陛下の中の聖霊は陛下を守り続けているようです。もう大丈夫ですよ。まもなく目を覚まされると思います」
さあやが振り返ると、メダとサーズがにっこり笑ってうなずいた。嬉しそうに出て行こうとするさあやをふとサーズは引き留めた。
「サアヤ様。あの時カップを口に運んだあなたは、一瞬躊躇されましたね。あれは何故ですか?」
「え?ああ、飲ンデハダメって声が聞こえたの」
ドレスの裾をつかんで走っていくさあやの背中が見えなくなると、サーズはメダを振り返った。
「コルテス殿、お聞きになられましたか?」
「聞いたし見たぞ。あの青い炎は精霊の力の現れ。しかも声まで聞けるとは・・・。もーう、皇妃はサアヤ様以外には考えられぬ!」
メダは珍しく興奮していた。
「私もそう思います。実は父にも話をして、いつでもサアヤ様をわがウラル・バジール家の養女に迎える準備はできております」
「なんと、気の早い!しかしこれで身分の面では申し分ないな。あとはいかにしてお国のことを忘れていただくかだ」
「それが一番の問題ですね」
「うぅぅむ・・・」




