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026:『お帰りなさい』

 こうして日記を書くのはいつ以来なのだろうか。過去の記憶を失っている私が今まで日記を書いた事があるのか。私自身の事なのに私はそれを知る事さえ出来ない。

 

 清春 景。私の名前。私立(しりつ)上神じょうしん高校、二年五組、出席番号二十七番。

 

 私は、私の事を語る資格があるのだろうか。私は、私を、私として語る権利があるのだろうか。

 

 私は...ちゃんと私なのだろうか。


 私は、私として私を認識しているつもりではあるのだが、失った記憶も灯夜殿と美月殿のお陰で少しは戻ってはきたのだが、まだ全ての記憶が戻ってきたわけではない。

 自分が消える前、人間だった頃の記憶がまだ戻ってこない。

 過去の記憶がない私を、私は、私と言っても良いものなのだろうか。

 本当は記憶を失う前、人間だった頃の私が本来の私で、今の私は偽りの私。偽物であって偽者なのかもしれない。

 今の私を偽者だと考えるのは安易な考えなのかもしれないが、今の私を本物で本者だと断定するのもまた、安易な考えだろう。


 私がこんな事を考えるきっかけになったのは彼女との会話だった。

 彼女、私は彼女の事を良く知らない。最近出会った様な気がするのだが、今までずっと一緒にいた様な気もするのだ。

 彼女の事を凄く知っている様な気がするのだが、やっぱり知らない。

 結局のところ何も分からない。知らないのだ。

 しかし、彼女曰く私達はずっと一緒にいたらしい。


 

 「景先輩、お早う御座います」


 「あぁ、お早う。えっと...」


 「やだなー景先輩。私の名前を忘れてしまったんですか? 『ミヤ』ですよ。私の名前は『ミヤ』しっかりして下さいよ。お母さん」


 ん?


 「これは失礼した、ミヤ君。しかし、お母さんとは何の冗談のつもりだ? 私はそこまで歳はとっていないのだが」


 「おっと、すみません。いつもの癖で...気にしないで下さいな」


 この娘はどんな癖を持っているのだ。一つ歳上の先輩をお母さんと呼ぶ癖など聞いたことがない。

 もしかしたらば、複雑な家庭環境で育ったのかもしれないな。そこにはあまり深入りはしない事にしよう。

 

 彼女は自分の事をあまり話そうとはしない。前に訊いてみたのだが、苗字を教えてくれなかった事があった。苗字どころか『ミヤ』と言う名前の漢字すら教えてくれなかった。

 そのくせ人には質問ばかりしてくる様な娘だ。


 「時に景先輩。今は何をされているのですか? こんな山奥で、山奥の細道で?」


 いや此処は細道と言うよりは獣道の様な道なのだが...まぁ、細い道には変わりはないのか。


 「今日の食事に使う食材を探していたんだよ」


 「あぁ、そうでしたか。これは失礼。お邪魔をしましたね」


 「いや、邪魔ではないよ。私もちょうど話し相手が欲しかったところだったからちょうど良かった」


 「それなら良かったです。では、そんな先輩に雑談を一つ提供しましょう」


 「ん? どんな雑談だい?」


 「先ほど『邪魔』という言葉が会話のモナカに出ましたが...」


 「モナカ? お菓子のモナカの事を言っているのか?」


 「おっと、読み方を誤ってしまった。訂正します。モナカではなく最中です」


 この娘はどんな間違えをするんだ。最中をモナカと間違えるなんて...確かにモナカとも読んでしまうが、お菓子だからというわけではないのだが、会話でそんな間違いは可笑しいだろう。そんな間違い方には無理がある。

 この娘は台本でも読んでいるのだろうか。


 「まぁ、間違いは誰にでもあるものだ。それで、『邪魔』がどうしたんだ?」


 「『邪魔』とは凄い言葉だとは思いませんか?」


 くるっと、真黒な短い髪と学校の制服のスカートをはためかせながら、その場で、さながらフィギュアスケートの選手の様に華麗に回って見せ、ミヤはそう言った。


 「何が凄いと言うのだい?」


 「だって、考えてみて下さい景先輩。『邪魔』って邪悪な魔と書くのですよ。これほど人々に忌み嫌われる人物とは、むしろ凄いとは思いませんか?」


 「いやぁ、そこまで深く『邪魔』について考えた事はないのだが、それほど嫌われた人がいたからそんな言葉が出来たのだろうな」


 「人ではなくて神かもしれませんけれどね。人物じんぶつではなく、神物じんぶつなのかもしれませんよね」


 何を言いたいのかが分からない。でも、ミヤ君は何か意味があるかの様な、そんな顔で話したのだった。真白な、血の気のない様な、病気でも患っているかの様なそんな色をした顔ではあったのだが、具合が悪そうにも見えず、むしろ元気いっぱいな笑顔で、それでもってどこか怪しげな感じだった。

