約束します。
咲弥と和真のシリーズ第4弾。和真と咲弥の父親の初対面のお話です。
恋愛要素は薄いです。
咲弥は時計を見た。時刻は1時を少し回ったところだ。
窓の外を見る。太陽は飽きることなく輝いており、アスファルトは今にも湯気が出そうなほど熱されていた。
暦の上では秋だというが、そんなことを考えられないほどこの夏は暑い。クーラーで冷やされた世界から出るのは億劫だ。
けれども咲弥の頬は緩んでしまう。外に出たくないと思いながらも、結局は予定の時刻より早く家を出た。
目的地にはすぐについた。
咲弥は緊張した面持ちで約束の場所に立っている和真を見て、小さく笑いをもらす。しかし、それが知られれば怒られるのは目に見えていたので、すぐに引き締め、声をかけた。
「吉田」
「…おう」
緊張を崩さないまま和真は、小さく手を挙げる。
緊張しても無理はないのかもしれない。今日は、お盆休みで帰ってきている咲弥の父、雄二と初めて会う日なのだ。
いつもつけているシルバーのアクセサリーはなく、白いワイシャツに、グレーのベスト。下は黒い細身のパンツ。いつもとは違う「しっかり」とした服装。茶色く染められた髪は、もとの黒髪に戻されていた。
「髪…」
「え?…ああ。黒に染めたんだ。一応な。…変?」
髪を触りながら和真が尋ねた。咲弥は慌てて首を振る。
「変じゃないよ?でも、なんか、慣れなくって」
「一日染めのムースだから、明日には茶色に戻ってるけどな」
「そうなんだ」
咲弥は、和真の言葉に笑みを浮かべた。自分のために変わってくれるのが、嬉しくて、けれど、なぜか少しだけ怖かった。一日経てば、いつもどおりの茶色の髪に戻る。その事実に安堵する。
「でもさ、そんなに気合い入れてこなくてよかったのに」
和真の頭からつま先までをゆっくり見ながら咲弥は笑う。そんな咲弥の頭を和真は軽く叩いた。
「笑うなよ」
「だってさ」
「…じゃあ、お前、今度俺の家に来て、母さんたちに会えよ?」
「え?」
咲弥の表情が歪む。それを見て今度は和真が笑った。
「今、ダイエットして…とか、なんて言えばいいんだろう?とか考えただろう?」
「うん」
「それと一緒。ただ、会うだけだとしても、緊張すんの!男親は特に!」
「でも、うちのお父さんは大丈夫。優しい人だから」
「…それでも、緊張するんだって」
「はいはい。わかったよ」
「お前絶対わかってないだろう?」
睨むような和真の視線を無視するように、咲弥は歩みを進めた。
「置いてくよ?家、すぐそこなんだから」
その言葉に、和真は慌てて、咲弥の隣に並んだ。
一人でインターフォンを押す勇気がないという和真のために、咲弥は家から街灯2本分のところまで迎えに行っていたのだ。
100メートルもない道のり。2人はすぐに玄関の前に立った。
和真の深呼吸が終わるのを待って、咲弥は玄関のドアを開ける。
「ただいま~」
「お邪魔します!」
姿勢を伸ばしたままの和真の声は、少し震えていた。
申し訳ないと思いながらも、新しい和真の姿が咲弥には新鮮で嬉しい。
足音とともに咲弥の母、真理子が玄関先に現れる。
「いらっしゃい」
にこりと笑う真理子に和真は頭を下げた。
「き、今日はお招きいただいて…」
「どうしたの?吉田君。かしこまっちゃって。ほら、そこだと暑いでしょう?中にどうぞ」
「そうだよ、吉田。早く中に入ろう?」
和真は小さく頷き、真理子が出したスリッパに足を入れた。真理子と咲弥の後ろについていく。居間には、初めて見る雄二がいると思うだけで、身体が固まった。少し気を抜けば、手と足が一緒に出てしまいそうだった。
そんな和真を見て、真理子は小さく笑う。
「そんなに緊張しないで」
「あ、…すみません」
「雄二さんも吉田くんに会ってみたいって言ってたし、顔くらい合わせておいてもいいのかなと思って、今日呼んだんだけど。やっぱり緊張するよね」
「あ、ええ。…まぁ」
「…余計なことしちゃったかな?どうしようか?やっぱり、やめる?」
「そうだよ、吉田。嫌なら別にやめてもいいよ?」
「嫌なんかじゃねぇよ」
咲弥の言葉に和真は反射的に答えていた。
