表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夜泣きの森のカラクリ魔法使い

作者: 芍薬
掲載日:2014/12/20

 昔々、世界にまだ竜がいた頃。


 世界の果てと呼ばれる渓谷のほとりに、深い深い森がありました。

 迷い混んだら2度と出られず、夜な夜な森をさまよう人間のすすり泣きが聞こえるという話から、夜泣きの森と呼ばれるその森に、好んで近づく者はおりません。


 月の美しい冬の夜、一人の娘が森に迷い混みました。

 娘は、かつて姫と呼ばれる身分の者でした。

 望まずして国同士の争いに巻き込まれ、たった一人で祖国を追われたのでした。

 王である父も、妃である母も、祖国も失い、獣のいる森へと追いたてられ、迷いたどり着いたのがこの夜泣きの森でした。


 かつて、白くすべらかだった手のひらは傷だらけ。

 泥だらけの裸足の足は、凍えてうまく歩けません。

 真冬の森に彼女はひとり、泣くこともできぬまま、よろよろと歩いておりました。

 獣に追いかけられ、痛む足を宥めながら、何とかここまでやって来ました。


 彼女はここが夜泣きの森とは知りません。

 お城の中で、ダンスの稽古やマナーの勉強ばかりしていた彼女は、外の世界のことは何も知らないのです。


 疲れきった彼女は、その場にへたり込んでしまいました。

 見上げれば、木々の枝葉の間から月が覗いています。

 不意に、悲しみが押し寄せてきて、彼女はポロリと涙をこぼしました。

 そしたら涙が止まらなくなって、彼女は声もなく泣きました。

 ぽろぽろと泣いていると、彼女の頬にほとりと冷たいものが当たりました。

 ほとり、ほとりと降り出したのは、真っ白な雪でした。

 いつの間にか月は雲に隠れ、姿を消していました。


 ああ私、このまま凍えてしまうのだわ。


 そう思った彼女の耳に、かたかたと乾いた木がぶつかるような音が届きました。


「泣き虫毛虫」


 そんな言葉も聞こえた気がして、思わず泣き止みます。

 おかしいのです。この場所には、彼女しかいないはずですから。


「泣き虫毛虫は摘まんでポイ!」


 また聞こえました。

 周りを見回しますが、誰もいません。


「誰ですか? どこにいるの?」

「可哀想なお嬢さん。この森に何の用?」


 どこからともなく聞こえてくる声に、彼女は泣きそうになりました。

 怖いのです。

 かつての臣下や見知った人々に国を追われた彼女は、すっかり人が怖くなっていました。


「さっさと帰ったら? 帰り道がわかるうちに」

「……帰るところなんて、もうないわ」


 冷えきった涙の粒が、お姫様の頬からぽろりと零れ、握り締めた拳を濡らしました。

 お姫様だった彼女の手には、もう何も残っていません。


「じゃあ、仕方ないね」


 声はあっさりそう言いました。

 あまりに素っ気ない言葉に、彼女はぽかんとしました。

 仕方ない。そんな風に彼女が思えたことはありませんでした。


 背中の方で、かつりと音がして、彼女がゆっくり振り返ると、そこにいたのは一体の木の人形でした。

 赤と緑の服をきた人形は、かくりと首をかしげます。


「お客さんは久し振りだなぁ」


 かくかくと木の顎が揺れて、人の声が漏れました。

 彼女は目を真ん丸にして、人形を見つめます。

 それが、彼との出会いでした。


「名前など好きに呼べばいい」

 彼は、そんな風に言いました。


「名乗るべき名なんてとっくに忘れたよ」


 そう言われてしまえば、彼女に返す言葉なんてないのです。

 動く人形なんて初めて見ました。

 彼についていくと、辿り着いたのは、森の奥にある一軒の丸太小屋でした。


 彼が手を振ると、触ってもいないのに入口の扉が開きました。

 恐る恐る踏み込むと、暖炉には赤々と炎が燃え、ポットがひとりでカップにお茶を注ぎます。


「魔法だよ。僕には手がないからね」


 そう彼は嘯きました。

 確かに、彼の手は固い木でできており、何かを握ることなどできはしないのです。


「魔法……使い?」


 魔法使いなんて、伝説の生き物です。

 彼女はそう思っていました。

 過去史には、魔法の記録が残っていますが、今はもう、魔法は失われたはずです。


「見ても分からないなんて、思ったより愚鈍だね」

「ぐっ……?」


 絶句している彼女に構わず、彼はかたかたと顎をならして笑います。


「まあ、好きにすればいいよ。どうせここには僕たちだけだし」


 ふわふわと宙を移動したカップが、彼女の手の中に落ちてきます。

 カップは温かく、ゆるやかに立ち上る湯気からは、仄かに甘い匂いがしました。


 ここにいてもいいのだと言われた気がして、彼女の震えた指先に、涙が一滴(ひとしずく)だけポタリと零れました。


 そして、二人の奇妙(おか)しな生活が始まりました。

 彼は彼女が丸太小屋の屋根裏部屋にだけ立ち入らなければ、後は一切干渉しようとはしませんでした。

 彼は気儘に日々を過ごし、彼女は生きるために畑を作ろうと苦戦しているところです。

 野良仕事などしたことのない彼女の手は、瞬く間に荒れ、傷だらけになりました。


「ここに人が食べられるものはないよ」


 そう彼が言ったので、自分で作るしかなかったのです。

 彼は手伝うでもなく、時折言葉で毒を吐きながら、それでも彼女を追い出そうとはしませんでした。


 彼女は彼を「魔法使いさん」と呼ぶことにしました。


 彼はどうして人形なのでしょう。

