2016年 2月11日②「白いサングラス」
一生愛する自信など、ない。
どうせ、そんなことを考えていたのだろう、と沢子は思った。
もっと、気楽に生きられればいいのに。徹郎は、固い。堅くて、硬くて、カチンコチンチンだ。
一人を愛することなんて、できなくたっていい。父親だって、昔浮気して、母と喧嘩になった。
心の声が、届かない方が、よっぽど辛い。
黙って、勝手に決めて、勝手に去って行った。
徹郎は、そういう男だ。
昔は、もっと優しかった。
優しかったから、好きになった。徹郎は、まるで、従者のようだった。自分は姫で、彼は付き人。
自分の嫌がることは、決してしない。
私の、王子様。
王子様は、雪だるまのようになって現れた。
「やべーよ。冷えたよ。寒いよ。死ぬよ」
眼鏡が、白いサングラスになっていた。
「先輩……」
格好の悪い、王子様だった。
格好の悪い王子様は、笑う。
沢子は涙を流して、彼に抱きついた。
でも、冷えていた。
ぐじゅぐじゅで、抱き合うものではない。
「近くにホテルあるから、行こう」
どきりとする。
「ホテルって、ラブホ、ですか?」
「そーだよ。何もしねーから、行こう」
「何もしねーのに、行くんですか?」
「何もしねーって、言ってんじゃん」
徹郎は、半ば怒っていた。それほど、ただ寒いだけである。
「行くぞ」
強引に、手を取られた。
外は真っ白で、こけそうになる。
でも、徹郎の、指の、力があったかかった。
県道まで出ると、すぐ、近くに、建っていた。車で、すぐ側を通ったことがある。
二階建ての、小さなラブホテルである。徹郎は、入り口の前で躊躇していた。
自動ドアを、くぐる。明らかに、見覚えのある、電光板が姿を現した。
「どれにする?」
とも聞かずに、徹郎がボタンを押した。カギが、出てくる。徹郎は周囲を窺い、歩き出した。すぐ側の、エレベーターに乗り込む。
二階にしか、行くところがない。
そんなことを言っても、徹郎は笑わなかった。
「そうだな」
と、言うだけである。
アパートの、中みたいだった。所狭く、ドアが並んでいる。
「入るんですか?」
ドアの前に立つ、徹郎に尋ねる。今更、怖くなった。
「本当に、何もしないの?」
「何もしないって、言ってんじゃん」
徹郎の顔が、少し強張って見える。
従者は、姫の嫌がることはしない。
二人の関係が、その言葉に嘘はないと言っている。
徹郎が、ドアを開けた。
中は、思ったより綺麗だった。狭い玄関だったが、誰かの家に遊びにきた気分になる。
長靴を二人で並べて、中に入った。
巨大なベッドが、異様な存在感を放っている。
「これが、ラブホかぁ……」
沢子は、言った。大人の、場所である。何だか、嫌らしい気持ちにもなる。そういう、場所だからだ。
徹郎は、散策をしていた。やがて、室内のドアから顔を出す。
「タオル」
と言って、こちらに投げつけた。頭を拭け、という意味らしい。沢子がわしわしやっていると、水の出る音が聞こえた。
徹郎が、またドアの向こうから顔を出す。
「風呂、入るだろ?」
そう質問した。
沢子は、頷く。徹郎は、やる気である。そう、沢子は悟った。
そう思うと、緊張した。足が、分かりやすく震える。念入りに、体の全身まで洗わねばならない。腹は、出ていない。運よく、朝食は抜いてあった。下着も、メイクも、今更関係がない。
電気は、消そう、と決めた。
生理は、来週である。今日は、来ない。
「てっちゃんは、入らないの?」
「何で? 俺も入れろよ」
徹郎は、不思議そうな顔をした。
「一緒に?」
沢子は、聞いた。
「一緒じゃなくてもいいよ」
「一緒に入りたいの?」
「いや、別におまえの裸が見たいってわけじゃあ……」
徹郎の、緊張が窺えた。
「一緒に、入る?」
沢子は、思い切って言ってみた。
徹郎の顔が、強張った。
「入っていいなら……入るけど」
「いいよ、別に」
沢子は、言った。夢、であった。徹郎と、向かい合わせで風呂に入りたい。
何だか、楽しそうである。
「その代わり、電気消して」
「無茶を言うな……」