「吉田君、無理しなくていいのよ?雄二さんだって、彼女の父親に会うのがどれだけ緊張することなのかくらいわかってるから」
「あ、いえ。…確かにめっちゃ、緊張してます。でも、俺も会ってみたいんです。咲弥のお父さん」
「本当に?」
念を押すように尋ねる真理子に大きく頷いた。
「本当です」
「それならよかった。…じゃあ、開けちゃうけど、いい?」
真理子は居間の扉に手をかけながら、わざとからかうように言った。こういう所は咲弥とそっくりだと思う。
和真は咲弥を一度見た。目を合わせると、笑みを浮かべる。その笑顔さえあれば何でもできる気がした。
和真は真理子を見て、深く頷く。
和真の緊張が伝わったのか、なぜか、咲弥の足取りも重くなった。
ソファーに座っているのは自分の父親で、昨日も仲良くテレビを見ていたのに、どこか違う人のように見えた。ソファーまで、数歩なのに、とても遠く感じる。
真理子は、2人分の飲み物を用意するとさっと雄二の隣に座った。
その前に、咲弥と和真が並んで座る。
妙な沈黙が流れた。重々しい雰囲気を断ち切ろうと咲弥が口を開けようとした時、和真がすっと立ち上がった。突然の行動に、咲弥はただ、和真を見つめる。
背筋を伸ばし頭を下げた。
「咲弥さんとお付き合いさせていただいている吉田和真です」
どこか震えたその声は、けれど芯が通っていた。部屋の中に、静かに広がる。
嬉しくて、なぜか泣きそうになった。それに堪え、咲弥はまっすぐに自分の父親の顔を見た。
雄二は、和真の目をまっすぐ見つめている。
小さく頷いた。
「吉田君。頭を上げてくれないか」
「は、はい」
「真理子から聞いているよ。聡明で端正な顔立ちの子だって」
「い、いえ。そんな」
「君と付き合うようになって、咲弥の成績も上がったと聞いている」
「あ、いや…はい」
「ありがとう」
小さく告げられたその言葉は大きな意味を持っていた。
「これからも、仲良くしてあげてほしい」
「…はい」
まっすぐな雄二の目を、見つめ返し、和真は大きく頷いた。
雄二が笑う。つられて和真も笑みを浮かべた。それを見て、咲弥が安堵の息を吐く。
4人を包む緊張が一気にほどける。和真はすとんとソファーに腰を降ろした。
目の前の飲み物に口をつける。冷たいそれがのどの渇きを潤した。
咲弥は和真を見る。和真も咲弥の方を向き、2人で声に出さず、小さく笑った。
そんな2人を雄二と真理子は微笑ましく見る。
「そうだ、吉田君」
「なんですか?」
「…一つお願いがあるんだが、聞いてくれないか?吉田君の時間のある時で構わないから」
「お願い、ですか?」
「ああ」
「なんですか?俺にできることなら、なんでも」
「今度、一緒にキャッチボールをしてほしいんだ」
「…キャッチボール?」
突然のフレーズに和真は戸惑ったように尋ね返す。
雄二は苦笑いを浮かべた。助け舟を出すように、真理子が笑いながら補足する。
「雄二さんの夢だったんですって。息子とキャッチボールするの。いつか、咲弥が彼氏か旦那さんを連れてきたときに頼むって決めてたみたい」
「そうなんですか」
「ごめんなさいね。でも、よかったら付き合ってあげて?」
頭を下げる真理子に和真は慌てて首を振る。
「もちろんです!おじさん、よかったら今からしませんか?…ここって近くに公園ありましたよね?」
「本当かい?」
笑顔を浮かべる雄二に、和真は同じように笑みを浮かべ頷く。
「はい」
「じゃあ、お願いしようかな。…真理子。ボールとグローブはあったかな?」
「雄二さんの書斎にいつも置いてあるじゃないですか。取ってきますよ」
「ありがとう」
「…ねぇ、本当に今からやるの?キャッチボール」
どんどん進んでいく話の流れを遮ったのは咲弥だった。
「ダメかい?」
「だって、絶対暑いよ?」
外に視線をやりながら咲弥が告げる。窓の外では太陽が燦々と輝いていた。
「そりゃ、そうかもしれないけどさ。いいじゃん、夏っぽくて。…ですよね?」
「そうだな」
和真の言葉に、雄二が頷く。
いつの間にか意気投合している和真と雄二に咲弥はため息をつき、真理子は笑った。
「咲弥。付き合ってあげなさい」
「…は~い」
