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黒い鳥  作者: 晨暉悠翔
1/3

前篇

「黒い鳥の話を、知っているかい?」

 ジュン兄は、唐突に尋ねる。オセロの四隅を全て黒にされ、頭を抱えていた僕は、ジュン兄の言葉に顔を上げた。

 ジュン兄は病院のベッドの上から、物憂げに窓の外を眺めていた。

「黒い鳥? それってカラスのこと?」

 パスしかできないよ、とジュン兄は僕に向き直ると、黒の丸を置く。

 白かった盤上が、見る見る黒に変わっていく。

「違う。その黒い鳥は普通の人には見えないんだ。カラスより大きくて、目も口もない。まるで黒いペンキで何度も何度も塗りつぶされたかのように、真っ黒な色をしている」

 ジュン兄はそう言いながら、もう一つ黒い丸を置いた。

 盤上は清々しいまでに、一面真っ黒になる。

「普通の人に見えないんだったら、どんな人だったら見えるの?」

 オセロをあっさり片付け始めたジュン兄に、僕は素朴な疑問をぶつけていた。

「それはね……」

 ジュン兄が微笑みを浮かべる。笑うと、半分かけた前歯が良く目立った。


「もうすぐ、死んでしまう人だよ」



 辺りは真っ暗闇だった。

「ピー、ピー、ピー、ピー、ピー……」

 一定のリズムを刻みながら高い音が鳴り響く。

 僕は病院の廊下を歩いていた。

 どこに向かうのかも分からないまま僕は角を曲がる。曲がり終えると、唐突に、白い何かが顔をかすめた。

 異様な光景だった。僕の前にあったのは白いレースに囲まれた、真っ白なベッドだったのだ。まるでおとぎ話にでも出てくるお姫様のベッドだ。

 夜の暗闇を背景に、白いベッドは鮮やかに映えている。

 僕はベッドに恐る恐る近づくと、傍らに人が立っていることに気付いた。

 看護師さんだった。僕も知っている人だ。看護師さんはワンワン、ワンワン泣いていた。泣いて泣いて泣いて……

 僕は正直戸惑った。大人が泣いているなんて信じられなかったし、まして看護師さんのこんな姿、見たことがなかったからだ。

「鈴音……鈴音……」

 看護師さんが泣きながら声を絞り出す。

 スズネ?!

 僕は驚いて、レースのカーテンを払いのけていた。その結果、ベッドに横たわったものを直視することになり、思わず息を飲む。

 僕と同じくらいの背丈の女の子だった。年齢が同じだということも知っている。なぜなら僕とこの子は、病院で知り合った友達だったからだ。

「……スズネちゃん?」

 返事がない。鈴音ちゃんは微動だに動かなかった。それ以上に……大きな瞳がこちらをじっと見つめている。……一切、瞬きをせずにじっと……。

 怖い。

 僕たちは仲が良かった。よく一緒に病院の遊戯場で遊んだし、この前のお楽しみ会では二人して人形劇をした。

 それなのに、怖い。鈴音ちゃんの顔はまるで別人みたいに醜い。

 僕は、やっとの思いで目を逸らす。

 目を逸らした先に、ベッドの柵がある。そこにいたものを見て、僕はまた息を飲んだ。

 黒い鳥だった。

 カラスより大きくて、目も口もない。まるで黒いペンキで何度も何度も塗りつぶされたかのように、真っ黒な色……

 黒い鳥が翼を広げる。真っ白なおとぎの世界のベッドは見る見る黒に染まっていく。

 ああ、あの音は警告音だったんだ。人が死んでしまったときに鳴る音だったんだ。

 鈴音ちゃんの体が、しだいに茶に染まっていく。

 腐って、朽ちて、真っ白な骨になる。骨の白は、さっきと変わらない白色なのに、どこか不気味だった。

 僕は自然と、その場を後ずさる。怖くて怖くて堪らなかった。

 黒い鳥と目が合う。……いや、実際に黒い鳥には目がないんだから、そんな気がしただけだろう。

 黒い鳥は、怖がる僕を嘲笑うかのごとく飛び立った。


『もうすぐ死んでしまう人だよ』


 ジュン兄の声が聞こえて、僕はその場を逃げ出した。

 やめてくれ。来ないでくれ。僕はまだ死にたくないんだ。

「わああああぁぁあぁあぁぁあぁあぁああぁ」


「ヨシくん、ヨシくん」

 体を揺さぶられているのが分かった。体が重い。僕は呻き声を上げながら上体を起こした。どうも視界がぼやけるので、ついでに目も擦る。

「ヨシくん、朝ですよ。うなされていたみたいだけど大丈夫?」

「……おはようございます」

 我ながらずいぶんと寝ぼけた声を出す。

 看護師さんの微笑む顔が目の前にあった。僕はどうやら悪い夢をみていたらしい。パジャマが冷や汗で、体にべったりくっついていた。

「ちょっと熱測るね」

 体温計を脇に挿されながら、僕は夢の中と同様、ベッドの柵の上を凝視した。

「……どうかした?」

 看護師さんが不思議そうに僕の視線を追う。

「……ううん、何でもない」

「……目、充血してるよ?」

「えっ」

 看護師さんが僕の顔を覗き込んで、心配そうに眉を寄せた。

 僕は棚の上の鏡を見る。僕の目は一晩中泣いていたみたいに真っ赤だった。

「大丈夫だよ」

 僕は笑って誤魔化した。

 トイレを挟んで、朝の定期検診が終わる。時間通りやってくるおいしくない朝食は、いつも通り無理矢理口に押し込んだ。

 今日もジュン兄のところに行くんだ。

 いつもの僕なら、ジュン兄のところに行くのが楽しみでウキウキしているはずだった。

 けれど今日は少し違う。

 僕は朝食を食べ終えると、もう一度、ベッドの柵をじっと見つめた……

 

