2016年 2月11日③「ブサイク」
徹郎は、結局、何もしなかった。
ただ、テレビを見ていただけである。沢子は焦れたまま、彼の背を見て過ごした。
暗闇の風呂で、散々遊んで、それで、終わりである。
「先輩……携帯電話、鳴ってますよ?」
ベッドの上から、彼に声をかける。投げて、と言われたので彼に放った。
室内には、至るところに衣服が干されていた。
制服も、玄関のところには下着も。
ロマンチックな雰囲気は、ない。
お互い裸同然であったが、何も始まらない。バスタオルを腰に巻いた男と、胸まで隠した女だ。普通は、何かが起こっても問題ない。
「誰からですか?」
腹が立つので、聞いてやった。先ほど、赤理、の文字が見えた。
しーっ、とこちらに黙れを指示する。
「赤理さんですかぁー?」
大きな声で、言ってやった。
「今、先輩とホテルにいますよぉー?」
徹郎は、電話を切ったらしかった。ソファ越しに、じっとこちらを睨んでいた。
「子供みたいな真似すんじゃねーよ」
怒っていた。
言い返す言葉は、ない。
「俺とおまえは、もう彼氏彼女じゃない。わかった?」
別れてから、一年が経っていた。
「望未先輩とは、いつHなことしたんですか?」
沢子は、問うた。ずっと、話してくれなかったことだ。
一年前に、別れる原因を作った女。徹郎の、ひとり前の彼女だった。
半年前まで付き合っていたが、今は別れている。
「んなこと、今聞くかね……」
「今じゃないと聞けないです」
ラブホテル、だからだ。学校の帰りに、二人で行ったとまでは聞いている。
「高校生が、汚らわしいです」
「ここもラブホだよ……」
「どうでもいいです。答えてください」
「クリスマスの、夜だよ」
「はぁあ……」
沢子は、呆れた。
テニス部の練習が忙しいと、断ってきた時だった。沢子が、街で映画を見ようと誘っていた。徹郎がのらりとかわしたのを、沢子は覚えていた。
「クリスマスに弱いんですね、先輩って……」
赤理も、確かクリスマスに告白されたと言っていた。
「そうかもね……」
徹郎は、そう言って頭を掻いた。
「情けないです」
「おっしゃる通り」
「だったら、大雪の日に、私が襲っても問題ないはずです」
「やめろ」
徹郎は、笑っていない。沢子は、バスタオルに手をかけた。
「やめろ」
今度は、声を荒らげて。
「どうして?」
悔しかった。今は、もう、中学生ではない。体さえ差し出せば、徹郎が、また戻ってきてくれるような気がした。
「これ以上、俺を弱らせないでくれ」
徹郎は、言った。
「弱ってんだ、本当に」
「何に、ですか?」
「いろいろ、だよ」
漠然と、していた。
腹が立った。
「先輩は、いつも勝手ですね」
「ああ……勝手だよ」
「ちゃんと、話もしてくれなかったじゃないですか」
「そう、だな」
「一年前は、来てくれませんでした」
最後に、話がしたい。そう言って、駅に呼び出したのは、徹郎である。なのに、来なかった。
朝から、日が暮れるまで、待っていた。
「先輩は、私のこと、どう思ってるんですか?」
沢子は、聞いた。
「もう、好きじゃないんですか?」
徹郎の、表情が崩れた。泣いて、いた。沢子は、目を見開いた。
初めて、徹郎の泣き顔を見た。眼鏡の奥から、どろどろと流れている。この世の終わりのような目で、こちらを見る。
なぜか、涙が零れた。沢子も、泣いた。徹郎の、気持ちが分からない。でも、なぜ悲しんでいるか、分かったような気がした。
彼は、独りだ。独りで、自分を責めていた。独りで何でも決めて、独りで答えを出す。だから、女からモテるのかもしれない。
独りで、戦っている。誰も、彼を救うことはできない。彼にしか見えない真実が、彼を、殺そうとしていた。
「愛って何だろうな」
彼は、ブサイクに笑っていた。