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オープニング

 覚えているのは、三つ。仕事終わりに買い物をして帰路についていたことと、今日の夕飯は何にしようかとのんびり考えていたことと……首から上にあるべき器官の存在しない、人の体。首から上に乗っているべき頭部が存在せず、そこから滾々と夕陽と同じ紅い色をした水の湧き出す、生命活動の一切を停止した、所謂死体。そして地面にできたすり鉢状の穴。

 たったそれだけ。一瞬よりも短い刹那の間に、私に何かが起こって、私は死んだ……のだろうか。少なくとも頭のない人間の生存は不可能、ならば死んでいる。生きていない私が、死んだ私を俯瞰している。なんとも、言葉には表しがたい。死ぬ間際の恐怖、喪失感、後悔などはまるで感じる暇もなく、ただあまりにも非現実的な生命の損失という現実を、まるで人ごとのように観測した。


 しばし、処理能力の限界を超える現実に思考が遅延し、何を思うでもなくただ傍観していたら、視界が一点を中心に渦を巻き、巨大なクジラの口に飲まれるように暗転。そして白転。

 気が付けば私は、病室のベッドシーツのような純白の部屋のど真ん中に。あまり病院の世話になったことがないので例えとして正確かどうかはわからないが、ともかく上下左右、四方八方どこを向いても真っ白な場所に居る。照明はないし、影さえもない。外に出ようにもドアがない。窓もない。そもそも、ここが部屋なのかどうかもわからない。この部屋、あるいは空間はどこまでも純白で、遠近感がまるでない。手を伸ばせば壁に手が届いてしまうほど狭いのか、あるいは地平線の向こうまでの広さなのか。

「――――」

 何もない空間で、耳元を掠めるように、音が通り過ぎる。ここには、何かが居る。私には理解の及ばない、何かが居ると、本能よりもさらに原始的な何かが、私に語り掛ける。それが、理解できない言語を用いているのに、話していることがわかってしまう、異常。

「―――――」

 これで大丈夫なのか。特別なことはないな、と。自分の知る言語ではないのに、言語として発せられている音と認識できる。

「下位言語。密度希釈」

 そして現れたのは、私だった。私の顔、私の服、私の声で、私とは違う何かが話す。会えば死ぬという都市伝説のドッペルゲンガーなどとは違う。悪意はなく、慈愛すら込められた表情。自分なのに自分じゃない、なんだこの気持ち悪い存在は。

「はじめまして。我が子よ。我は我が子らにとって神と呼ばれる者。本来形を持たぬ存在故に、姿を借りている」

「……」

 死んだと思えば知らない場所に居て、神を自称する、理解の及ばない存在に出会って。控えめに言って、頭がおかしくなりそうだ。いや、ひょっとすると既に頭がおかしくなっていて、これは全て白昼夢。あるいは狂人の妄想ではないのか。そうであってほしい。そうでなければ、受け入れがたい。世界は白一色なのに、円形の虹が現れて私の目の前で回り続ける。ぐるぐると、延々と。

「我が子よ。お前の肉体は死んだ。目的のため、私が殺した」

「ははは、夢の中の悪ふざけにしてはタチの悪い」

 ラノベじゃあるまいし、そんな馬鹿馬鹿しいことがあるはずがない。あっていいはずがない。こんなベタな展開に、六十億分の一の確率で当たっていいはずがない。

「そうでないことはお前もわかっているだろう」

「……まぁ」

 現実に起こってしまった、と信じているのは神を自称する者……もう神でいいか。かの目にはお見通し。顔に張り付けたうすら笑いを引っぺがし、片目に手を当てて天を仰ぐ。無宗教だが、神を恨む。恨むべき神は目の前に。しかし、自分の姿をしているため、自分で自分を憎むなんて非生産的な念を抱くのは馬鹿らしいと、結局行き場を失った感情を自分の中に封じ込める。なんとも。不愉快だ。

「お前でなくとも、我が子ならば誰でもよかった。誰でもよかった中の、選ばれた一人がお前だ」

「通り魔ですかね」

「目的は異なれ、手段は同じ。その通りと肯定しよう」

 人間の通り魔ならば、警察が逮捕し法の裁きが下されるだろうが、神を逮捕して裁ける人間は存在しない。これで目的がくだらない物ならば、私の死は報われない。

「世界の崩壊を阻止するために、お前を殺した」

 ……聞き間違いでなければ。神が言い間違いなどくだらない過ちを犯すことがないという前提の下に今の言葉を認識するならば。随分と大仰な目的だ。文武両道どころか文も武も持たぬ、この一小市民が、世界を救うなどという偉業を果たすために選ばれたなどと言われても、つまらない戯言にしか受け取れない。それが神であってもだ。いいや、神だからこそだ。

「暇は神をも殺しますか。娯楽であれば、他を当たることを……」

「我らにとって人の子の魂はすべて同じだ。お前であっても、他の六十億の誰であっても変わらぬ。しかし、お前は選ばれたのだ。使命と、使命を果たすための力を与えられ、お前の世界とは違う世界で、使命を果たすのだ」

「……」

 拒否権は、ないようだ。そもそも神に頼んだところでまったく無駄だろう。人なら話が通じても、神相手なら話すだけ徒労。なにせ理解できるのは言葉だけ。こちらの精神や都合などは一切考慮してくれない。してくれるはずがない。草食獣が肉食獣に食われるのと同じくらい、神が人間相手に無茶をするのは当然のこと。数々の神話がそれを物語っている。

「使命を伝える。我らを殺そうと画策する我が子を殺せ」

 そして状況への理解が追い付かない間に、一方的な語りは進む。こちらの合意を求ることもなく。

「……お聞きしたいことが」

 せめて状況の理解を進めるために、どうでもいいことを質問して、時間を得る。

「答えよう」

「わざわざ私に使命を与えんでも、直接手を下せばいいんじゃないですかね」

「我らにできるのは与えるのみ。奪うことはできぬ。お前の場合は、他の者にその使命を与えることで肉体を殺したが、彼の者は世界の外側の存在によってのみ傷をつけ得る」

「へえへぇ」

「使命を果たすための力は与えよう。報酬は、転移先での貴様の魂の充足。文句はあるまい」

「……とんでもない。文句しかありませんよ」

 とはいえ、文句を言ったところで解放してくれるわけもなし。

「嫌ならば拒否するがいい。貴様以外にも、候補はあと六十億あまりいるのだから」

 今の文章の最後に続くのは、そのあとどうなっても知らんがな。だろう。一体拒否した末に何が起きるのかはわからないが、ろくでもない事だというのはなんとなくわかる。ああ、理不尽だ。何が悲しくて死んでまで理不尽な目に合わなければいけないのか。

「やらない、とは一言も申しておりません。謹んでその大役、承らせていただきます」

 慇懃無礼に、大仰な動作で受け止める。嫌味なんて通じないだろうが、こうでもしないとやってられない。

「よろしい。では行くがよい」

 テレビの電源を落としたように。あるいは夜の照明を落としたように、ブラックアウト。そして始まる紐なしバンジージャンプ、あるいはパラシュートのないスカイダイビング。死んでいるのに、死に向かって一直線に落下していく。

 人間は、死んでからも重力に縛られるらしい。

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