029:『赤』
「死ねよ」
気付くと俺は見知らぬ所に居た。
否、見知らぬ所なんかではない。むしろ知っている。知りすぎている。此処は神社の麓、長い階段を下り終えた所。なぜ俺はこんな所に居るのだろうか。
そして、この少女は誰なのだろうか。
呆然と立ち尽くす俺の前には、こちらを鋭く睨み付ける一人の少女が立っていた。
俺を、あたかも親の仇でも見る様な鋭い目付きで、女子にしては短めの髪型、そのショートヘアの前髪の下から俺を睨み付ける一人の少女。いったいこの少女は誰なのだろうか。
心当たりが全くない少女から睨み付けられるだけでも、穏やかではいられないというのに、睨み付けられた挙句に「死ねよ」と、そんな事まで言われた。
投げ捨てるかの如く、唾を地面に勢いよく吐き出すかの如く、そんな言葉を俺は少女から言われた。
「ちょっ!! ちょっと待てよ!! 君は誰なんだよ」
「黙れ...」
威嚇する大型犬の唸り声の様にそう言うと少女は、俺の言葉なんか聞くこともなくズシズシと、早歩きで地面にめり込むんじゃないかという程の力強い足取りで俺に迫って来るや否や、俺の頬を握りしめた右の拳で殴りつけた。
「い゛ぃ゛っってぇーーー!!」
この力、絶対にこいつ、少女なんかじゃあない。人間の力にすら思えない。
少女に殴られた俺は普通に吹っ飛んだ。トラックに撥ねられたのかと思う程に。
意識が遠のいでいく中、ようやく開けた薄目で少女を見ると、少女は――燃えていた。
何の為なのか、もしかしたらボクサーなのかもしれないが、少女の手は包帯でグルグル巻きにされ、その包帯グルグル巻きの手が勢いよく燃えていたのだ。
燃え盛る炎を見て気付いた事があった。さっき何故俺が、いつも見ている景色を見知らぬ景色だと勘違いしたのか。
それは、色が違かったから。火の色、燃え盛る炎の色、俺はこの色を知っていた。
その色は――赤
さっきの見知らぬ景色だと勘違いをしていた時の景色の色は、一面赤だった。だから俺は、あの景色を知らない景色だと勘違いをしてしまっていたのだろう。
そして俺は気を失った。
次に目覚めたのはボロボロの境内の中。境内の中に敷かれている布団の上で俺は目を覚ました。
「やぁー灯夜君。よく眠れたかい? 変な夢でも見なかったかい? 凄くうなされていたから心配したんだよ へへっ」
目覚めた俺の前には、己己己己が片膝を立て、手には火の付かない煙草を持ち、ボロボロの床に座ってこちらを眺めていた。
「さっきのは夢...」
言いかけた所で、いつもの様に己己己己は俺の話しを遮り言う。
「夢なんかじゃあない」
更に己己己己は続ける。
「君は負けたんだよ。一発KO、華麗な負けっぷりだったよ。いやー本当に華麗で綺麗な負けっぷりだったよ。 へへっ」
見事な負けっぷりならまだしも、華麗な負けっぷりって何だよ。負け方に華麗も綺麗もあるか。
「なぁ己己己己?」
「なんだい灯夜君?」
「あいつは誰だったんだ」
己己己己はツンツンでビンビンな頭をガシガシと掻きながら俺に背を向け立ち上がり、手に持っていた煙草に火を付けた。
「赤」
顔だけでこちらに振り返った己己己己は一言そう言った。
「赤?」
「そう、赤。さしずめ、赤の化神、属性は火と言ったところかな」
「火属性... だからあの少女は燃えていたのか」
己己己己は体全体でこちらに振り向くと口から煙を吐いた後、ニヤリと笑い言う。
「なんであの娘の事を少女だと思ったのかい?」
人の話しを遮る癖のある己己己己ではあったが、今回は俺の返答を待っていた。
「だってあの娘、俺らと同じ制服、私立上神高校の女子制服を着ていたじゃあないか」
「へへっ 灯夜君はやっぱり凄いね。だってあの娘はウィンドブレーカーを着ていた。ウィンドブレーカーとは言っても着ていたのは上着だけだがね。と、言うことは灯夜君、君はスカートだけでどこの制服か当てたってことさ。いやー流石だよ」
確かに、俺の通っていた私立上神高校の女子制服のスカートには、裾の辺りにぐるっとスカートを一周する様なラインが一本入っているという特徴があるが、そんなスカートのラインだけで学校を判断するのは軽率過ぎるとは思う。
しかし、俺にはそのスカートが上神高校の制服であるという自信があるのだ。
なぜならば、制服のスカートにはプリーツが施されているのが基本で、そのプリーツの数は24本、あるいは28本が一般的だと言われている。32本や36本といったプリーツが多めの物もあるが、上神高校の女子制服のスカートのプリーツは40本、とかなり多めなのだ。
上神高校のスカートの主な特徴を挙げると、スカートの裾の辺りにぐるっと一周するライン、プリーツ40本、車ヒダである。
そして少女の穿いていたスカートがまさにそれだった。だから俺は高校生、少女だと判断したのだ。
勿論、スカートだけを見ていた訳じゃあないのだ。
俺を睨み付ける顔も、よく見ると幼かった。大体高校生位かなと推測したのだが...
