028:『みのり』
神は乗り越えられない壁は与えないとは言ったものだが。俺自身、いや、俺自神が神になり思ったのだが、人生、神生で行き詰まる、生き詰まる壁というものは、神が与えるものではなく、そんな無責任な障害なんかではなく、己自身、己自神の歩み方によるもの。自分の生き方、行いによって生じる障害なんだと。
-乗り越えなくてはいけないものは乗り越えなくてはいけないのだ-と。
「別に、絶対に乗り越えなくてはいけないなんて事はないのでは?」
ん?
「えっと...」
「嫌だなぁ先輩。灯夜先輩。もしかしてなのですが、私の事をお忘れになられましたかね? こんなに一緒に居たのに。もぉ、ずっと一緒にいたじゃあないですか。私ですよ。本当に忘れたのです?」
いきなり現れた少女は、俺の通っている、もとい、通っていた、俺が神ではなく人間だった頃に通っていた私立上神高校の女子制服を着て、スカートの前で手と手を組む様にしてそんな事を言った。
私と言われても思い出せない。俺はこの娘の事を知っている筈なのだけれども、何かが噛み合わない。歯車のサイズが微妙に違っているかの如く噛み合いが悪い。歯車よりもパズルのピースに例えた方が分かりやすかっただろうか。
気持ち的に、心的にはこの娘の事を俺は覚えていると思うのだけれども、記憶的に、記録的に、データ的には覚えていない。
パズルのピースで例えるなら、上手くはまったのにそのピースは周りの絵に合わなかった様なそんな感じだ。
しっくりこないというのか、上手く当てはまらないというのか、収まりが悪いというのか、まぁ、そんなふわふわした様なギスギスした様なよく分からない感じだった。
こんな具合の悪そうな娘を俺は知っている様で知らない。具合悪そうな顔色をしているにも関わらず、こんなにも満面の笑みをうかべる女の娘を、俺は知っている様で知らない。
そう、俺はこの娘の事を知っているのかもしれないが、それすら知らない。
俺はこの娘を知っているのかも-知れない-のだ。
「えっと... 君は...」
「嫌だなぁもう... どうしてこうも忘れやすいのかなぁ灯夜先輩は。どうしてこんなにいやらしいのかなぁ」
「いや、俺が忘れていたというのならば謝るが、いやらしいというのは謝らんぞ。そんなセクシャルハラスメント的な行動、言動は行っていない。それに関しては絶対の自身がある。それに関してのみ、俺は自負心があるね」
「ははっはははははっ」
俺の前に現れた少女は腹を抱え甲高く笑った。しかし笑っているのは声と行動だけで、少女の顔は全く笑っていなかった。
無表情――全く以てそれであった。
無表情で腹を抱えて笑っているにも関わらず、顔は、顔だけは別の意思があるかの如く、彼女の表情筋はピクリとも動かなかった。
そして、その無表情から繰り出される甲高い笑い声に、俺は少女が笑い終えた後も呆気にとられて、どんな反応をすればいいのか、そっとするべきなのか、つっこむべきなのか、そんな事を考えて、少女と俺の会話に少しの間が生まれてしまった。すると少女は再度口を開く。
「やっぱりいつ話しても灯夜先輩はユーモアがあるなぁ。本当に尾も白いなぁ」
ん? 今の発音じゃあ尾も白いになるけれど、とは思ったのだが、おそらくは面白いの発音ミスなのだろうと、そこには触れない。
「なぁ、俺の記憶では君に会うのはこれが初めてだと思うのだが」
ひょいと少女は神社の階段を登り終えた所から境内へ続く石畳のちょうど中間の辺りから真横に派生する飛び石を飛び、スカートを翻しながら180度こちらに振り返り、こう言った。
「みのり」
「ん? みのり?」
「先輩が忘れている様なので... 私の事です。それが私の名前です」
「あぁそうだ、みのりだ、みのりちゃんだった」
俺は何故か忘れていた。みのりちゃんの事を。でも思い出した。
思い出したとは言っても、この娘がみのりちゃんだという事だけであって、みのりちゃんが何者なのか、それは全く思い出す事はできなかった。
みのりちゃんの苗字はなんだったっけ。何、みのりだったっけ。
分からない。
「それは少しばかり変です」
「何が変だって言うんだよ、みのりちゃん」
「それが変なのですよ。変態なんですよ灯夜先輩は」
変態って... いつだか妹の胸を事故で揉んでしまった事を思い出してしまった。黒の化神だけに俺の人生、もとい、神生の黒歴史である。
別に上手くもない事を俺が考えている間にみのりちゃんは話出す。
この娘は人の返答を待つのが苦手な様だな。
「灯夜先輩は『みのり』について勘違いをしていらっしゃり候」
「そんな敬い方をするな!! 候の無駄遣いはやめろ!!」
自分で言ったものの候の無駄遣いって何だろうか...
