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二つ月の帝国  作者: 月城 響
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29歳崖っぷちOL、ファンタジーに巻き込まれる

 会社にかかってきた電話はワンコールで取るのが基本である。それ以下だと短すぎて相手を驚かせるし、2コールだと相手を待たせる事になる。


「はい。イーストジャパン・トラベルです。これは専務。いつもお世話になっております」


 さあやはきっちりワンコールで受話器を取ると、いつものさわやかな声で応対した。


「部長。浅田商事の桐原専務からお電話です」


 受話器を置いても次から次へと仕事が入る。


「水嶋さん。次の営業会議の資料、出来てる?」

「さあやさぁん。人事ソフトが開きませーん」

「水嶋君。この間話していた内部統制の件だが・・・」


 さあやは立ち上がると、まず机の中から1センチほどの厚みのある資料を取り出した。

「はい。新しい情報には添付資料付きです」

「サンキュー。さすがだね」


 次に後ろを振り返って、後輩の美菜を見た。

「美菜ちゃん。ソフトのパスワード、間違ってない?ちゃんと表を見て」

「はぁーい」


 最後に一番面倒なことを言ってくる課長だ。

「課長。この間も言いましたけど、私、内部統制なんてやっている暇はありません。別にチームを組んでください」

「そんな事言わないで。社内の全てを知っている水嶋君だから頼めるんだ。なんなら他の課から人を回すからさ」


 それ以上反論させないよう、そそくさと事務所を出て行く課長の背中にため息をつくと、さあやは営業2課に頼まれていた書類を持って歩き出した。


「さあやさん」


 人事ソフトと格闘中の美菜の隣に座っている、入社2年目の佳代がこそっと話しかけてきた。


「今夜、窓口の女子も誘って飲みに行くんです。一緒に行きませんか?」

「え・・・と、今夜はちょっと・・・」


 濁した言葉を耳ざとく聞きつけて美菜も会話に加わった。


「さあやさん、もしかしてデートですか?」

「え?いえ、そんなんじゃ・・・」


 そこに書類を取りに来た営業2課の若手社員が割り込んだ。

「さあやさんがデートなんてするわけないだろ?仕事が恋人なんだから」

「あっ、そうよねぇ。さあやさんは恋より仕事ですよねー」


 思わずムッとしたが「ええ、その通りよ」と答えると、手に持った書類を若手社員に手渡し、そのまま事務所を出て廊下を歩きだした。


ー まったく、どいつもこいつも人をモテない女扱いして -


 仕事にやりがいは持っているが、30歳を目前にして、さすがのさあやも焦りを感じた。友達も半分以上は結婚して、子育ての真っ最中だ。こんな風にあくせく働いてばかりで、しばらく恋人と呼べる人も居なかった。会社でも若手社員に影で『小局こつぼね』と呼ばれているのも知っている。経理課の52歳の『大局おおつぼね』に比べれば小局はかわいい方だが、20歳以上年の離れた女性の次に並べられるのはやはり面白くなかった。


「でも・・・」

 さあやは両手を胸の前でギュッと握りしめると、にっこり笑って上を向いた。

「今度こそ、大逆転の超どんでん返しよ!」


 実はさあやは3週間前にお見合いをしていたのだ。世話好きの大叔母に「そろそろ結婚したいかなぁ」と漏らしたら、早速相手を見つけてきた。東大卒で財務省に勤めるエリート官僚だ。こんな良縁めったにない。


 38歳でちょっと年は食っているが、初婚だし、さあやが好きなジョージ・クルーニー似の少し渋い雰囲気の男性だ。初めて会った時、38歳まで独りでいた事を「仕事も忙しく、色々勉強しなければいけない事がいっぱいあって、気が付いたらこの年になっていました」と照れながら頭をかいた姿が意外にかわいらしかった。


 お見合いの時もさあやの事を気に入ったらしく、その後2回食事に誘ってくれた。そして今日は3回目のデート。大叔母の話では大体3回目のデートで結婚の話をするのが礼儀らしいので、今夜間違いなく彼はプロポーズ、もしくは結婚を前提にお付き合い、という話になるだろう。


 仕事が終わると、さあやは更衣室に飛び込んで着替えと念入りな化粧を済ませて会社を出てきた。


「上品且つ華麗なベージュ系メーク。清楚でそれでいて流行を外さないツィードスーツ。ふっ。今夜の私はプロポーズを受けるヒロインなのね。待っていて、高瀬裕也さん。水嶋さあや、今から行きます!」


 心は既に寿退社だ。それを告げた日の後輩や上司の顔が見ものである。心がはずんで人目もはばからず、くるっと体を回転させて待ち合わせ場所へと向かった。こんな日は見慣れた街のネオンサインもまるで自分を祝福しているみたいに輝いて見える。人通りの少なくなった通路の街路樹の下で待っている未来の夫(勝手に決めている)の姿を見つけると、さあやは手を振り上げた。


「高瀬さん!」


彼がこちらを振り向いて微笑んだ時だった。急に地面の感触が消え、体が穴の中に吸い込まれるのが分かった。


「キャアァァッ!」


ー うそっ、冗談じゃないわよ。高瀬さんの前で穴に落ちるなんて。スーツが汚れちゃうじゃない!いや、それより大怪我よ。どうしてくれるのよ。今日はプロポーズを受けるヒロインなのに !ー


