第18話 竜殺しと暇つぶし
酒は美味い。美味いのだが、その味もうっすらと漂う糞の香りの中じゃ台無しだ。やはり食事とは五感で味わう物である。
女もそうだろう、どれだけ美しい容貌をしていようとも糞の香りを纏っていれば口説く気になどなるはずもない。なんで突然こんなことを言い始めたか、それを説明する必要は果たしてあるだろうか。多分ないとは思うが。
「依頼達成お疲れさん。報酬を受け渡す前に、水浴びしてその臭いを落としてきてくれないか。鼻がもげそうだ」
受付君が鼻をつまみながら、遅れて帰ってきた二人に言った。あまりに直球な物言いに閉口しつつも、俺が言いたいことを代弁してくれたことには感謝する。大便の臭いだけに……我ながらなんて寒いギャグだろう。言わなくて良かった。
「まあ、その。うん、水は浴びてくるけど、報酬はいらない。私たち何もしてないから……全部あの人に渡してください」
「それだけ言いに来たんだ。邪魔してすみません」
少し離れたところで酒を飲んでいる俺にも聞こえるように話し、そしてすぐに出ていった。しかし漂う芳しい糞の匂いは彼らが去っていったところで消えはせず、ウェイターとウェイトレスが一斉に窓を開放してもそうすぐに空気は入れ替わらない。
離れていてもこれだけ臭うのだから、発生源の彼らは四六時中けがれた空気を吸い続けることになる。その苦痛は想像を絶するものだろう。恋人同士の愛の営みも、しばらくは……臭いが体から完全に抜けるまでは勃つものも勃たないし、濡れるものも濡れないから、お預けだろう。同情する。
とりあえずグラスに入れた酒は飲みほして、酒代を払って、千鳥足ほどではないが少しふらついた足取りで窓口に向かう。少し飲みすぎただろうか。これからも少し用事があるのに。
「話は聞いてたな?」
「もちろん」
「この前渡した分からしたらはした金だろうが……どうする。すぐに使う予定がないならここで預かっておくが」
「いや。武器が壊れたから、新調するのに必要だ」
「いくらいる」
「金貨二枚」
ちなみに金貨一枚の価値は、前世で言うと十万円相当。じゃないだろうか。一枚あれば一か月、少し贅沢をして暮らせるし。で、これだけの金を出して買う武器となると比較的高級品となる。貧乏性の俺からすればかなり思い切った決断だが、安物を買って戦ってる最中に壊して痛い目を見るのと、ここでのちょっとした出費とを天秤にかけた結果だ。
「……余程いいもん買うつもりらしいな。いっそ不相応な。スライムを一人で殺したっ言ってたが、ハンターランクの詐称は犯罪だぞ?」
「悪いがランクについては本当だ。前居たとこじゃせいぜい畑を荒らすゴブリン退治くらいしか仕事がなかったからな。昇級のしようがない」
「……じゃあランクを少し上げとく。カードを出せ」
「はいよ」
小物入れからハンターカードを出して手渡し、線が一本刻まれる。面倒な手続きはギルド側で全部やってくれるのだ。楽でいい。
カードと一緒に出された金を小物入れにしまう。
「これで今からお前のランクは六に上がった。本当はもう少し上なんだろうが、原則一度には上げられないからな。だが、スライムを一人で倒せるならランク八相当の腕はあるんだろう。だから、腕に合わせた仕事を任せる」
「具体的に、どんな仕事を?」
「ちょっと手ごわい魔物の退治だったり、捕獲だったり。基本新米には手に負えないようなのを頼む。今日はないが、たまに出るからな。その時は頼んだ」
「あいよ。お任せあれ。じゃあまたな」
やることやったら、あとはさよなら。ふらりふらりと建物を出て、表通りに。今度の目的地は武器屋、ついでに鍛冶屋も紹介してもらえたら、紹介してもらおうかなと。徹甲弾みたいな矢なんて取り扱いがないだろうし、特注で作ってもらわないと調達できない。
竜以外にも使うかもしれないが。
考えながら歩いていると、ふと囲まれていることに気が付いた。酔いのせいで気付くのが遅れた。足を止める。ガラの悪そうな男達、その中に昨日見た顔が。なるほど、恥をかかされた仕返しに来たというわけだな。
「よう。てめえか、俺の舎弟をかわいがってくれたお調子者は」
大柄の体を揺らし、筋肉もりもりのスキンヘッドマッチョマンが詰め寄る。
「デートのお誘いなら他を当たってくれ。酔ってるからって男と女を見間違えたりはせん」
「そういう目的じゃねえんだよ」
「殴り合いか?」
「そうだ。てめえをぶちのめして、有り金奪って、川に流す。命乞いしても遅いからな」
胸倉をつかまれ、敵意を。殺意を向けられ、酔いが冷める。せっかく気分よく酔ってたのに台無しだ。
服を掴む腕を、握る。握って、少しずつ。力を強めていく。ギリ、と音が鳴れば、腕が離れる。余程痛いのだろう、さっきまでの顔とは大違いだ。
「悪いが今ちょっと酔っててなぁ。それはちょいと勘弁しておくれ」
「っ……!?」
痛みに耐えきれず、ついにうめき声を上げる。目の前の敵の胸に手を伸ばし、服をもって片手で掲げ揚げる。軽い軽い、まるで綿毛のようだ。
「は、放せ!」
「まあ、いい。丁度案内役が欲しかったところだ。一度案内されただけじゃあ地理を覚えられなくてなぁ」
じたばたと暴れるが、つまみあげられた子猫が嫌々しているようにしか思えない。ハンターとチンピラ風情じゃあそもそも肉体の格が違うのだ。ハンターは日々魔物をぶち殺し、その血と魔力を浴びて強くなる。そしてより強い魔物を殺し、時には殺される。人間を従えて威張ってるようじゃ、今までハンターと喧嘩した経験がないと見える。
「ふっざけんな! おいてめえ、調子に乗るんじゃあぁーーーーっ!?」
乗るんじゃ、のあたりで上空高くに放り上げる。叫び声が遠ざかり、数秒後に降ってくるのを受け止める。
「お前ら全員ぶちのめして、有り金奪って、川に流してもいいか?」
「……調子に乗って申し訳ありませんでしたどうかこの身の程知らずの愚か者をお許しくださいハンター様」
大の男がガタガタ震えて目に涙を浮かべ、助命を懇願する。取り巻きを一睨みすれば、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。なんと滑稽な事か。これではまるで弱い者いじめをしているようではないか。実際そうだが、喧嘩を売ってきたのはこいつらなのだし……許してもらえないだろうか。
「じゃあ案内を頼む」
「ハイ、ヨロコンデ」
今日の案内役は、タダで手に入った。そう思えば多少の面倒も許容できる。