第1話 狩り暮らしの転生者
息を殺し、矢を番えて、弦を引く。弓がしなる音で獲物が気づかないよう、ゆっくりと。しかし放たれる矢には確りと、必殺の一矢となるよう、満身の力を込めて、丁寧に狙う。獲物の目にこちらは映っているはずだが、喜ばしいことに存在には気付かれていない。臭いにも。
「しっ」
胸にため込んだ息を吐き、矢を放つ。吐き出された息は、びょう、と矢が風を切る音にかき消され、まっすぐに獲物へと飛んでいく。音に気付いた獣は回避のために動こうとするが、四本の足が動くより早くそのつぶらな瞳を矢じりが貫いて、その奥にある逃げる指令を出すための脳を破壊した……もう動くことはないだろう。合掌。
「見事なもんだ」
仕留め損ねた時のために、と控えていた『この世界』での父親が感嘆の声を上げながら肩を叩く。その手は重く、指はパイプのように太く堅い。それをはやす腕は陳腐な例えだが、まるで大樹の枝。前世よりは筋肉がついているとはいえ、俺の体は細い。こんなに強くたたかれて、よく折れないものだ。
「あんたにゃほど遠いよ」
「まあな! たかだか十年しか弓を扱ってない若造に追いつかれちゃたまらんわ!」
岩を思わせる腹と、木のうろもかくやという大口からは、想像通り巨大な声が放たれる。きっと森中に響いていることだろう、そして獲物の獣たちは、またおびえると。
「これで今年も冬が越せる。もう少し狩っとくか?」
「おうさ。メシはあればあるほどいい」
藪を乗り越え、木の根を踏んで、倒した獲物に近寄る。立派な一本角が生えた馬のようなこの動物は、前の世界だとユニコーンと呼ばれていた。処女にしかなつかないだとか、汚れた水をきれいにするだとか、なんとか言ってありがたがられていたが、こちらだと鹿や猪と変わらないただの害獣で、駆除対象。数こそ少ないが、好戦的な性格で人間を見かけると逃げるどころか襲い掛かってくる上に、一匹居れば一夜で畑が全滅する大食らい。厄介な事この上ない。色だって白くないし、神聖さなんてかけらもない。
ただ、肉がうまいのと毛皮、角が高く売れることがせめてもの救いか。
「血抜き血抜きー」
父が喜々とした表情で仕留めた一角獣を木に逆さづりにし、首を横に割いて血を抜き始める。その間に二本目の矢。今度はただの矢じゃなく、モンスターにも効くような猛毒を塗った矢を番えて、血の匂いに惹かれてやってきた奴らを警戒する。
「お、来たな……近いぞ」
「任せろ」
丁度風下の方向の藪が揺れる。父の気配探知能力は大したもので、驚くほど早く別の獲物の気配をかぎ取った。しかも、揺れがそれなりに大きい。大物だ。次なる獲物の姿を見る前に、先制して藪に矢を放つ。これでも転生し、猟師に転職してから長い事やっているのでなんとなく居場所はわかる。獲物の種類も。
肉を穿つ音が聞こえたら弓矢を置き、これまた毒を塗った槍を構える。こちらの毒は、主に麻痺毒。
「ビギィ!」
飛び出してきたのは、立派な腹に矢をはやした二足歩行の豚。俗に言うオークというやつ。あの腹を見るになかなか食い扶持がありそうだが、毒を使ってしまってはもう食えない……オークの肉は美味と噂には聞くが今まで食ったことはない。しかし毒を使わず仕留められるほど安全な相手ではない。丸太のような腕、岩のような拳、そして巨大な牙。どれを取ってもこの馬もどきとはくらべものにならないほどやばいやつ。
一人で戦うのは初めてではない。しかし、怖い物は怖い。
「……逃げていいか?」
「あほう、これを置いてったら次にいつ獲物が取れるかわからん。追っ払うだけでもいいから頑張れ」
仕方ないと、肩から力を抜いて穂先を前に。動きをよく見て。
「ビヒィ!」
大きく振りかぶられる剛腕。当たれば見た目通りの威力で吹っ飛ばされてしまうだろう。こいつでもモンスターの中では弱い部類に入るのだから、世の中恐ろしい。
振り下ろされる前に横にステップしてよけると、拳が地面に刺さる。砲丸投げの玉もかくや、と。攻撃のチャンスは、頭が下がってきたここ。一部除きたいていの動物共通の弱点である目玉へ、槍を突きだす。鈍重さも見た目通りに、よけられることはなく、狙い通りに眼球をえぐる。悲鳴を上げてのけぞる豚。すぐに離れて、でたらめに腕を振り回すオークにちくちくと傷をつけていく。小さくとも傷が増えるたびに、毒の侵入量が増える。頭に血が上って暴れるほどに、全身に毒が回る。あとは体力勝負。
一番よく暴れるピークが過ぎれば、あとはもう弱っていくだけ。じわじわと動きが鈍り、そして動けなくなって、やがて倒れる。ここまで来たらもう安心……槍を地面に刺して、弓を拾い、トドメとして念入りに三本ほど毒矢を放つ。
「……よし」
飛び道具はいい。自分の手で仕留めた実感が手に残らない。未だに、生きた相手の肉を裂くのは少し抵抗がある。
「少し時間かかったなぁ。オーク程度、一発で仕留めないとだめだぞ」
ハラワタだけ抜いた父が、血まみれになりながら無茶なことを言ってきた。一人で余裕をもって戦えるようになっただけ、成長したと言ってほしい。最初に会ったときには、ただ逃げる事しかできなかったのに。
「あんたはできんのか」
「俺にはできんな。だが国境警備隊や、重要な都市の騎士様ならできるんじゃないかね」
「自分にできんことを他人ならできると思わんでくれ」
「お前は筋がいい。ちゃんとした師を持てばたぶん伸びるぞ。不甲斐ない親ですまんなぁ……」
「山で獣狩るには十分。それ以上は望まんよ」
槍に塗った毒を拭き取り、矢も抜き取って、矢立てに収める。前世でプレイしてたゲームのように、無限に撃てるわけではないのだ。
「わからんぞ。最近は飛竜種が活発になっていると聞く」
飛竜種と言えば、この世界にいる数々のモンスターたちの中で最も少数で、最も危険な存在。放置すれば小さな町なら一晩で食いつくされる。選りすぐりの精鋭騎士が束になってかかり、甚大な被害を出しながらようやく討伐できるほどの強さを持つ。と聞いているが、実際はどうなのだろう。多少の誇張はあるのかもしれないが、それでもかなり危険なのだろう。少なくとも、今倒したオークとは天と地ほどの差がありそうだ。
「そんなのが出てきたら、尻尾を巻いて逃げる以外どうしようもない」
「だな。ま、逃げたところで逃げきれるかどうかはわからん。会わないことを祈るばかりだ」
「まったくだ」
取り除いた腸はそのままにして、肉食獣の餌に置いていくというのが父親のやり方。モツも食えるのにもったいないとは思うが、山に入って獲物の全部を持って帰ると、他の獣の恨みを買うということで良くないそうだ。