真理子が持ってきたボールとグローブを持ち、咲弥、和真、雄二の3人は近くの公園に向かった。
「私は、日陰で座ってるからね。吉田、お父さん。無理しないでよ?熱中症なんてなったら洒落にならないからね」
「わかってるって。ね、おじさん」
「…」
「おじさん?」
返事のない雄二に和真は首を傾げる。雄二ははっとしたように、小さく首を振り、なんでもないと告げた。
「大丈夫だよ、咲弥」
「なら、いいけど。私、ここに座ってるからね」
公園の中の大きな木の下で咲弥は2人に告げる。雄二は頷き、和真を見た。
「じゃあ、吉田君。お願いしてもいいかな?」
「もちろんです。でも、俺、あんまり上手くないかもしれないですけど」
「いいよ。遊びだから」
「はい」
咲弥から少し離れた場所で、和真と雄二はキャッチボールを始めた。
雄二の腕から投げられるボールが和真のグローブの中に吸い込まれるように入っていく。
和真はそれをしっかりと受け止め、雄二に投げ返した。
声を発しているわけではないのに、和真と雄二の間では言葉が交わされているような気がした。
日陰で体育座りをし、2人を見つめる咲弥の顔には笑みがこぼれていた。
ほら、言ったじゃないか。と思う。
緊張することなどないのだ。自分が好きになった人を父が嫌うはずなどないのだから。
見ているだけでは飽きるかと思ったが、2人の間をボールが行きかうのを見ているのは面白かった。
だから、汗を拭きながら、日陰に戻ってきた2人の姿に少しだけ残念に思った。
「終わり?」
「ああ。久しぶりに動いたから疲れちゃったよ」
「お父さん、運動不足なんじゃない?」
「そんなことないぜ?おじさん、上手い」
「本当かい?そう言ってもらえると嬉しいよ。吉田君、ありがとう」
「いえ、俺も楽しかったです」
「そうだ、咲弥。近くに自動販売機があっただろう?そこで冷たい飲み物を買ってきてくれないか?」
咲弥に財布を渡しながら雄二が告げる。
「それなら、俺が買ってきますよ」
「いやいや。これ以上、吉田君に迷惑はかけられないよ。咲弥もちょっとは動いた方がいいからね」
「…わかったよ」
少しだけ頬を膨らまし、雄二の手から奪うように財布をとった。
いつもより幼い咲弥の行動を和真は面白そうに見つめる。
「何?」
視線に気づいたのか首を傾げた。
「何でもないよ。ほら、早く買って来いって」
「わかってる!」
そう言い、大股で離れていく咲弥の後ろ姿を見つめながら、和真と雄二は顔を合わせて笑った。
「本当に今日はありがとう」
「いえ。俺も楽しかったですから」
「…」
「…おじさん」
「なんだい?」
「何でも言ってください」
「え?」
「俺に言うことがあったから咲弥を外させたんでしょう?」
まっすぐ見つめる和真の瞳を見、雄二は微苦笑を浮かべる。
「君は、本当に賢いんだね」
雄二の言葉に和真は首を横に振った。
「そうじゃないです。ただ、それがあいつに関することだから」
和真は小さくなった咲弥の背中を見つめた。
一番近い自動販売機までは、少し距離がある。帰ってくるまで、時間はあった。
「君は、大阪に行くんだって?」
「え?」
「進路」
「…はい。そのつもりです」
「そして、咲弥は、地元の短大に行くつもりだ」
雄二の言いたいことがわかりかねて、和真は伺うように雄二の表情を見た。
先ほどとなんら変わらない表情。大人だなと思う。
自分は動揺を隠せず、顔に出ているのだろう。
「…はい。そう言っていました」
「君は、モテるだろうね」
「え?」
「賢くて、綺麗な顔立ちをしている。そして、優しい」
「…」
「俺のキャッチボールに付き合ってくれた。それに、その髪も咲弥のために黒く染めてきてくれたんだろう」
「え?」
「君は茶髪だと真理子から聞いているよ」
「…そうですか」
「俺に会うから染めてきてくれたんだろう?咲弥の父親に悪い印象を持たれたくないから」
「…はい」
「常識があって、優しくて。それでその顔だ。惹かれない人は少ないだろう」
「そんなことないですよ」
「謙遜しなくていい。君の周りにはいろんな人が来ているだろう?そして、きっとこれからも。…彼女である咲弥と離れれば余計に寄ってくると思う」
