031:『天手力雄神』
どんな人生を送って来たのだろう。どんな神生を送って来たのだろうか。どんな神と出会ったのだろうか。
どんな事を経験すればこんな悲しそうな、とても辛そうな顔をするのだろうか。
日本人とは感情を表へ出す事を恥とする種族なのだとどこかで聞いた事がある。
少女はそんな恥を表へ出さないように一生懸命堪えたのだろう。頑張って泪を堪えたのだろう。精一杯自分を演じたのだろう。
「死ねよ」そんな風に俺を殺そうとしたと思ったら、今度は自分を殺せと言う。
そんな良く分からない少女の事を俺は何も知らない。
いったい少女は俺の事をどうしたいのだろう。いや――殺したいのだろう。
赤として、赤の化神としての少女ならば。
じゃあ、少女、少女自身として、燃え盛る赤としてではなく、短髪のいかにもスポーツ万能少女として、可愛い系とか綺麗系とかとは違う格好良い系の一人の人間の少女として、俺をどうしたいのだろうか。
そして俺は、この少女をどうしたいのだろうか。
退治したいのだろうか。もしくは赤の化神としての少女の為すがままに殺されてあげて少女の目的を達成させてあげたいのだろうか。
どっちにしろ少女は助ける事が出来るのかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。
少し前に俺は敗北を認めた筈なのに、それなのにこうして、襲い来る少女から全速力で逃げた。それは俺が生きようとしたから。死にたくないと、皆と居たいと思ったから。全力で今を生きたから。
その結果少女の泣き顔を見る事となった。
この結果は、少女の本音を聞けたという点では良かったと言えるだろうが、戦いづらくなったという点では悪かったとも言えてしまう。
でも、聞いてしまったものは聞いてしまったのだから、今更どうにも出来ないし、どうしようとも思っていない。
結果が良かろうと悪かろうと、過ぎたものをどうにも出来ない。反省は結果を生むが後悔は何も生まない。
少女の泪を見たからというのも少なからずあるのだが、むしろそっちの方が多いのかもしれないが、俺はこの娘を救いたいと、今まさに本気で思っている最中なのだ。
どうやってこんな身軽な重機の様な少女と戦うかなんて、良い作戦が思い浮かんだなんて事はないのだが、そんな事は全くないのだが、俺はこの娘を救う。絶対に、なんとしても、助けたい。
苦労の後にある幸福は苦労を凌駕するという事を知っている俺は、なんとしてもこの娘を笑顔にしてあげたいのだ。
「その願い、しかと聴き届けた!!」
俺に殺してくれと、泣きながらお願いした少女に、俺はそんな風に答えた。
「ありがとう・・・ ありがとうございます・・・」
少し落ち着いたのか、少女はまだ声が震えてはいたのだが、今度はちゃんと耳で、音で聞き取れた。空気の振動として、音波として俺の鼓膜を震わせた。
泣き顔のまま「ありがとう、ありがとう」と、必死に作った笑顔で何度も、震えながらそう言う。
そしてそのまま、女の子座りで地面に崩れ落ちる。
「しかと聞き届けたうえで――断る!! 神様にだって叶えられない願いもあるんだぜ!!」
少女は下を向かせていた顔を上げながら言う。
「何で?! 何でなの?! このままじゃあ私・・・」
少女が話し終える前に俺は言う。
「願い事は一つだけだ。最初の願いを叶えてやろう」
照れくささを抑え込んだ様な、苦笑いの様な、そんな顔でそう言った俺の顔を少女ははっとした様な顔で見つめてきた。
『何だ、可愛いじゃあないか』
さっきの笑顔もいいが、今の顔はもっと良い。そんな顔も出来るのか。
どんな大変な人生を送ってこようと、どんな辛い神生を送ってこようと、この娘はこの娘であって、他の誰であってもこの娘が経験してきた過去を変えられないし変える事は許されない。
どんな人生でもそれがこの娘なんだ。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、愛しみも、憎しみも、全部揃ってこの娘なんだ。どれかが欠けてもこの娘じゃないんだ。
驚いた様な顔をした少女はその後、泣き顔のまま精一杯の笑顔を見せてくれた。
それから、またも少女が変わる。赤――それに。
全てが、モノクロが、赤に呑み込まれていく。
「全く、無責任な野郎だな」
少女の口調が急に変わった。男とまでは言わないがその声は結構低い。
ハスキーと言った感じだろうか。騒いだり泣いたりと大声を出し過ぎた結果の声なのだろうか。
兎に角、少女はそんな声で話し始める。
「お前は・・・」
「ああ、俺か? 俺は天手力雄神、赤の化神。お前と同じ神の一人だ」
納得がいった。何でこの娘がこんな重機の様な力を有していたのかが。
天手力雄神――力の神。
どおりで重機の様な力をもっている訳だ。
ん?