 ジュン兄は二週間程前にこの病院にやってきた患者だ。両足を骨折していて、最初は意識も無かったらしい。年齢は小学生の僕より五つくらいは上だと思う。

 ジュン兄を最初に見かけたときは、目が虚ろで、なんだか怖い人だと思った。あの病室に遊びに行くのも「ご遠慮」していたくらいだ。でも思いっきって話しかけてみると、ジュン兄は他の大人と違って、僕のことを子供扱いせず、対等に扱ってくれた。その上暇なときはよく遊んでくれるし、読書家で色んなことを教えてくれる。だから僕は、今ではジュン兄のことが大好きなんだ。

 僕は患者さん用のスリッパをペタペタさせながらジュン兄の病室に向かう。

 ジュン兄の病室は、看護師さんたちが待機している「ナースステーション」から一番近いところにあった。

「ジュン兄、おはよう……」

 ジュン兄のベッドは一番窓際に位置している。単行本に目を落としていたジュン兄が、ゆっくりとこちらに視線を移した。

「ヨシクニくん、今日はずいぶんと早いんだね」

 ジュン兄はそう言って笑う。……割とカッコイイのに、口元から覗く欠けた前歯で台無しだ。

「悪いけど、今から包帯の取り換えがあるんだ。すぐには遊べそうにない」

「いいよ。僕ここで、包帯の取り換えが終わるの待ってる」

 ふいに、ジュン兄が僕の目を覗き込む。

「目が赤いね。どうしたの? 怖い夢でもみた?」

 僕は一瞬言葉に詰まった。

「何でもないよ……ねぇ、それよりさ。あそこ! 何か見えない」

 僕はそう言って窓の外を指差す。

「いいや、特に変わったものは見えないけど……」

「そっか……」

「ジュンヤくん、包帯の取り換えに来ましたよ」

 ジュン兄が首を傾げるのと同時に、僕の背後から声がした。振り返ると、包帯を抱えた看護師さんが立っている。

 看護師さんは僕にお構いなくジュン兄の両足の包帯を取り始めた。

「ジュン兄……訊きたいことがあるんだ」

「なんだい?」

 ジュン兄は包帯を取った足を、気持ちよさそうに掻き毟りながら受け答えた。

「人は死んだらどうなるの?」

 ジュン兄はキョトンとした表情で「それはまた、ありきたりな命題だね」と呟く。

「仏教では輪廻転生するとか言われてるけど」

「リンネテンセイ?」

「人の魂は死んでもまた、この世で生を受けるって考え方だよ」

 ジュン兄はどこか嫌そうに、顔を顰めた。

「でもこれがまた、傍で聞く程いいものでもないんだ。僕たちは六道って言われる世界をぐるぐると廻らなきゃいけないんだけど、この世界が実に碌でもなくてね。六つの世界の中でもましな方にここ人間界がきてる」

 ジュン兄はそこで大きく溜息をつく。

「今も昔も、死んだらどうなるのか色々考えられているけれど、俺は単純に、死んだら〝終わり〟でいいと思うけどね」

 ジュン兄の態度が妙に投げやりだったので、僕は少し驚いた。

「僕……スズネちゃんみたいになりたくないんだ」

「スズネちゃん?」

 ジュン兄が首を傾げる。

「ジュン兄が来る前に死んじゃった子……僕、死ぬの怖いよ」

 そう。あれは夢だけど、夢じゃない。僕は実際、あの音を聞いた。スズネちゃんが死んでしまったのを見た……

「死ぬのが怖いのは、まあ、普通だろうね」

 ジュン兄が虚ろな目で天井を仰ぐ。

「スズネちゃんってかわいかった?」

「えっ」

「かわいかったんなら一度会ってみたかったかな」

 ジュン兄が僕の表情を見て可笑しそうに笑う。

「包帯取り換え、終わりましたよ」

「ありがとうございます」

 看護師さんが古い包帯を巻きとって病室を出て行く。

「……僕、何かジュース買ってくる」

「じゃあ、俺の分も適当に買って来て」

 ジュン兄はそう言って、僕に五百円玉を手渡す。僕の分もおごってくれるみたいだ。

 僕は五百円玉を握りしめて、自販機まで小走りする。

 『死んだら終わり』ジュン兄はそう言ったけれど、僕は死後の世界はあるんだって信じているんだ。だから……

 自販機に五百円玉を投入する。ふと廊下を、さっき包帯を換えていた看護師さんが通って行った。

 あれ? あの人確か……

 ペットボトルの落ちた音がする。頭の中がモヤモヤして、寸の間動くことができない。

『鈴音……鈴音……』

 夢の泣き声が頭の中で響いてドキっとした。そうだ。あの人は確か、スズネちゃんのそばで泣いていた人だ……


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