候の乱用などあるものなのだろうか。
「やっぱり灯夜先輩は面白いなぁ。みのりは私の名前ですよ。呼称ではなく、文字通りの名前」
「呼称? 名前? どっちも意味は同じだろう?」
はぁ、とみのりちゃんは溜息と共に肩を落とす。
よく見ると胸のポケットの所にⅠ-Bと書いたバッチが付いていた。
一年生、という事は美月や景の一つ下の学年になるのか。そういえば俺も一年の時はB組みだったっけ。
バッチの下にある筈のネームプレートがみのりちゃんには付いていなかったので、みのりちゃんの苗字は依然として分からないままだ。
「灯夜先輩は面白いけれど、頭が悪いですよねぇ。頭が悪いし鈍いですよねぇ。でも、やる時はやっちゃうんですよねぇ。そして、やり過ぎてパンクする。いつもじゃあないですか。ちょっとは学習して下さい」
そして、みのりちゃんは、もっとと話し始めた。
「もっと__自分を大切にして下さいよ」
よく分からないけれど、この短期間に馬鹿にされたり、褒められたり、叱られた。
そして俺の返答を待つことなく、みのりちゃんはまた話し出す。
「話は変わりますが灯夜先輩、今は何中心の世界だとお考えですか?」
本当に話が変わりすぎだよ。いきなり何なんだ。
おそらく人の返答を待つのが苦手であろうみのりちゃんも、この質問に関しては俺の答えを待っていた。
腰に手を当て早く答えろと言わんばかりだ。
「何中心って... 自己中心とか...」
「ほぉ、灯夜先輩もたまには正解を言うんですねぇ」
当たったらしい。何中心と訊かれて、よく聞く自己中心と、当てずっぽうに答えてしまったが、有ろう事かそれが正解のようだった。
そして今度は、俺が話し出す前にみのりちゃんは話しだした。
「古代-中世-近代と人類の今までを三分割した時に、古代は自然中心、中世は神中心、近代は人間中心、つまり近代は自己中心的という事ですよ」
「それがどうだって言うんだよみのりちゃん」
「愚か」
みのりちゃんは一言だけ言うと、飛び石をぴょんぴょんと二段飛び、再度こちらへ振り返り言う。
「自然や神への感謝を忘れ自分一人で生きてきたとでも思っているのでしょうかねぇ。本当に愚かだ」
と言うとみのりちゃんは、飛び石をぴょんぴょんと飛び跳ねて行った。
「みのりちゃん!!」
「何でしょう灯夜先輩?」
と、俺から随分と離れた所から首だけで振り返った。
「何処にいくんだよ?」
「何言っているんですか灯夜先輩。帰るんですよ。夜が来てしまいますし。少々遠回りして気付かれない様に帰らないといけませんからねぇ。心配しなくてもまた会えますよ。そうしないと始まりませんし終われませんからねぇ」
と、みのりちゃんは、またもよく分からない事を言っていなくなってしまった。




