036:『黒闇』
新しい朝がきた。希望の朝だ。
朝がきて、なんとなくそのセリフが頭に浮かんだ。
別に何の意味もない。
何が希望だ。そこまで絶望すら感じていない俺には希望もへったくれもないだろうよ。
俺の妹達であるところのメカ姉妹。志乃芽と志乃花とは違い俺は社会に貢献するような人生を送っていた訳でも何ければ、おそらくはこれからだって、誰かのお役に立てるような神生を送れるとは到底思わない。
そんな俺が希望を抱くだなんて烏滸がましい。もしかしたら絶望ですら感じてはいけないのではないだろうか。
いやーー朝から何を考えているのだろうか・・・
ところで今は・・・
と、腕時計を確認しようにも寝起きで腕時計が腕に装着されている筈もなく、ひょいと目線を壁掛け時計にやった。
・・・は?
壁の柱にかかっている時計は全くもって時計としての役目を果たしていない。
役目を果たしていないと聞くと、時間が狂っているのだろうと思うかもしれないがそうではない。
上へと聳える柱に掛かっている時計は本当に時計としての役目を果たしていないのだ。
「分をわきまえろ」
その壁掛け時計には針がなかった。
秒針がない時計ならばたまに目にはするが、秒針どころか分針も時針までない時計なんて、それはもう時計ではないだろう。
1〜12の数字を学べるただのオブジェかなんかだろう。
全くふざけやがって。昨日は普通に時計時計してたってのに今日になればオブジェオブジェしやがって。
「おーい! けーい!」「美月ー!」「志乃芽ー!」「志乃花ー?」
この家の住人の名前を手当たり次第呼びながら廊下を歩いて居間に向かったが返事がない。
名前を手当たり次第ってのは変な表現な気もしてきたが、そんな事を考えていれる心境ではなくなってきた。
居間にも台所にも洗面所にもトイレにも風呂にだって誰も居やしない。
いつもならば、景あたりが「灯夜殿ー朝食の支度ができましたよー」と新妻のような生き生きとした、溌剌とした声で俺を呼んだり、美月が「灯夜 灯夜ー」と小動物の鳴き声の様な声で叫んでいたり、志乃芽と志乃花が「お兄ちゃーん!」とダンプカーの様に俺を起こしに来てくれるというのに。
どうやら今日は、どのサービスも受けられないようだ。
ダンプカーのように起こしに来るのを果たしてサービスと呼んでいいのだろうかという疑問にもなるが。
それが俺の為にしている行為なのだからきっと、それは妹なりの俺への奉仕。サービスなのだろう。悪意ではなく善意なのであろうから、それはサービス以外のなんでもないのだろう。セルフサービスではなくフルサービス。御奉仕なのだ。
今までの俺は、毎朝サービスの嵐を受けていたという訳だ。なんて贅沢な嵐だろう。こんなにふんだんに、惜しみなく奉仕を受けられていたなんて。
そんな俺は、いきなり途絶えてしまったサービスに不安を抱いている。
俺はサービス慣れをしてしまっていたようだ。いつの間にか奉仕の慣れっこになってしまっていたのだ。
時計の便利さといい、同居人のサービスといい、俺はそれが普通になってしまっていた。
俺は学んだぞ。十二分に学んだ。なんて物分りがいいのかっていう程に学んだ。勉強したぞ。普通がどんなに有難い事かが分かった。思い知った。思い知らされた。身に沁みた。
だが、いくら分かろうとも、思い知ろうとも、思い知らされようとも、身に沁みようとも時計の秒針が、分針が、時針が、景が、美月が、志乃芽が、志乃花が現れたりはしなかった。
これは俺への罰、天罰なのかもしれない。
天罰ならば神が下すものだとは思うのだが、俺自身神ではあるのだが、神でもまた他の神、或いは、もっと上位の神に罰を下されてしまうのかもしれないな。
とりあえず神社の方へ行ってみよう。己己己己に訊けば何か知っているかもしれない。
神室の扉を開けるとそこは闇だった。
何も見えないし何も聞こえない。
「おーい!」
「誰かいないのかー」
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「ようやく帰ってきましたか主様 お帰りなさいませ」
「だっ誰だ!?」
闇の中からどこからともなく声が聞こえる
その声はどこから聞こえているのか全く検討がつかない。
四方八方から聞こえてくる。
室内での声の反射とも違う。例えていうなら10人位の同一人物に取り囲まれ、一斉に同じ言葉を言われたような感じだ。
「私ですかーー強いていうならば、私は貴方ですよ」
暗闇の中から聞こえる声は続ける
「主様と私は全然違うが全く同じ、全然似つかないけれど同じ者、そんな存在です。まあ、主様とお呼びしているのも、私より貴方の方が正しいからで、貴方の方が主に相応しいからですよ」
「それはどういう意味なんだよ・・・」
「私は貴方の正しさを知っています。それはもう嫌という程知っていますよ。いつも見せつけられていますからね」
暗闇の中から聞こえる声の話が一旦途切れた時遠くからすすり泣くような声が聞こえてきた。
暗くてよくは分からないが、方向的には神社の表側、境内のある方向、己己己己が日曜大工感覚で作ったという大鳥居がある方向から聞こえてきた。
その泣き声が気になって暗闇から聞こえてくる声が何かを話しているのに気付かなかった。
「はあ、やっぱり貴方は正しい。その泣き声は貴方の大切に思っている人達の声です。今日はもう時間がなさそうなのでここまでにしときます。また会いにきますよ」
その言葉の後、少しずつ闇が消え、視界に光が見えてくる。
「お、おいっ! どういう事なんだよ! それに、また会いに来るって・・・」
思わずそんな言葉を俺は発した。
全く正体も分からない声に対して俺はもう少し話したいと思ってしまったのだ。
それというのも、俺はその声を知っている。
知っていると言ってもその声を知っているというだけで、誰なのかは全く分からない。
とにかく俺はこの声の主ともっと話しをしなくてはならない。
なんとなくそう思ったのだ。
そして、消えかけの闇から小さく最後の声が聞こえた。
「犯罪を犯そうが、反則をしようが貴方にまた会いに行きますよ。主様、どうか御心配なさらずに」
その声が途切れた途端俺の視界は開け、目の前には白衣に濡れた榊の葉を持った己己己己が立っていた。
「やあ、灯夜君。お目覚めかい」




