1-1 『私』という存在
どうやら私は、転生というものをしたのらしい。
というのも、私を軽々と抱き上げる彼女の存在が全てを物語っている。
今ここにいる私は、OLとして日々を過ごしていた頃の私ではない、まだうまく動かすことの出来ない身体…起き上がれないはずだ、赤ん坊なんだから。
そして彼女は私の事を『衿加』と呼んでいる。
二十数年の生と共に付き合ってきた名前はそんな可憐な名前ではない、もっと昭和の匂いを感じるような…って、いや、親からもらった大事な名前だということは理解してるけど、でも本当に平凡な名前だった。
でも、今は違うらしい。
衿加――それが私の、新しい名前のようだった。
…となると、やはりこの女性は母親…なのだろう。彼女が微笑むたび、私の意識とは関係なく幼い身体が嬉しさを感じている。
「あー、ちゃー」
「あらあら、お腹が空いたのね」
彼女を驚かせない程度に何か話せるかと試してみたが、まだまだ歯も生え揃っていないらしい乳児には声を出すしか出来なかった。…でもまあ、お腹も空いてたしちょうどいいかな。
…そんなことを思いながらもぼんやりと考える。
『衿加』が今の「私」なのだということはわかった。けれど、これまでの「私」はどうしたのだろうか。
(…死んだ、のかな)
地元の商社に勤め、忙しいながらも充実した日々を過ごしてきた「私」の最後の記憶はとても曖昧で、今この状況になっていてもなおその事実がピンと来ない。
でも実際に、幼い身体にバランスの合わない精神が入っているのが現状なのだ。
…これまでの「私」がその生を終えていたのだとして、その後こうやって衿加として生まれ変わった…というのなら、なぜ「私」の記憶を持ったままでいられるのだろうか。
(…幼い頃は前世の記憶を持っているっていう話、ホントだったのかな)
人間だれしもが幼い頃、生まれる以前の記憶―つまり前世―を持っているという話を聞いたことがある。
新たな生を受け、その日々を過ごしているうちにその記憶は消えていくらしいが、極稀にその記憶を持ち続けたまま大人になる者もいるとか。
―…ただ、あまりにも突拍子もない話すぎて信じられていなかった。
(…この記憶も、いつの間にか消えちゃうのかな…)
―…衿加として生まれたのだから、以前の記憶はないほうがいいのかもしれない。
そう思うけど、これまでの自分が消えていってしまうんじゃないかという恐怖を感じて、…初めて身体に悪寒が走る。
「ふえ…えええ…」
「あら…衿加ちゃん、どうしたの…?怖い夢でも見たのかしら?」
よしよし…と温かく抱きすくめてくれる母は、安心できるようにと背中を撫でてくれる。
その温かさを感じながらも、『自我』が消えゆく恐怖は、『いつの間にか死んでしまっていた』かもしれないことよりも怖い。まるで、知らないうちにカウントダウンが始まっているようで。
…楽観的な性格だと自覚していたけれど、そんな性格の前でも『自分が消える』ことへ恐怖を打ち消してはくれなかったようだ。
「うあああん、ああああああん」
―…その時やっと『衿加』としての生を自覚した私は、「私」を思いながら初めて思い切り泣いた。