「…」
「約束してほしいんだ」
「約束?」
問い返す和真に雄二は頷いた。
自分のいない間に、すっかり大人びてしまった咲弥。子どもの成長は嬉しいはずなのに、どこか寂しいのはなぜだろう。もう、隣にいる人を選ぶ年になってしまったのだ。
咲弥に選ばれた和真の目は真剣で、どこか緊張を帯びていた。自分も真理子の父の前に立ったときには、こんな目をしていたのだろうと少し懐かしく思う。
「あの子を傷つけないでほしいんだ」
「…」
「君に惹かれる人は多いだろう。…咲弥は俺から見たら、可愛い子だけれど、君を見てしまえば平凡としか言いようがない。君ならもっと綺麗な子だって近づいてくるだろう?そして、君たちは春には離れ離れになる」
「…」
「あの子には笑顔でいてほしいんだ。…だから、手を離すなら、今、…まだ傷が浅く済む内にしてほしい」
和真は、雄二の言葉を受け止め、静かに首を横に振った。
「逆ですよ」
「逆?」
「…手離せないのは、俺です。もし、手を離すことがあるとしたら、あいつが手を離すときです」
「…」
「俺からは手を離せません。もし、おじさんに別れろと言われても、どんな手を使ってでも、あいつの隣にいると思う」
「…」
「俺はおじさんから見たら、どうしようもなく子どもで、頼りになんてなんないと思うけど、どうしても咲弥が好きだし、離れたくないんです。…正直離れ離れになってどうなるかなんてわかんないけど、でも、約束します。あいつを裏切るようなことは絶対にしない」
「…君はいいね」
「え?」
「そう言い切れるのは若さなんだと思う。…咲弥を任せたよ」
「はい」
雄二の目をまっすぐ見つめ、和真は大きく頷いた。
顔を上げるのを待って、雄二はいたずらが成功した子どものような笑みを浮かべた。
「ちょっと意地悪をしたくなったのかもしれない」
「え?」
「もちろん、あの子を傷つけないでほしいという気持ちは本当だ。でも、会ったばかりの君に言う言葉じゃなかったと思う。…でも、君にプレッシャーをかけたかったんだと思う」
「…どういう意味ですか?」
「さっき、咲弥が言っただろう?『吉田、お父さん。無理しないでよ?』って」
「言ってましたね。…それがどうかしましたか?」
「君を先に呼んだんだ」
「え?」
「いつも呼ばれるときには、『お父さん』が一番に来ていたんだよ。けれど、…あの子の中で、一番は君になってしまったみたいだ」
雄二はそう言って笑う。その笑顔は悲しそうでもあり、寂しそうでもあり、どこか嬉しそうでもあった。
「だから、少しだけ意地悪したくなったんだ。すまないね」
小さく頭を下げる。その様子に和真は首を横に振った。
「いいです。これから、どんどんおじさんからあいつを奪っていくんで」
和真の言葉に、雄二は驚きの表情を浮かべ、すぐに声を出して笑った。
「言うね。受けてたつよ。まだまだ、あの子を渡す気はないから」
「望むところです」
「…吉田君」
「はい?」
「ありがとう」
「おまたせ」
突然の声に、2人は振り返った。
冷えたお茶のペットボトルを3本腕に抱えた咲弥が首を傾げる。
「どうしたの?…何か話してた?」
咲弥の言葉に2人が同時に首を横に振る。そのしぐさがあまりに似ていたので、咲弥は「本当に?」と確かめた。
「本当、本当。それより早くそれ渡せよ。暑くてしょうがない」
「も~、自分たちがキャッチボールするって言ったんでしょう?ほら、どうぞ」
頬を膨らましながら2人に冷えたそれを渡した。
「サンキュー」
「ありがとう、咲弥」
「どういたしまして」
「なぁ、咲弥」
「何?お父さん」
こちらを向いた咲弥に、雄二はにっこり笑っていた。
「嫌になったらすぐに手を離していいからな」
「…?」
首を傾げる咲弥とお茶を咳き込む和真の姿に雄二は一人声を出して笑った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
次はハロウィンと言っていたのに、お盆でした(笑)
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