今更何を言おうが俺がスカート好きだというのは、もうばれてしまったのだが...
まぁ、こんな説明を全て己己己己にする訳もなく、必要な所だげを拾って説明をしたのだが、流石は己己己己だ。「灯夜君がスカートフェチというのは十分伝わってきたよ」と、言われてしまった。
「スカートのストーカーだね」とも言われたが、そこにはあえて触れないでおく事にしよう。
己己己己にばれた以上、もう隠す理由もないと、俺はやけになって日記にまでこんな事を記してしまっている。
「それにしても何故あの娘は俺に止めをささなかったのだろう」
「止め? ささなかったのじゃあなくて、させなかったが正しいね」
「どういう事なんだ?」
「僕がさせなかった」
己己己己の話しによると、少女は、俺が意識を失った後に、燃え上がる拳で止めのパンチを食らわせようとしていたらしいのだ。
そこに己己己己が駆けつけて俺を守り、驚いた少女は逃げて行ったとの事だった。
「礼を言わなきゃな。己己己己あり...」
またも己己己己は最後まで言葉を言わせてくれず、俺のお礼の言葉を遮り話しだした。
「おいおい灯夜君、お礼なんてよしてくれよ。僕は君を救ったんじゃあない」
「ん? それは...」
「僕自身を救ったのさ」
「悪い己己己己、俺の幼稚な脳みそでは理解が難しいのだが...」
「へへっ そのままさ。言葉通りの意味だよ。僕は僕を救っただけさ。深く考えなくていい」
よく分からない。やっぱり己己己己の思考にはついていけない。俺が馬鹿なのか、はたまた己己己己が変わり者なのか。おそらくは前者であろう事は間違いないだろうが。
そして己己己己は、ちょっと用事があると、一旦は俺に背を向けたがもう一度振り返り「お守りだ」と、何やら砂粒が入った袋を俺に投げてきた。
「困った時にきっと役立つよ」
「これはいったい...」
「舐めてみなよ。毒なんかじゃあないから安心しな。まぁ神に毒は効かないのだけれども へへっ」
全く笑えない...
袋を渡すと己己己己は、境内正面の階段を下り、神社を後にした。
ところでこの砂粒はなんだろう。と、俺は一つまみを舌の上に乗せてみる。
「うっっ!! しょっぱい!!」
袋の中身はどうやら塩の様だった。
これでお浄めでもしろってか...
それから、俺を襲った少女を思い出す様に空を見上げ考えた。
やっぱりあの娘気になるな...
神社の裏手、蔵の様な俺達が暮らす神室からは、いつもと相変わらず元気な話し声や笑い声が聞こえてくる。
早く皆の元に帰りたい気持ちもあるが、俺はどうしても気になり、事故現場と言うべき神社の麓へ向かった。もうそこに少女はいない。知っているがどうしても行きたいのだ。
ようやく階段を下り終えたが案の定少女の姿は無く、何がある訳でもなくいつもとなんら変わらない。
まぁそうだよな...皆の所に戻ろう
俺は、振り返ると、今下りてきた階段に一歩目を乗せた。
ん?
いつもとの違いを感じ、俺は空を見上げた。
夕暮れ? 赤という色を思い出したお蔭で、夕暮れとは赤い空だという事も思い出した。
だが、夕暮れにはまだ早い筈なのだが...
「死ねよ」




