034:『暗闇』
こんな筈じゃあなかった。こんな事になるなんて想像もしていなかった。
想像していなかったし、何でこんな事になったのかすら分からない。
分からないけれど、俺が今置かれている状況は、少なくとも良い状況ではないという事くらい、今のこんな身動きが取れない俺にだって分かる。
それにしても暗い。此処は何処なのだろうか。
俺は何処かに監禁でもされているのだろうか。もしかしたら、もう既にこの世にはいないのかもしれないな。
否――この世とは生きている時の現世の呼称であって、この場合はあの世がこの世で、この世があの世になるのか。
ん? この世が今の俺にとってのこの世であって、ならば、あの世は今の俺にとってのあの世なのか?
いや――この世だとかあの世だとかどうでもいい。今俺が居る世界が俺にとってのこの世なのだから。
そんなことは死んだのが確定してから考えればいい。今はこの状況を把握しなくてはいけない。
とは言っても、手は動かないし足もピクリともしない。顔は動くものの、動かしたところで辺りは真っ暗で何も見えやしない。
まるで全ての色が無くなってしまったかの様に。
神社の階段を下って行ったみのりちゃんを見届けたところまでは記憶があるのだが、それ以降、それから今までの記憶が無い。記憶を黒塗りにされたみたいに何も思い出せない。
本当に俺は死んでしまったのかもしれないな。
予期せぬ突然死――俺は偶発的に、偶然的に、突発的に、偶然に死してしまったのかもしれない。
『偶然なんてこの世に存在しない。偶然の様な事だって全ては思惑で、意味のある事。良い事も悪い事も、全ては自分の今までの行い通りに返ってくる』
己己己己――あいつなら、あのチャラそうで頭の良い神ならば、きっとこんな事を言うのだろが、それはこの世での話しで、その法則はあの世では通用するのだろうか。
通用するかもしれないが、そうではないかもしれないだろう。
もしもこの状況の俺が死んでいないのだとして、己己己己の言う法則が正しいとすると、俺はこの状況をどう理解すればいいのだろうか。どんな風に悟ればいいのだろうか。
確かに、今までの俺の行いは、良い事ばかりとは思えないが、取り立てて悪い事も見つけられないのだが。
そんな脳内思考を繰り広げていると
「悪い事というのは、悪気がないのが何よりも質が悪いものですよ」
と、暗闇の中から女性の声だけが聞こえてきた。
その声はどこか投げ遣りな、面倒くさそうな感じに聞こえてしまう様な声。面倒くさそうで、何かに呆れている風な喋り方だった。
「だ、誰だ」
「誰って、此処には貴方しか居ませんよ。貴方以外には誰一人としていないです」
真っ暗闇の中を、動かせる顔と目を駆使してキョロキョロと見渡してみてもやっぱり何も見えない。
何処からともなく声だけが響いている。声の響き方から推測するに、俺の今居るこの空間はそんなに広い空間ではなさそうだ。
「俺が居るのは分かってるが、お前はいったい誰なんだ」
「だから、さっきから言っているではないですか。この部屋には貴方しかいませんってば。何度も言わせないで下さいよ。本当に物分りが悪いんだから」
こいつのこの呆れた風な物言いは、どうやら俺に向けての呆れからくる言い方の様だ。
だが、俺が何をしたっていうんだよ。
この空間に俺しかいないと言うのが正しいとして、じゃあこの何処からともなく聞こえてくる声の発生源は何処なんだよ。スピーカーかなんかを通して別の空間から俺に話しかけているのだろうか。
まあ、そうなのだろう。この空間には俺しかいないのだから、俺以外の声が聞こえてくるのだとすれば別の空間からの声でしかない。
「私は此処に居ますよ」
「う゛ぁ゛ーー!!」
俺は驚いた。というのも、右の耳元でいきなり声がしたのだ。
「すみません。キッキョウさせてしまった様ですね」
はははーと声の主は甲高く笑った。声は笑う時のそれではあるのだが、どこか言葉に感情がこもっていない様に聞こえてならない。
この暗闇の中では顔を確認する事は出来ないが、おそらく顔は笑っていないのだろう。女の声はそんな声、そんな物言いだった。
「キッキョウ?」
「ああ、すみません。吃驚という漢字をビックリではなく、キッキョウと読んでしまいました」
「いや、別に吃驚だったら、キッキョウでも間違えではないだろう。まずそんな読み方する奴はいないだろうがな」
こいつは台本でも読んでいるのだろうか。いや、こんな暗闇で何かを読もうなんてそんな事は常人の為せる業ではない。ならばこいつはいったい何者なのだろうか。
話しを整理しよう。
まず、暗くて狭いであろうこの空間には俺しか居ない。そして耳元で話せる距離には確かに、少なくとも女が一人は居た。
そしてこの女は、こんな暗闇の中で何か台本の様な物を読んでいた。
いったいこの女は誰なのか。
「しょうがないなあ、ヒントです。今回だけ特別ですからね。甘やかしは今回までですからね。次からは辛辣な態度で貴方に臨みますから。辛辣で以て痛烈な態度で、完膚無きまでに叩きのめして、傷口にNaClを揉み込んでやりますから」
「そんなに厳しい表現を並べなくてもいいだろう!! 次回からどんだけ俺に厳しいんだよ!! それに傷口に塩だろうが!! わざわざ塩を化学式で言わなくていい!!」
と、俺の見事なまでのツッコミには一切の反応を示さず、女は無言のままヒントをくれた。
そのヒントは音と衝撃のみのヒント。一切の声を発さずに行動のみで俺にヒントをくれた。
女は俺の左頬にビンタを食らわせた。
そして女は、コツコツと靴の音を伴いながら身動きの取れない俺の周りをグルグルと回り、今度は左側に止まった様だった。
「結論が出た様ですね」
左側に止まった筈の女のその声が、何故だか右の耳から聞こえてきた。
今更何が起きても俺は吃驚なんかするもんか。
「ああ出たぜ。全く笑えてくる」
この状況を理解したら本当に笑えてきた。今までの思考がばかばかしい。
女がどうとか、声の発生源とか本当にどうでもいい。
暗闇が理解出来さえすれば全ては解決した。
女のビンタによって全ては解き明かされた。
「やっと理解しましたか。本当に時間が掛かりましたね。まったく」
それもそうだ。こんな事に初めから気付いていたら、どんな物の考え方をしているのか神経を疑いたくなる。
でも全て理解した。今の状況を。
ビンタをされて俺は思った。
『ああ、そうかそうか、成程成程、笑えてくるぜ本当に』
何も見えなくて当然だった。
だって俺は――目を瞑っていたのだから。




