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台灣旅行紀  作者: 高崎洋
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三日目

 一晩寝て、今朝目を覚ましたとき、僕は一種、悟りの境地のような心情にあった。昨日までの未練はひどく薄れ、寮に向かう意欲も、ほとんど消えかけていた。

 それでも、せっかくだからと重い腰を上げ、ホテルの朝食をたいらげると、僕はタクシーに乗って寮のある場所へと向かった。

 結局、管理人さんはいなかった。そこにいたのは、またしても僕の知らない別の人だった。

 ――やっぱりか、と思った。

 もうここには、僕の知っているものは何も残っていない。

 それでいいんだ、とも思った。もしここにまだ僕の居場所が残されていたら、明日帰るのがずっとつらくなっていたかもしれない。

 手持ちの金が少なくなっていたので、台南駅前の郵便局で両替を済ませ、名残惜しく思いながら、僕は高雄方面行きの區間車(普通列車)に乗り込んだ。

 目的地は、左營(ズオイン)駅。高雄アリーナの横にある、漢神(はんしん)百貨店の中の紀伊国屋書店だった。

 ここには、日本語の本も売っていて――というより、南部に住んでいると、日本の本はここでしか手に入らないので、読む本に困ったときは、ちょくちょく台南から電車に乗って、本を買いにやって来ていた。晴れの日にはそこで買った本を携え、左營駅の裏手にある蓮池潭(リェンチータン)の岸辺に寝転がり、それを読んだ。

 今日の目的は、もちろん日本の本ではなく、今日泊まる予定にしていた桃園市内の地図だった。

 空港から一番近くて大きな街だからというのが、そこに決めた理由だったが、実のところ僕は一度も行ったことがなく、どんなホテルがあるのかとか、空港への直通バスはあるのかとか、一から調べなければならなかった。

 僕はそれから、高雄アリーナ最寄りの巨蛋(ジュタン)駅(巨蛋とは高雄アリーナの愛称)から二駅だけ地下鉄に乗って、高鉄の左營駅へと移動した。

 この高鉄左營駅は、台鉄の新左營駅と地下鉄の左營駅に連絡しているが、台鉄の左營駅からは離れているという、非常にややこしい駅である。

 ちなみに、本来の左營の(まち)は駅からかなり離れた海辺に所在していて、台湾を代表する軍港都市である。

 とにかく今度はこの左營駅から高鉄に乗って北を目指す。目的地となる駅は「新竹」。桃園から近く、台鉄と接続しているのがその理由だったが、ことごとく行き当たりばったりな自分の性格を、改めて痛感する。

 高鉄は高雄から北に向かって走るので、当然ながら二つ目の駅は「台南」である。しかし、高鉄の台南駅は市街地からおよそ20キロ離れたところにあり、街の様子を見ることはできない。駅を出てしばらく走ると、遠くに市街地のビル群が眺められるだけだ。

 台南の次は「嘉義」である。嘉義県は、台湾随一の穀倉地帯で、沿線も見渡す限り青田が広がっている。実はこれは日本統治時代のダム建設や治水工事のおかげで得られた景色であり、台湾人が日本人に好感を抱く大きな理由の一つになっている。

 ところで、台湾では嘉義付近を北回帰線が通っていて、それを境にして気候が少し異なる。この日も、嘉義までは晴れていたが、そこから先は雨模様となった。

 新竹駅に着いたとき、僕がまず感じたのは「寒さ」だった。

 台南にいたときは、汗まみれになるほど暑かったのに、今は身を抱いて震えるほどに寒い。駅の気温表示は二十度と出ていたが、雨が降り、風が吹き付けている今の体感温度は明らかにそれより五度は低い。新竹は「風の城」と呼ばれるほどに風が強いと聞いていたが、その底力を見せつけられた気がした。

 新竹から台鉄に乗り換え、桃園へと向かう。この桃園という地名、郊外にある台湾最大の国際空港のおかげで、日本でも広く知れ渡っているが、実際に市内に訪れたことがある人は、あまりいないのではないだろうか。灯台もと暗しということだろうか、観光ガイドで紹介されることも少ない。

 ちなみに、台南の人間からすると、人口規模で高雄、台中に次ぐ台湾第四位の座を奪われた関係で、桃園をライバル視しているきらいがある。ちょうど大阪の人間が横浜の台頭に不快感を抱くのと同じような感じだろうか。歴史も風格も何もないくせに、ただ首都に近いというだけで、ベッドタウンとして成り上がりやがって、という感じである。

 なるほど台北に近いだけあって、桃園の街の様子は非常に垢抜けた雰囲気であった。新光三越百貨店が堂々構える駅前は、お洒落なファッションに身を包んだ若者で溢れ返っている。のんびりした気質の台南とは対照的と言っていいかもしれない。

 ちなみに、桃園は早くに客家人が入植した土地であり、平野部であるにもかかわらず、住民の使用言語は台湾語ではなく客家語が主流である。広東語と同系統の特徴を持つこの言語は、発音の響きが日本語とよく似ている。

 人の顔つきも、心なしか南部とは違っているような気がする。

 

 結局、ホテルもバスも詳しく調べられないまま来てしまった。列車が桃園へ近づくにつれて、不安が増していく。本当にこの選択でよかったのだろうか、もう一度、初日にとまった板橋のホテルに行くべきじゃなかったのか。

 しかし、その心配は杞憂に終わった。駅のすぐ近くに手頃で綺麗なホテルがあり、カウンターのお兄さんが、丁寧に空港行きのバスの時刻まで教えてくれたのだ。

 桃園市内から空港までは、路線バスで約四十分。結果的に、板橋に宿を取るよりはるかに優れた選択をしたと言える。

 カウンターでのやり取りを終え、エレベーターに乗ろうとしたとき、不意にロビーのソファに座っていたお爺さんが、流暢な日本語で話しかけてきた。

「こんにちは。お仕事ですか、観光ですか?」

「観光です」と、驚きつつ僕も日本語で返した。「明日の朝にはもう帰りますけど」

「いつ台湾に来ましたか?」

「おととい来ました」

「それは短い」と、お爺さんは笑いながら言った。「台湾は、せめて一週間はいないと」

 それから僕は、以前台南に住んでいたことを日本語で説明した。

 台湾には、日本語をたしなんでいる人が、世代を問わずとても多い。こちらが中国語で話していても、日本人だとわかるなり日本語に切り替える人もいるくらいだ。だから中国語ができない人は、台湾では英語よりも日本語で話しかけたほうがいい。必ずその場に、日本語のできる人が、何らかの形で現れてくれる。

 そして彼らは、日本語が話せることを、とても誇らしく思っている。

 どうして日本語がそれほど上手なのか、詳しく話を聞いてみたいと思ったけれど、僕も相当疲れていたので、おとなしく部屋に上がることにした。

 外は大雨が降っていて寒いし、今日はどこへも出かけずに、明日の帰国に備えようと思う。

 いろいろと感傷的になった今回の旅行だったが、「来てよかった」と思える旅だったことは間違いない。必ず再び台湾の地を踏むことを誓って、この旅を締めくくることにする。

 ――日本に帰るのが、今は楽しみだ。



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