2015年 2月11日③「人生プラン」
帰ろうと思った。
帰れない。すぐに悟った。
父親がいる。
金縛りにあった、気分だった。逃げ出せない。
足が、竦んだ。
「てっちゃん」
手招きしていた。
徹郎は、歩き出す。
父親は、待っていた。
軽トラの、脇で。煙草を、吸っていた。
徹郎は、震えた。
殴られる、と思った。
酷いことをした。
彼の娘に。
「遅刻、か?」
「いえ」
徹郎は、答えた。
嘘はつけない。
そんな、空気だった。
笑っていた。
だから、徹郎も笑った。
それでいいのか。
不安だった。
次の、瞬間にでも、殴り飛ばされるのではないかと。
「いいか?」
父親は、歩き出した。
ついて行く。
距離を開けて。
何を、されるか分からない。
駅舎の前を行く。
すぐに、立ち止まった。
光の前だ。
自動販売機。
小銭を入れる。
何が、したいのか。
「無糖?」
「いえ……」
反射的に、そう答えた。
どちらでも、良い。
「甘いのが、好きなんだな?」
「いえ……」
好きではない。
妙に、正直になった。
知ってもらいたい。
そういう、気がした。
「微糖か?」
「はい……」
ガチャリ。
渡された。
「ありがとうございます」
「いいよ」
そもそも、嫌いだった。
自分が。
言いたいことも、言えやしない。
些細、だ。
コーヒーは、普段、飲まない。
苦手、だった。
「俺も、微糖にしよっかな」
ガチャリ。
申し訳ない気分が、増した。
「吸うか?」
煙草のケースを、こっちに、寄越した。
「いりません」
徹郎は、拒絶した。
父親は、笑った。
「今時ん子だね」
そう言って、彼は、吸った。
徹郎は、我慢した。
臭い。
「でも、不思議なもんだよなぁ」
父親は、言った。
「娘の彼氏と、話できるなんて」
「いえ……」
困惑した。
どこまで、知っているのか。
「俺は、親父になったんだな……」
そう、寂しそうに。
言った。
「ほんとの、娘じゃないんですか……」
「いんや?」
父親は、笑う。白い煙を吐き、ながら。
「そういうこっちゃない」
「じゃあ……」
てっちゃんも、と、言う。
「大人になれば、わかるよ」
「はい」
「飲めよ」
「はい」
開かない。
プルタブが、引っ掛からない。
邪魔だった。
手袋が。
邪魔だった。
「貸してみ」
父親は、あっさりと開けた。
手袋を、していたのに。
あっさりと。
「携帯も弄れる」
自慢げに。
徹郎は、興奮した。
そんなに、素晴らしい手袋があったとは。
感激した。
素晴らしい。
「やろうか?」
父親が、言う。
「え?」
徹郎は、驚いた。使用感をみていた。
携帯電話の画面が、移り変わる。
まざまざと、見ている最中だった。
「すげーっす!」
感動していた。
そんなに凄いものを、くれるというのか。
感動した。
「娘にも、そんなに喜んでもらったことないな……」
「そんな馬鹿な」
「本当だよ」
父親は、それを寄越しながら、言った。
「不義理が……」
言いかけた。
父親は、止まる。
そうして、こちらを見た。
「別の、角度から聴いていただこうか……」
「どういうことですか……」
徹郎は、構えた。
笑顔が、消えていた。
怒られる、気がした。
身構える。
何を言われようと、自分が悪い。
承知の上、だ。
「恋をした」
そう言った。
思いがけない言葉、だった。
その人は年上だった、という。
「甘えられた」
自分が、誰かを、忘れるほどに。
恋をした。
好きだった。
誰かをここまで愛したことはない、というほどに。
大罪、だった。
「沢子は、九歳」
徹郎は、想像した。
幼い子が、いる。こちらを、見ている。
その子は、泣いていた。
独りぼっち。
沢子の、心の闇を、見た。
沢子は、泣いている。
また、ひとりぼっちにして、いくの?