 難しい。この娘との会話は本当に難しい。

 何でも知っている風に話すミヤ君ではあるが、本当は何を知っていて、なにを知らないのか。

 私からすればそんなミヤ君の全てが謎なのだ。

 

 「なぁ、ミヤ君?」


 「何でしょう景先輩?」


 「君こそこんな山奥で、山奥の細道で何をしていたんだい?」


 「私の事はどうでも良いのですよ。それより景先輩は自分の過去についてどうお考えですか?」


 話しを変えられた。やはりこの娘は自分の事を聞かれるのが得意ではない様だ。


 「過去なんてただの思い出としか考えた事がないな」


 「思い出...では、その思い出とは誰の思い出での事でしょうか?」


 「それは...自分の、私の思い出の事なのだが」


 「それは本当に自分の思い出なのですか? 過去の記憶が無いのに、過去を知らない自分を先輩は本当に自分だと言えるのですか?」


 何でだ。この娘は何で私が過去の記憶が無いと知っているのだ。そんな事教えた覚えはない。


 「ミヤ君、君は何故私が過去の記憶を失っていると知っているのだ?」


 「おっと、これはまた失言してしまった。私はまだ先輩の過去を知らない事になっていましたっけ。失礼しました。この話は忘れて下さいな」


 「忘れれる筈がないだろう。もう聞いてしまったのだから。君は何を知っているんだ?」


 「私は何も知りませんよ。景先輩に聞いただけです。先輩が失ったという過去にね」


 この娘は何を言っているのだ。私の失った過去だと? じゃあ、私はこの娘と過去に会っていたというのか? だから知っている様な知らない様な、私にとって彼女は、そんな不安定な存在なのか。


 「景先輩。何も心配しなくても大丈夫ですよ。今日辺りに返ってくると思いますから。まぁ、代償として失う物もあるでしょうけどね」


 「何の事なんだミヤ君? 返ってくるとは何の事だ? 失うとは何をだ? 私はもう失いたくないのだ。これ以上何も失いたくない...」


 「そんな都合良くはいきませんよ。何かを得るには何かを失う。まぁ、何を誰が失うかは分かりませんけれどもね。何かを得た本人が何かを失うとは限りませんしね。それに、失うのは一人とも限りませんよ」


 「どういう事なんだ? ミヤ君教えてくれ!!」


 「そう焦らないで下さいよ先輩。明日の朝には分かりますから。分かるとは言いましたが、それを先輩が理解しきれるか、それは分かりませんがね。でも心配はしなくても良いとは思いますよ。なんたってあいつは、【お人好し】ですから」


 ミヤ君の瞳は吸い込まれる程黒く、漆黒というほどに黒い瞳だった。

 

 ミヤ君の言っていた『返ってくる』というのはこの事だったのかは分からないが、『失う物』と言っていたものが何なのか、それははっきりと、目に見える形で分かった。


 私は失った。全身に自らの手でもって刻んだ無数の傷跡を、私は失った。


 ミヤ君と話しをした日、私は夢を見た。

 それは、私が失っていた過去の記憶。

 その夢を見た時、私は、私を、私だと確信した。

 その夢は、紛れもなく私の過去の記憶だった。

 幼い頃の記憶から、虐めを受けてきた記憶、そして、人ではなくなった時の記憶。

 私は全てを思い出した。走馬灯の様に思い出した。ただ一つを残して。


 人ではなくなった日、私は神社にいた。その神社とは、私達が暮らす蔵の様な神室が佇むこの神社の事。

 この神社で私は手を合わせ願った。


 【消したい】と。


 その時、ボロボロの境内の中から一人の人が現れこう言った。


 『その願い引き受けよう』


 言ったとは言ったが、その言葉は耳で聞いたというよりは流れ込んできた。私の中に言葉が入ってきた。そんな言葉だった。

 その人が神様だったのか人間だったのか。子供だったのか大人だったのか。男だったのか女だったのか。唯一それだけが思い出せなかった。

 

 でも、それ以外の記憶はちゃんと戻ってきた。

 確信とまではいかないにしろ、ミヤ君の言っていたのはおそらくはこの事だろう。


 私の記憶が返ってきた。


 私に私が返ってきた。


 お帰りなさい私。

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