2016年 3月20日「牝狐」
無事に、帰って来た。
半年前に留学した、望未先輩が、である。アメリカ帰りで、洗練されて、見えた。
「アメリカ行くと、髪曲がるんすか?」
徹郎は、目の前の彼女を見て言った。
ソバージュヘアが、その土地の影響か、に思えた。
「パンケーキ、好きなの?」
向かいの席に座った、望未が尋ねた。
学校近くのファミレスで、また、徹郎はパンケーキを食べていた。
「甘いもん好きだなんて、知らなかった」
思い返すように、彼女が言った。
「都会の味、です」
「面白いこと、言うようになったんだね」
望未が、そう言って微笑んでいた。
何か、あったのかと思った。
アメリカへ行った割には、元気がない。もっと、笑えない雰囲気になって戻って来るかと思っていた。
「ハグしたり、しないんですか?」
「馬鹿にしてるでしょ?」
「してないですよ」
徹郎は、パンケーキを頬張った。
「甘くて、うまい」
生クリームと、ハチミツを塗りたくっていた。
「徹郎くんは、将来のこととか考えてる?」
「何ですか? いきなり」
徹郎は、食べるのをやめなかった。そうしながら、聞き返す。
「あなたにとって、夢、って、何?」
「何よ。いきなり」
「先輩が、将来のことで迷ってるのかと思って」
「相変わらず、勘は、いいね」
「勘じゃあないです」
勘というか、洞察。元気のない人間を見れば、大体わかる。
悩んでんだな、って(笑)
「先輩は、もう一度アメリカに行くべきです」
「そうかねぇ」
「先輩が行かないんだったら、俺が行きますよ」
「何しに」
「都会ってやつを、見に」
「都会に、憧れてんだ」
「都会って、自由そうじゃないですか」
「何が?」
「何でも、受け入れてくれそうで」
「受け入れられて、ないんだ?」
「受け入れられちゃ、ないです」
「相変わらず、独自の道を突っ走ってんだね」
「迷ってます」
徹郎は、ようやくフォークを置いた。
全部、食べたからだ。
「俺は、正直、人から浮いてると思います」
「そうだね」
「認めるんですか? そんな変人と付き合ってたって」
「変人、ってほどでもないよ」
「変人です」
「君は、自意識が強すぎるんじゃないかな?」
望未が、改まった口調で言った。
「人は、それほど認識してないよ?」
望未の言葉に、耳を傾ける。
「誰がどうなろうったって、この世界は回るんだから」
好きになった理由を、今更に思い出した。
孤独、だったんだ。
放っておけないから、好きになった。彼女は、独りで、生きていた。そんな彼女だから、好きになった。
物の見方に、憧れた。独特で、他に出会ったことがない。本を読み、いつだって彼女は大人だった。
そんな、彼女を真似た。
今の、自分。
コピーに過ぎない。
今の自分は、望未、である。
「先輩」
徹郎は、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「俺は、どう映ってますか?」
「それが、自意識過剰だって言ってんの」
望未は、鬱陶しそうに首を掻いた。
「あんたがどう思われようと、あんたに関係あるの?」
口調が荒っぽい。本来、ではない。本当に、鬱陶しがっているようだった。
「あんたのそういうところ、直したほうがいいね」
「直る、んですか?」
「直るよ」
望未は言った。
「留学、すればね」
「留学しないといけないですか」
「何でもいいよ。都会、とか行っちゃえば?」
「行っちゃう、感じですか」
徹郎は、自分の将来を想像した。まるで、見えない。世界とは、どんな場所か。
ここにはない、何かがある。
そんな、希望もあった。
「君は、外に出るべきだよ」
また、改まって言う。望未の、癖である。本か何かを引用するとき、君、となる。
本人は、意識してはいないが。
「外に出る、って?」
海外留学のことかと思った。でも、違うらしい。彼女は、精神的なことを言っていた。
「内側は、もう飽きたでしょ?」
「まあ……確かに」
考えるだけ考えて、結局結論は出ない。
「考えたって、無駄なことはあるの」
「先輩らしくない」
考えることを教えたのは、彼女だ。
考えることができたからこそ、今の自分がある。
考えなしには、自分は見えない。
「そんなんしてたら、おじいちゃんになっちゃうよ?」
「おじいちゃん?」
聞き覚えのある、言葉だった。沢子を、思い出す。
「後輩からも、同じようなこと言われました」
「後輩? 沢子ちゃん?」
「よく、分かりましたね……」
徹郎は、目を伏せた。沢子の話は、よくしていた。それこそ、付き合う前の時から。
テニス部の、先輩だった。
沢子の話をしている内に、距離が近くなった。
沢子の、縁である。沢子に、望未の話はほとんどしない。
牝狐、だからだ。
自分の彼氏を奪った、悪い女。
だが実際は、徹郎から近づいたのである。徹郎が、抱きたい、と思った。魅力を感じていた。この人は、自分にないものをくれる。そういう、予感がした。
沢子は、友達だった。小学校時代から知ってはいたが、中学生になって初めて告白された。
好きです。
初めはずっと、敬語だった。
先輩、と呼び始めたのは、別れてから。
彼女なりの、距離の取り方なんだと思う。再び敬語に戻ってからは、何だか寂しい気もした。
だが、それでも良かった。彼女は、結局同じ高校へやって来た。変えることも、できただろうに。
再び話し始めたのは、朝の列車。一緒に通うことが、多くなった。一時間に一本しか出ていないのだから、そうなる。
幸せだった。失うべきものを、失っていないのだから。
それで、満足だった。それが、間違いだった。
変わらない現実に、気づかされた。時は移ろいでも、気持ちは変わらない。沢子だけじゃない。自分にも、その片鱗が、あった。
二年も、愛したのだ。変わらぬ自分が、ここにいる。