そんな声が、聞こえた。
気のせいだ。
そんなこと、あるはずがない。
沢子が、まだ、自分のこと、好きだなんて。
ありえるはずが、ない。
嫌いになれた、はずだ。
自分のことなんか。
好きだった気持ちなんて、なかったことに。
それでいい。
間違ってなかった。
自分が、正しい。
誰の意見にも左右されていないからこそ、正しい。
自分が、正しい。
最良、である。
自分が正しいと思える根拠が、ある。それで、十分だ。
葛藤など、いらない。
もう、殺したのだ。
沢子を。
「苦手でね」
父親は、言った。煙を吐きながら。
「妻の泣き顔」
父親は、言う。
「沢子の、泣き顔」
無理だ。
徹郎は、心の中で叫んだ。
知っていたのに。
見なかった。
沢子の泣き顔が、この目に映らぬように。
自死、した。
誰にも伝えたくない。
本当の、思いなんか。
知るべきではない。
誰も、得しない。
それでいい。
「沢子は、コケにされた」
父親は、言う。
「君に、ね」
鋭さがあった。
責められている。
当然、だった。
「九時過ぎまで」
父親は、言った。
「そこにいたよ」
知っていた。
そういうメッセージが、届いた。
だから、驚いた。
慌てて、家からやって来たのである。
そんなに待たせるつもりは、なかった。
反故にした。
それに気づけば、十分だった。
なのに。
「君は勘違いしているよ」
父親は、言った。
「そんなに君のことが、好きじゃない」
父親は、言った。
「君のことが、嫌いになれるほどには」
「どういうことですか……」
徹郎は、戸惑った。
思いもしない。
沢子が、自分のこと、好きでない、なんて。
驚いた。
想像だに、しない。
考えたことも、なかった。
愛されていると、思っていた。
好きじゃない、なんて。
知らなかった。
愛して、いたのに。
伝わらなかったのか。
思いなんて、軽薄だ。
伝えなきゃよかった。
愛している、なんて。
馬鹿馬鹿しい。
愛、なんて。
「人生ってあるんだ」
父親は、言った。
「誰もがその人生に生きている」
格言、のようだった。
「人は、人生に生きている」
格言、だ。
「人生って、いろいろある」
格言。
「好きかどうかだけじゃない」
人は、言う。
「誰かを愛することだけが全てじゃない」
そう、言った。
分からなかった。
愛することが、全てだ。
他に、何もいらない。愛、以外は。
必要ない。
「愛、以外は」
いりません。
「それが、俺の人生です」
言ってやった。
父親は、ぐう、の音も出ない。
こちらを、見ていた。
煙を、吐き出す。
怖かった。
静寂、が。
「君は、沢子の人生を考えたことがあるか?」
「ないです」
「はっきり言うなあ……」
笑った。
父親は、続ける。
「沢子にだって人生がある」
父親は、言った。
「君はまだ、そのことに気がついていない」
「そうですか……」
意味が分からない。
「何が言いたいんですか?」
「君一人だよ」
父親は、言った。
「人生を、生きていないのは」
「どういうことですか?」
衝撃的だった。
人生を、生きている、自信がある。
こんなに、苦しいのに。
生きていないというのか。
知ったかぶり、だ。
大人に、何が、わかる。
知ったかぶり、だ。
知らないくせに。
どんな気持ち、なのかを。
知ろうともしない。
「人生は一度だけだ」
「知ってます」
説教は、ごめんだ。
知っていることを、話したがる。
それが、大人だ。
「人生プランがある」
父親は、言った。
「沢子には」
こちらに、尋ねた。
「君には?」
「ありますよ」
「どんな?」
聞かれた。
「どんなって……」
買っただけだ。
売り言葉に、買い言葉。
プランなんて、ない……。
知らない。
人生が、どうなるかなんて……。
知らない。
それでいい。
人生プラン、なんて。
どうでもいい。
「君は、どんな時に、幸せを感じるんだ?」
唐突、だった。
「幸せ?」
何だ、それは。
「人生って、幸せを追い求めるものだろう?」
そうだ。
だから、愛を求める。
愛こそ、真実。
真実だから、欲しい。
当たり前だ。
「本当の愛が、欲しいです」
「それが、君の、幸せか?」
「そうです」
「そうだったか」
父親は、言った。
「そうだったか……」
繰り返す。
違う、のか。
誰もがそう思っていると、信じ込んでいた。
違うの、か。
信じていた。
沢子も。
「違うのか」
口にした。
間違って、いたのか。