それにしても、そろそろ穴の底にぶつかってもいいはずなのに、その気配がない。そのうち自分が下に落ちているのか上に向かっているのか分からないような感覚に見舞われた。なんだか無重力の空間に漂っているようだ。その後、頭から足の先までがその空間に溶けていくように気が遠くなっていった。








 日が暮れる頃、アルバドラスⅢ世は礼拝用の服に着替えて、城の最上階にある精霊神殿へと向かった。入り口や廊下を歩いていた神官たちが頭を下げる中、奥へ進むと、皇帝だけが祈りを捧げる部屋がある。他はすべて白なのに、この中だけは壁も天井も全て暗い灰色の石で固められ、その重々しい雰囲気の中、蜜蝋で作られた何百本ものロウソクが部屋の奥にある祭壇を照らし出していた。4人の老齢の神官が頭を下げる中を通り抜け、ろうそくの炎の向こうに大小4匹の龍が両側を守る祭壇の前に彼は跪いた。


 何度ここに祈りを捧げに来ただろうか。だが聖霊は何も答えてはくれなかった。彼は身を清める為の水に手を浸し、両側にある小さい方の2匹の龍に触れると、その手を胸の前に持って行き頭を垂れた。


「聖霊よ。(われ)に助くる者を与えよ」


 小さな祈りの声に、自分の中にあるはずの聖霊もこの神殿に祀られている聖霊も答えてはくれなかった。


「もはや我を見捨てたか・・・」


 そのつぶやきの後、彼の頭上に突然青い光の輪が現れ、そこに居た者達は驚いたように天井を見上げた。


「キャアアァァッ!」


 叫び声と共に自分の上から何かが落ちてきて、アルバドラスは逃げる事もかなわず、その下敷きになった。

「いったたたた・・・」

 

 落下した衝撃からか頭痛がする。頭を押さえながら立ち上がろうとしたさあやは、下敷きにしてしまっている男が驚いたように自分を見ているのに気が付いてギョッとした。どう見ても外国人だ。そうか。外国人労働者ね。


「ちょっとあなた達。工事をするならちゃんとマンホールの周りに囲いをしなきゃダメでしょ。おかげで落ちちゃったじゃない!」


 だが周りに居る白髪の老人たちは、わけの分からない言葉で叫んでいるだけだ。少し落ち着いて来たさあやは周りを見回して、ここがあまりにも異様な空間である事に気が付いた。


 暗い石造りの部屋の中には、何百本ものロウソクが燃え、気味の悪い大小4匹の爬虫類が飾られた奥に青白い光を放つ握りこぶし大の石が祀られた怪しげな祭壇がある。さっき自分が下敷きにしてしまった黒髪の男は、妙に派手派手しい金色の刺繍が施された首から足首まである真っ黒な服を着ていて、白髪の4人の老人たちも彼と同じ衣装であったが、その髪と同じ真っ白な服であった。どう見ても下水道工事の作業員ではないようだ。


 そして何より驚いたのは、黒い服の男の瞳が銀色だった事だ。


ー なにこれ、超怪しい。絶対やばいオカルト教団の秘密のアジトとかよ。何とかして逃げなきゃ ー  


 腰が抜けたようにその場に座り込んでいたさあやは立ち上がろうとしたが、いきなり黒髪の男に抱き上げられて、びっくりした。


ー うそ。まさか、アジトを見られたから生贄にしようなんて思ってるんじゃないでしょうね。冗談じゃないわよ ー


「あ、あのね。ここに来たのは本当に偶然なの。私、警察の人間とかじゃないし。だから降ろしてくれる?」


 だが男はさあやの言葉が理解できないのか、きょとんとしたような瞳を向けるだけだ。ここはもう少しはっきりと発音すべきだろう。


「あのね。私は早く上に帰らなきゃいけないの。だから降ろし・・・」


 急に男の顔が近づいて来たかと思うと、いきなり唇を奪われてさあやはびっくりして目を見開いた。男はこの訴えられても仕方のないセクハラ行為に悪びれる事もなく、にっこり笑って銀色の目を細めた。


「こ・・・んの、セクハラ男ーっ!」


 友人の聖果きよかがチカンを撃退する時に使う(25歳を超えたあたりからチカンに遭遇する事は減ったらしいが)、手の平の付け根の一番固い部分で男の左頬にストレートパンチを浴びせると、男はさあやを抱きかかえたまま後ろに倒れた。


「陛下!」

「おお!何と恐ろしい!」

「早くその危険な女からお離れ下さい」


 白髪の老人たちがオロオロしながら叫んだ。


「へいか?」


 急に目の前が開けたように彼らの言葉が分かるようになって、さあやは驚いたようにまだ自分を抱いたまま倒れている男を見つめた。


「そなた、なかなか良い体をしておるな。どうだ?今宵、我としとねを共にせぬか?」

「はあ?」


 もう一発ぶん殴ってやろうかと、さあやは思った。











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