ところで俺はこの知識をどこから得たのだろうか。こんな知識は学校では聞いていないし・・・
いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。
ようやく赤と、赤としての少女との意思疎通がかなったのだ、今は一番訊きたい事を訊こう。
「お前は俺をどうしたいんだよ? その少女に乗り移ったのか何なのか知らないが、その体でお前は俺をどうしたいっていうんだよ?」
「そりゃあ殺したいねぇ、やっぱり。でもそれは俺の願いではないがな」
それはつまり、少女自身の願いなのか。
俺が少女にどんな恨みを買ったのか全く分からないのだが、殺したいと思う程の恨みとあればそれ相当の恨みなのだろう。
「この娘は俺にどんな恨みがあるんだよ」
「どんな恨み? そこまでは記憶があやふやで知らないが、何かを奪われたとこいつは記憶している」
俺が何かを奪った? この娘から何を取った。そんな記憶俺には無いが。
もしかしたら俺の記憶外、失った記憶の中の出来事・・・なのかもしれない。
そんな事を考えていて、俺は自分で質問をしたくせに天手力雄神の返答を無視して無意識で無言になってしまっていた。
「そんなこんなでお前を殺さなくちゃいけないんだ。悪く思うなとは言わない。悪く思ってくれても構わない。まぁ、お前がどう思おうと俺がやる事は何も変わらないからな」
「俺を殺したらその娘の奪われた物は戻ってくるのか? その娘は救われるのか?」
「いや、知らね。でも、やってみなければ分かんないだろう」
そうなのかもしれない。もしかしたら俺を殺せば少女の奪われた物が取り戻せるのかもしれない。
一瞬そんな考えが脳裏に浮かんでしまった。
『俺が殺されてあげればもしかして』そんな事を考えてしまっていた。
もしも少女が俺を殺したいとして、じゃあ何で俺に殺せと頼んだのだろうか。奪われた物を取り返すのに自分が殺される必要がないだろう。
「なあ」そんな風に天手力雄神は俺に質問を投げかける。
「なあ――お前はいつからお前なんだ」
全く意味が分からない。
いつから俺が俺だなんて、そりゃあ産まれた時からなのだろうが・・・
そういえば、俺はいつから俺なのかが分からなかった。答えられなかった。
たしかに、産まれた時を記憶している人なんてまずいないのだが、そんな事ではなく、もっと簡単な事、もっと分かりやすい事だった。
そもそも俺は誰なのか。もっとも、俺は黒峰 灯夜なのだろうが、それが分からない。
黒峰 灯夜がちゃんと黒峰 灯夜であるのかが分からないのだ。
自分を構成するものが記憶なのだとしたら、記憶というものが己を己だと証明するものなのだとしたのなら、俺は自分を証明出来ない。
自分を自分だと認識出来ない。
気付いたら俺だった。気が付いたら俺をやっていた。ただそれだけであって、俺には俺を俺だと証明する為の記憶が足りな過ぎる。
自分を留めておく為の囲いが低過ぎた。
記憶を失う前の俺と、記憶を失った後の今の俺が同一人物であるのかすらも分からない。
もしかしたらば、前の俺が本物の俺で、今の俺が偽物、偽りの自分なのかもしれない。
こんな俺の考えが伝わったのか、俺が無意識で考えを口に出してしまっていたのか。
「そんなのどうでもいいから死んでくれ」
そして俺は赤に、燃え盛る真赤な炎に全身を包まれた。