「沢子は、生きていたよ」
父は、言う。
「君にとっては、人形だったかもしれないけどね……」
「そんなことない」
徹郎は、言った。
「沢子は……」
「独りよがりだ」
声は、荒らげない。
静かに、こちらを見ている。
怒られている。
悪いことをした。
自分が、間違ってた。
涙が、出た。
「嫌われなきゃと思って……」
徹郎は、言った。
「それでも、うまくいかなくて……」
嫌われたく、なかった。
当たり前だ。
好きだったんだ、から。
「君は、それでも嫌われるべきだった」
父親は、言う。
「あの子はまだ、君のことが好きだよ」
言われた。
楽な方法を、選んだからだった。
一番、自分が傷つかない方法。
それは、無視。
言葉を、交わさせない。
それに、意味がある。
知らなかった。
臆病、だった、とは。
知らなかった。
どれほど、迷惑をかけたか。
知らなかった。
自分が、卑怯、だったとは。
知らなかった。
沢子が、まだ、自分のこと、好きだなんて。
知らなかった。
自分は、臆病者、だなんて。
認めたくなかった。
自分は、最低だ。
信じられない。
認めたくない。
自分に、あるもの、全て。
ガラクタだ。
自分に、あるもの、全て。
ガラクタだ。
自分に、あるもの、全て。
ガラクタだ。
捨てて、しまおう。
全部。
捨てて、しまおう。
自分を、彩る、全て。
捨てて、しまおう。
自分の、期待した、未来。
全て、いらない。
自分の、間違った、人生なんて。
必要ない。
沢子の、いない人生なんて。
まっ平、ごめんだ。
必要ない。
愛、なんて。
必要ない。
自分、なんか。
必要ない。
自分、なんか。
必要ない。
自分、なんて。
消えてしまえ。
自分、なんか。
必要ない。
自分、一人。
知らなかった。
人生が、ある。
人には。
それぞれ。
幸せを、模索している。
誰もが。
知っている。
そのつもりだった。
知っていて、当然だ、と。
知っている。
それなのに、知らなかった。
他人を。
知らなかった。
他人を。
知らなかった。
他人を。
知らなかった。
自分が、正しいと、信じ込んでいた。
間違って、いない。
自分が、正しいと信じることで、強くなれた。
間違って、いない。
自分は、悪だ。
信じていた。
自分は、正義だと。
信じ込んでいた。
自分は正義、だと。
思っていた。
間違って、いた。
正義じゃない。
自分は、間違っている。
答えを出すことが、正義じゃない。
幸せ、じゃない。
本物ばかりを、追い求めて。
全てを、偽物扱い。
信じられない。
大馬鹿者である。
本物の、友情。
本物の、愛情。
本物の、恋。
運命の、人。
確かな、愛。
馬鹿げて、いる。
そんな、考え方。
いらない。
偽物だとか、本物だとか。
いらない。
本物だとか。
真実だとか。
必要ない。
だから、傷つけた。
いとわなかった。
必要だった。
自分自身を、満たす為に。
殺した。
大切な物を。
壊した。
自分の中にある、大切な物を。
壊した。
気持ちを。
確かめたかった。
自分自身を。
壊したかった。
自分自身を。
壊したかった。
これまでの、自分を。
壊したかった。
全部。
壊れなかった。
自分自身も。
沢子も。
間違っていなかった。
望未は、止めた。
知っていたかのように。
大切なものが、壊れる。
知っていた。
なぜ、止められなかった。
知っていた。
沢子を、愛していると。
知っていた。
臆病、であると。
知っていた。
臆病者、であると。
壊れた。
全て。
壊れた。
自分が大切にしていたもの、全て。
いらない。
何もかも。
必要ない。
何もかも。
必要がない。
全て。
明日も。
必要ない。
無かったことに。
必要ない。
本当の自分。
必要ない。
流されて。
いけばいい。
知らなかった。
弱い人間だと。
知らなかった。
もっと強い人間だと。
思っていた。
崩れゆく。
イメージ。
つかさどっていた。
自分の、イメージ。
素敵だった。
自分の、イメージ。
それは、知っている。
壊れた。
あったかい、イメージ。
死んだ。
あったかい、イメージ。
それは、終わった。
何もない。
終わった。
何もかも。
蘇りはしない。
好きだった、自分。
嫌いな、自分。
全て、死んだ。
残らず。
生きていない。
残らず、死んだ。
一人も、残さず。
死んだ。
「俺も、あのとき気がついたんだ」
父親は、言った。
「死んだんだ、って」