 その問いは何となく、聞いてはいけない気がして、彼女の胸の中に納めたまま。

 穏やかな時間は、少しずつ過ぎました。


 ある日、彼女は小屋から離れ、薬草を採りに行くことにしました。

 彼に聞いたのですが、この森には良質な薬草が多く自生しているのです。


「どうせ僕には役に立たないからさ」

 そう彼は言いました。

「でも本当に行くのかい? お嬢さんには厳しい道のりかもよ」

「構わないわ。ありがとう、魔法使いさん」


 礼を言うと、彼はかたかたと木の腕を揺らしました。

 彼女が気づいたところによると、どうやら彼は照れ屋のようでした。

 素直さに欠けるとも言いますが、直接心配だと言われなくても、彼女には十分嬉しかったのです。

 彼が人形でも、彼女は彼が大好きです。

 素っ気ない態度も、優しさと気がついたからかもしれません。


 森を歩くのも、今ではもう怖くありません。

 彼に教えてもらった薬草の自生地をゆっくりと巡ります。

 そしてかご一杯に薬草を採取した頃。


 おうおうと、森の哭く声を彼女は聞きました。

 森が哭くなんておかしなことですが、確かに聞こえました。

 こんなことは初めてです。

 彼女は耳を澄ませました。


 がさがさと草木を掻き分ける音がして、彼女ははっとしました。

 ここは奥深い森。

 棲むのは野生の動物だけです。

 思わずじりじりと後ずさると、繁みから飛び出してきたのは、動物ではありませんでした。


 彼女はぽかんとしました。

 人です。

 なぜここに人がいるのでしょう。

 姿を表したのは、屈強な男でした。

 周囲を見渡し、立ち尽くす彼女に気がつきます。

「女?」

「ガイジ、何をしてる。動物ならさっさと仕留めて……」

 後ろからもう一人、男が顔をだしました。

 同じく彼女を見て動きを止めます。


「女……? 何処かで見覚えが」

 後から来た男が呟きました。

 ガイジと呼ばれた男は「お前もそう思うか」と返しました。


 しばし、お互いに見つめ合います。

 やがて男たちは顔を見合わせました。


「シエルカ姫!?」


 彼女はびくりとすくみました。

 捨てたはずの名です。今はもう、呼ぶ人のいないはずの。

 祖国で、彼女の顔は主君の娘として知られていました。

 彼女が思っていた以上に。


「亡くなったはず……いや、これは使える」

「どういうことだ?」

「ガイジ、彼女を捕まえろ」

「よくわからんが……」


 彼女ははっと我に返りました。

 ぼうっとしている場合ではありません。

 彼らが何を話しているのかはよくわかりませんが、捕まったら、もう2度とこの森に戻れないということは分かりました。


 家族を失った彼女は、これ以上何も失いたくはありませんでした。

 必死に逃げ出しましたが、あえなく捕まって、後には中身の零れたかごだけが残されました。


 捕まった彼女は、町へと連れていかれました。

 そして反乱の旗頭に据えられたのです。

 彼女の祖国はすべての王族を失い、隣国に飲み込まれていました。

 それを取り戻すための反乱軍の、お飾りの主として、ただ座っていることを求められました。


 最後の姫として祭り上げられ、沸く人々の中心で、飾り立てられてただ座るだけの彼女の心は凍りついたようでした。

 彼女を追い出した人々が、今度は祖国を取り戻せというのです。

 悪夢を見ているようでした。

 目を閉じれば、思い出すのは奇妙(おか)しな彼の姿。

 夢だったのは、こちらの方かもしれません。

 さよならすら言えなかったことが、ただ心残りでした。


 食べ物が喉を通らず、みるみる痩せていく彼女が、ベッドの上で眠ったままになるまで、そう時間はかかりませんでした。

 うとうとと微睡む彼女は夢を見ました。


 夢の中で、彼女は泣いていました。

 どうして泣いているのかもう思い出せませんが、とにかく悲しくて仕方がないのです。

 いつかのように天を仰げば、真ん丸の月が彼女を見下ろします。


「泣き虫毛虫は変わらないんだね」


 そんな言葉を聞いた気がして、彼女は瞬きました。

 いつのまにか、彼が佇んでいました。

 あるはずのない光景でした。

 なので彼女は、これが夢なのだと悟りました。

 なんて幸せな夢でしょう。

 彼が来てくれるはずなんてないのに。


「君が何処に行こうと、僕には関係ないけれど、ひとつだけ聞いておこうと思って」


 彼は木の腕をのばしました。

 短い腕は、彼女には届きません。


「まだ生きたいかい」


 彼女は止まらない涙をぬぐいました。

 ぬぐってもぬぐっても、涙が頬をまた濡らします。

 それでもぬぐって、彼女は腕をのばしました。

 彼の木の腕を握ります。


「生きたいわ! あなたと一緒に!」

「そう」


 小さく呟いた彼の手は、彼女の手のひらを滑り落ちました。

 慌てて更にのばした手を、誰かの手が握りました。

 血の通った温かい、ヒトの手。


「物好きなお嬢さん、僕の小屋に招待するよ」


 見上げれば、困ったような顔の見知らぬ青年は、彼と同じ声でそう言ったのでした。


 ***


 昔々、世界にまだ竜がいた頃。


 奥深い夜泣きの森に、今はもう()い国の姫と、人形の魔法使いがおりました。

 時々人の姿に戻る人形の魔法使いを姫は愛し、魔法使いもまた、泣き虫な姫を愛しました。

 そして二人は、生涯幸せに暮らしたそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