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台灣旅行紀  作者: 高崎洋
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二日目

 台南に行って何をしようとか、具体的なことは何ひとつ決めていなかった。ただ行って、駅に降りれば、それで懐かしく感じるだろうと、そうやって単純に考えていた。

 ――台南は、僕が台湾にいたころに住んでいた街だった。


 台湾の標準時間は日本より一時間遅いから、早起きをしようと思えば、いくらでも起きられる。僕は、時計の針が朝の七時を指すより早くホテルを後にして、台鉄の駅へと向かった。

 本当は朝のうちに台北も行きたかったのだけれど、なるべく昼までに台南に着きたかったこともあって、今回はやめにした。

 台鉄の板橋(パンチャオ)駅で、自強号(特急)のチケットを買う。実を言えば、高鉄に乗ればよっぽど早く着けるのだけれど、根っからの鉄道好きである僕は、在来線での旅をとても楽しみにしていたのだった。

 しかし板橋から台南までの所要時間は、およそ四時間。昨日の飛行機より更に長いくらいである。車窓風景も思いのほか単調で、苗栗(ミャオリー)を過ぎたあたりで、僕はすでにぐったりとしていた。

 それだけに、台南へ到着したときの感動は、筆舌に尽くしがたいものがあった。ホームに降り立った瞬間、いろんな想いがこみ上げてきて、胸が苦しくなったほどだ。


 台南に着いてから、僕がまず向かったのは、かつて僕が居を置いていた、学生寮だった。たとえあのころの生徒たちは皆いなくなってしまっていても、寮は変わらずそこにあるのだから、管理人さんはいるだろうと考えたのだ。当時、管理人さんは二人いて、日替わりで当番を受け持っていたけれど、どちらもとても優しくて、僕も大変よくしてもらっていた。あの人たちなら自分のことを覚えてくれているだろうと思えたし、あわよくば今いる寮生を紹介してもらえるかもしれないと考えたのだ。

 だが、その期待は無惨にも裏切られた。僕の知っている管理人さんはそこにおらず、代わりにカウンターに座っていたのは、見たこともない髭面の男の人だった。

 見ず知らずの人に会って、いったい何を話せばいい? 以前ここに住んでいたと言って、どんな答えを期待する? 何を言われたって、そんなのただ虚しいだけだ。

 仕方なく、僕はそのまま学生寮を後にした。

 しかしながら、望みが完全に絶たれたわけではなかった。僕のいたころの寮の先輩が、喫茶店を開いていて、近くに店舗を構えていたはずだった。僕は微かな記憶を頼りに、その店を探して歩いた。

 だが、店はなかった。その店があったはずのところには、見知らぬフランス料理屋が建っていた。

 場所を間違えたかと思い、付近をくまなく探し回ったが、結局それはどこにも見つからなかった。


 茫然自失の状態で歩く道すがら、何組かの日本人とすれ違ったが、話しかける気も起こらない。今、台南で生活しているのは、自分じゃなくて彼らなのだ。僕がいたときにあったものは、何もかもなくなってしまっていた。

 そこにある景色は変わらない。平気な顔をしてバイクで歩道を突っ走る大学生も、公園でリスと戯れる子供たちも、太極拳に精を出すおばさんに、賭け象棋(シャンチー)に興じるおじさんたち、地下道で眠るホームレスも、皆あのときのままだ。

 ただ、それでも――。言語交換という名目で、毎日のように友達のバイクの後ろに跨がって、昼食を食べに街へ繰り出していた思い出も、そのおかげで授業に遅刻しても笑って許してくれたあの時間も、深夜二時まで必死こいて繰り返し聴き続けたリスニングの宿題も、それを手伝ってくれた台湾人の優しい女の子も、クラスで行った鹿港(ルーガン)林鳳營(リンフォンイン)への遠足も、寮のロビーで消灯まで続けた他愛ない雑談も、毎週末飲みに行っていた串焼き屋も、何もかもが全部、僕の手の届かないところへ吹き飛んでしまった。

 ――このたった一年半の、無意義な時間のせいで。

 もうこの場所に僕の生活はない。それだけのことを悟るのに、僕はあまりにも多くの時間をかけすぎた。

 でもそれは、意外と悲劇でもなんでもなく、ごくあたりまえのことだったのかもしれない。

 だってそうだろう。小学校だって、中学校だって、高校だって、大学だって……。終わってしまったものは、もう二度と元に戻らない。

 そのことを嘆かずただ懐かしむというのは、大人になるってことなんだと思う。


 お昼は、大学の食堂で食べようと思っていたが、なぜかこの日は開いていなかった。そうこうしているうちに、完全に昼飯を食べそびれてしまった僕は(台湾の飲食店は、昼飯時が終わるといったん店をしまうところが多い)、結局コンビニで鶏足弁当を買って、ホテルで食べることにした。実を言うと、この弁当は、台湾にいるときしょっちゅう口にしていたので、もう一度食べてみたいとは思っていたのだ。

 ホテルは、台湾に来たとき初めて泊まったところにしようかと思ったけれど、部屋でWi-Fiが使えないという欠点を突き付けられ、やむなく別のところに替えてしまった。今では、そのことを少し悔やんでいる。

 住居を決めずに台湾へやって来た僕は、さしあたって十日間のホテル住まいから始めなければならなかった。初めて台南の地を踏んだときに感じた、硫黄のような臭気、人々の言動の粗雑さ、そして日本ではまず見ることのできない、街全体の賑やかな活気に圧倒され、動揺し、異文化との邂逅に驚愕し、それでも期待と不安のない交ぜになった気持ちを胸に満たして、初めての海外生活の一歩を踏み出したあのときの感覚を、改めて味わうことができないというのは、この旅の大きな痛手だった。


 明日の朝、もう一度寮に行ってみるつもりではある。管理人さんは二人いた。もしかしたら、入れ換わってしまったのは一人だけで、明日になったらもう片方の人が来るかもしれないからだ。

 学校に行って、先生に会ってみるつもりでもある。だが、こちらはあまり期待していない。今さら僕が独り押しかけたところで、何を話すことがあるだろう。「久しぶり」とそれだけ言って、あとは一言二言話ができたらいいほうだ。彼らにとって大切なのは、記憶の彼方に置き去りにしてきた過去の生徒ではなく、今現在授業を受け持っている学生たちなのだ。


 明日の午後にはここを去らなければならない、という事実が、街の通りを歩いていると、まるで幻覚のように感じられる。

 目に入るすべての景色に、鮮やかな思い出が焼き付いている。

 ビザ申請のために証明写真を撮り、何度も移民局を歩いて往復したこと。夏に大学で行われた同人誌即売会とコスプレ祭りを見に行って、帰りにメイド喫茶でカレーを食べたこと。ドイツ人のお爺ちゃんと一緒に、北門路(ベイメンルー)の電気街へ電子辞書を買いにいったこと。



 なんで帰らなきゃいけない!? ここは僕の街だ!!



 ――なんてことを言っても仕方がないのはわかっている。僕はもう25歳じゃない。現実と向き合わなきゃならない。

 でも、これで僕の台湾熱が終わったなんて言わせない。これで終わりじゃない。また来るよ、何度だって来てやる。

 とりあえず、一人で来るという目標は達成したから、今度は誰かと一緒に来る。二人だって、三人だって、構わない。

 そして彼らの目の前で、得意な顔をして言ってやるんだ。

「僕は昔、この街に住んでいたんだよ」と。


「この街を、愛してるんだよ」と。



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